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満月の夜に猫は微笑む  作者: 涼木あきこ
28/50

気分転換

あの日以来――実の父親が強盗事件の現場で命を落としたことを知ってから、美紗の様子がおかしかった。


俺と幸人は、そんな彼女を見守ってきた。


「……ねえ颯介。そろそろ、美紗を外に連れ出さない? 気分転換が必要だよ」


幸人の提案に、俺も強く頷いた。


ここ数日、俺自身の周りでもいろんなことが起こりすぎて、頭が爆発しそうだった。


俺たち三人には、今はほんの少しの『休息』が必要だった。




施設長の昔話を聞いた日、部屋に戻った俺に、幸人が鋭い視線を向けた。


「何かあったの?」


幸人の洞察力は、時として残酷なほど正確だ。


幸人になら……と思ったが、施設長のことだ――俺から話すべきではないと思った。


話すとしたら、先代施設長が強盗犯の一人だったかもしれないという仮説まで話さなければならない。


「……な、なんもないよ。ちょっとした昔話を聞かされただけだから、気にすんな!」


そんな勇気は、今の俺にはなく、俺なりに精一杯誤魔化した。


「そう……。まあ、無理に話す必要はないけどね。それより颯介、遊びに行く件、どうする?」


案の定、幸人は俺が誤魔化したことを見逃さなかったようだが、あえて話題を逸らしてくれた。


その優しさが、今の俺には少しだけ痛かった。




「心霊スポットとかよくね? 美紗、オカルト好きだし喜ぶだろ!」


「えー……僕は嫌だよ。でも、遊園地のお化け屋敷くらいなら。叫んでストレス発散するのはいいかもね」


冷静沈着な幸人だが、幽霊や心霊現象にはめっぽう弱い。


「まあ、遊園地はアリだな」


そんな彼を驚かせてやりたい意地悪な自分を押し殺し、俺たちはそのまま、美紗の部屋へ向かった。




「コン、コン、コン」


ノックに応えて、美紗が部屋から顔を出した。


「今週末、遊園地に行こうぜ! お前の好きな……お化け屋敷もあるぞ!」


俺はドアが開くなり、勢いよく言った。


「あら、二人揃って……。遊園地、素敵ね。是非、行きたいわ」


美紗はいつものすました顔で答えたが、その声には湿り気が混じっている気がした。


それでも、彼女の口から前向きな言葉が聞けたことに、俺と幸人は顔を見合わせて安堵した。




美紗に用件を伝えたあと、俺と幸人は、施設の居間に移動した。


「何はともあれ、よかったね、颯介。美紗も嬉しそうだったし」


「だな!ちょっと、安心した」


「美紗ちゃんが、どうかしたの?」


俺たちが話をしていると、みゆき先生がやってきた。


みゆき先生も、美紗のことを気にかけていたのを知っていたから、俺は少しでも安心させたかった。


「一応、報告。今週末に美紗を連れて、遊園地に行くことになった!」


「あら、そうなのね。……それ、私もついて行ってもいい?」


「俺は別にいいけど…」


俺は幸人に目線を送った。


「もちろん。一緒に行こう。美紗も、きっと喜ぶよ」


幸人がそう言うと、みゆき先生の瞳が少女のように輝いた。


週末、四人で遊園地に行くことになった。




自室に戻った俺は、ベッドに倒れ込んだ。


考えてみると、みゆき先生は昔から、美紗のことをとりわけ気にかけていた気がする。


ここ最近、美紗の様子がおかしいことにもいち早く気づいていた。


衝撃的なことが起こりすぎて、すっかり失念していたが、学園祭の時、落ちていた先生のペンダントに触れようとした美紗を、今まで聞いたことのないような声で制止していた。


それに、美紗が父親の真実を知ってしまったことを伝えたときの反応――


あのペンダントには、きっと何かが隠されている。


俺は、それを確かめなければならないと感じていた。




「先生、ちょっといいかな」


夕食後、俺は後片付け中のみゆき先生を呼び止めた。


「どうしたの? 颯介くん。そんなに改まって」


心なしか、少し困った表情をしていた。


先生の指先が、首元のペンダントに吸い寄せられるように触れた。


彼女もこれから聞かれることを、なんとなく予感していたのかもしれない。


「そのペンダントのことなんだけど……」


俺は、先生の様子を伺いながら話を切り出した。


「……そのことよね。近いうちに、聞かれると思っていたわ」


みゆき先生は深く、震えるような息を吐いた。


「颯介くん。一つ、約束してほしいの」


「何?」


「何があっても、美紗ちゃんには内緒にしていてほしい。それだけよ」


先生は、今にも泣き出しそうな顔をして言った。


「わかった」


その表情を見た俺は、そう答えることしかできなかった。




彼女が語り始めた真実は、重く冷たい鉛のようだった。


「私ね、娘がいたの。優しい夫と、宝石のようなあの子。これから楽しい未来を作っていく予定だった。あの日……銀行強盗事件で夫が殺されるまでは」


俺は息を呑んだ。


十六年前の事件が、ここでも繋がるなんて――


「私は夫の死から、なかなか立ち直れなかったわ。あの子の泣き声が、死んだ夫の呼ぶ声に聞こえて……」


その声は、壊れてしまいそうなほど震えていた。


「気が付いたら、この施設にあの子を預けて逃げ出していたの。ここまで話したら、もう大体のことは分かったわよね。最後に、このペンダント」


みゆき先生は震える手でペンダントを外し、俺に差し出した。


ペンダントをよく見ると、チャームが開閉式になっており、開くと片方には赤ちゃんの写真が、もう片方には名前が刻まれていた。


「MISA……」


俺は、みゆき先生の話を聞いている途中から、薄々気が付いていたはずなのに、驚きを隠すことができなかった。


「がっかりしたでしょ」


みゆき先生は、自分自身をあざ笑うように言った。


「……確かに先生は一度、娘を捨てた。その事実は、一生変わらない。でも、後悔したんでしょ?だからここで、ここにいるみんなを育ててきたんじゃないの?」


「ええ、その通りよ。私はずっと、後悔していた。夫との間に生まれた大事な娘を捨てたことを。だから、施設長に頼んで、職員にしてもらうことにしたの」


「なんで引き取らずに、職員になることを選んだの?連れて帰ることだって、できたんじゃない?」


「それはね、もう、母親失格だからよ。あの子に、『お母さん』って呼んでもらう資格なんて、私にはないの」


先生は、今にも泣いてしまいそうな顔をしていた。


「約束は、守るよ」


「ええ、ありがとう」


先生はそう言って、自分の部屋へと戻っていった。


涙を溜めた先生の背中は、崩れそうなほど脆く見えた。


俺はその小さくなった背中をそっと見送った。




遊園地当日。


「ほら、颯介!起きて!あと三十分したら出発するよ!」


幸人の声で目が覚めた俺は、急いで歯を磨き、着替えて、パンを食べた。


最後のパンを飲み込み切らないうちに、俺たちは遊園地へ向かうために施設を出発した。


施設を出ると、ちょうど歩いてくるムタの姿が見えた。


「おっと颯介、みんな揃ってお出かけか。楽しんで来いよ!お土産、忘れんなよ!」


「わかったよ!」


俺はそう言ってから、気が付いた――幸人と美紗とみゆき先生の視線に。


「颯介、今、誰と喋ってたの?」


「ええ、私もとても気になったわ。私たちには見えない何かがそこにいるのかしら?」


美紗は目を輝かせて言った。


「き、気にしないでくれ!ほら、バスに乗り遅れるぞ!」


俺はそう言って、バス停まで一人で走った。




バスの後部座席、四人で並んで座る時間は、まるで本当の家族のようで、不意に鼻の奥がツンとした。


「なんだか、遠足に行く気分ね」


美紗が楽しそうにしているのを見て、俺と幸人は安心した。


みゆき先生も、安心した顔で、美紗のことを見ていた。


「あ、おやつ買ってくればよかった……!」


「そう言うと思って、ほら」


幸人が板チョコを割って配った。


「流石ね。幸人」


「幸人って、なんか保護者みたいだよな」


「実際、僕は君たちの保護者だと思ってるよ」


「本当にそうよね。私も、昔からそう思って見ていたわ」


ずっと俺たちを見てくれていた先生が認めるほどの保護者力――さすが幸人。


そんな話をしていたら、あっという間に目的の遊園地の前に着いた。




「よし、美紗、何から行く?」


「え、私が決めていいの?」


「いいよ。美紗、颯介、僕の順で決めよう」


「それじゃあ、手始めにお化け屋敷に行きたいわ」


その瞬間、幸人の顔がこわばるのがわかった。


だが、幸人は大人である――嫌とは一言も言わなかった。


いざ、お化け屋敷に入ると、幸人は今にも叫び出しそうな顔をしていた。


驚くものの、ビクッとするだけで声は出さない。


幸人は最後まで悲鳴をあげることなく、脱出に成功した。


もうごめんだ、という顔をしている幸人を見て、俺と美紗と先生は顔を見合わせて笑ってしまった。




「よし、じゃあ次はジェットコースターだ!あの、水かかるやつがいい!」


「濡れるのは面倒ね……でもまあ、天気もいいし、すぐに乾くかしら」


「最悪、園内の売店でTシャツでも買えばいいよ」


「えー、私は濡れるのイヤー」


先生はそう言いながらも、俺たちと一緒に来てくれた。


俺たちはジェットコースターで思いっきり叫んで、漏れなく全員ずぶ濡れになった。


「なんか……高校生らしいことしてるな、俺たち」


濡れたTシャツを絞りながら俺が言うと、みゆき先生も「なんだか若返った気分だわ」と声を弾ませた。


「これが青春というものなのかしら」


「そうだね」


幸人も美紗も、楽しそうに笑っていた。




「そろそろご飯にしよう。僕、この遊園地の名物の餃子まんが食べたいんだけど」


幸人は事前にチェックしていたようだ。


流石としか言いようがない。


「幸人って、モテそうだよな。何でもできるし、気が利くし」


「え、何?急に。怖いんだけど」


そんなやり取りをしていたら、美紗が急に笑い出した。


「あはは! みんなのおかげで、今日は本当に楽しいわ。ありがとう」


その笑顔が見られただけで、ここに来た価値があった。


「いい気分転換になったでしょ?」


「あまり、思いつめるなよ。俺たちは家族も同然。いつでも相談に乗るからな!」


「……私たちは、みんな、美紗ちゃんの味方よ」


みゆき先生は、どこか言いづらそうにしていた――美紗を一度捨てた自分が、こんなことを言ってもいいのかと迷ったのだろう。


「俺、餃子まん買ってくる!場所が分かんないから、幸人も来てくれ!」


そんなみゆき先生の様子を見かねて、俺は美紗とみゆき先生を残し、幸人と二人で餃子まんを買いに行くことにした。


二人の様子が気になり、ふと振り返ると、みゆき先生が美紗を優しい眼差しで見つめていた。




「みゆき先生も、ありがとうございます。今日はとても楽しいです」


「私も一緒に来られてよかったわ。美紗ちゃんの笑顔も見られたし」


「ありがとうございます。心配、してくれてたんですよね?」


「あなたたちを心配するのが、私の役目。だから、気にしないでね」


「私、いつも思うんです。みゆき先生が、お母さんだったらよかったのになって」


「え……?」


「あっ、ごめんなさい。みゆき先生は優しくて、綺麗で、理想のお母さんそのものだから……」


「美紗ちゃん、ありがとう」


二人の間でどんな会話がされていたのかは分からないが、買い物から戻ると、先生の目元には今にもこぼれそうな涙が綺麗に光っていた。


その後も、俺たちは閉園の時間まで、めいっぱい楽しんだ。




閉園後、帰路につくバスの中で、念のため施設長に電話を入れた。


「もしもし、施設長? 今から帰るよ」


『わか……ザッ……気を……ザッ……て……ザッ……』


「ん?聞こえづらいな。何か電波悪いみたいなんだけど」


「ザッ……ザッ……ザッ……?」


嫌な汗が背中を伝った。


ノイズの入り方が異常だ。


もしかして――施設に盗聴器が仕掛けられてる?


今すぐ、施設長が施設のどこで電話に出たのか、聞くべきだろうか?


もし、この会話も聞かれていたとしたら、盗聴器の存在に気づいたことがバレてしもうかもしれない――


そうなったとしたら、何が起こるか分からない。


いや、推理小説の読み過ぎかもしれない。


だが、もし本当に仕掛けられていたとしたら、誰が何の目的で?


例の仮面の女なのか――?


もし、あの女が大山さんの備忘録だけでなく、施設長が握る『暗号の秘密』を狙っているとしたら?


俺は、それ以上は何も言わずに電話を切った。


「可能性はありえるな……」


「……颯介、顔色が悪いよ。どうしたの?」


幸人の不安げな声に、俺は低く、しかし断定的に答えた。


「……俺たちの施設に、盗聴器が仕掛けられている可能性がある」


楽しい一日は、一瞬にして終わりを告げた。


闇の中に潜む犯人の影が、俺たちのすぐ後ろまで迫っているのを感じながら、俺はスマートフォンを強く握りしめた。


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