懐古
「コンッコンッコンッ」
翌日、俺は早速、施設長の部屋を訪ねた。
「おや、おはよう。颯介。どうしたんだい?」
施設長はいつものように、俺に笑いかけた。
「施設長、昨日のことなんだけど……」
「ああ……私に、何か聞きたいことがあるんだね。」
施設長の俺を見る目つきが変わった。
踏み込んでいいのか――一瞬、迷ってしまったほどだった。
「私の昔話を聞いてくれるかい?どこから話そうかな……」
施設長はそう言って、ぽつりぽつりと話し始めた。
「まずは、先代の話をしなければならないね。」
「先代?」
「そう、この児童養護施設を設立した、私の前の施設長の話だよ。」
「しせつちょー!まってー!」
「こらこら、足元をうろつかれたら誤って蹴とばしてしまうよ。」
「いいもん!そんなの、ぜんぜんいたくないし。」
「とっても痛いぞ~。こう見えて、私は陸上部で脚を鍛えていたからね。」
「りくじょうぶ……?」
「そう。いずれ、わかるよ。」
施設長は、昔のことを思い出しているのだろう――懐かしさからか、穏やかな表情をしていた。
「先代はとても優しかった。私はそんな先代のことが、大好きだったんだ。」
「施設長も十分すぎるほど優しいけどな。」
俺はすかさず言った。
「颯介、褒め上手になったね。」
「別に……!本当のことを言っただけだし。」
俺は、少し照れながら言った。
「ねえ、しせつちょー!ぼくのママとパパは、どこにいるの?」
「ママとパパはね、お星さまになって、ずっと君を見守ってくれてるんだよ。」
「おほしさまかー!そっか!じゃあ、まいにち、おほしさまにあいさつしなくちゃね!」
「うん。偉いね。ママとパパも、きっと喜ぶよ。」
「実はね、颯介。私も両親を幼い頃に亡くしたんだ。それで、先代に引き取られた。ちょうど、この児童養護施設を設立したときで、私が一番乗りだったらしい。」
「施設長も……」
「そんな顔、しないでおくれよ。もうとっくの昔の話なのだから。」
「しせつちょー!これ、なに?」
「これは、木の苗だよ。君が大きくなる頃にはだいぶ育つだろうね。一緒に育てよう。」
「うん!なまえ、つけたいな。」
「いいね。何て名前がいいかな?」
「てんしさんのなまえがいい!」
「君は、天使が好きだね。」
「うん!だいすき!まっしろなはねがはえてて、おそらをとべるんだよ!てんしさんなら、ママとパパのおほしさまにもあえるかもしれないでしょう?」
「児童養護施設を創設した記念樹として、裏庭に木を三本植えることになったんだ。私はまだ幼かったが、そのときのことは未だに覚えているよ。その木に名前をつけたいと、私が言ったんだ。」
「木に名前?」
「そう。それぞれの苗木に、天使の名前を付けることにしたんだ。」
「ミカエル、ガブリエル、ラファエル……どうだい?気に入った?」
「うん!かっこいい!てんしさんたちがおおきくなるの、たのしみだね!いつか、きっと、おそらまでのびて、おほしさまにとどくかもしれないね。そうしたら、ママとパパにもあえるようになるかな。」
「そうだね。会えるかもしれないね。」
「裏庭に大きな木が三本あるのを知ってるね?それが、左からミカエル、ガブリエル、ラファエル。」
「へー。あの木に名前がついていたなんて、全く知らなかったよ。」
「だろうね。私はあえて、誰にも話してなかったから。」
「どうして?」
少し間を空けて、施設長が言った。
「……恥ずかしいだろう?子供だったとはいえ、木が伸びたら星まで届くと思っていたんだから。」
「木に名前があることを言うだけなら、そんなに恥ずかしくないと思うけど?」
「仮に私が、木に名前があると言っていたとしたら、颯介、君は私になんて返す?」
「多分……「どうして?」って言う。」
「そう、それだよ。特に颯介は、何事にも理由を聞きたくなるでしょう?そうしたら、また理由を言わなければならなくなる。だから、私は言わずにいたんだよ。」
「ははっ。なるほどな。」
このとき俺は、そんなことを考えていた施設長が、なんだか可愛く思えてしまった。
そんな話をした流れで、俺は本題を切り出すことにした。
「……施設長。」
「どうしたんだい?改まって。」
「なんで、昨日…あの紙を見て『ガブリエル』と言ったの?」
「……ごめんね。わかってたよ。最初から、その件について聞きに来たんだよね。でも、私も聞きたいと思っていたんだ。「家と赤ん坊を抱いたガブリエル」は、先代が作ったこの児童養護施設の紋章だから。作っただけで、実際には使っていないから、紋章の存在を知っているのは恐らく先代と私くらいじゃないかな。なのに昨日、その紋章が書かれた紙を拾って驚いたよ。一体、どういうことなんだい?」
逆に聞き返されてしまった。
「そうだったのか!俺も昨日ちらっと見ただけだから、詳しいことはわからなくて……ははは……」
俺は、施設長に心配をかけさせてしまうことを恐れて、気が付いたら誤魔化していた。
「まったく君は……わかったよ。」
施設長は、俺が誤魔化したことに気が付いたからか、ため息交じりに笑った。
青柳さんのように、スマートにごまかせたら良かったのだけれど。
――ん?待てよ?
あの暗号が、本当にこの児童養護施設の紋章だったとして、先代と施設長しか知らないということは、あの暗号を作ったのって――
「他に、聞きたいことはあるかい?」
施設長は、いつもの優しいトーンで、俺の思考を遮った。
「あ、ああ……じゃあ、ミカエルでもラファエルでもなく、どうしてガブリエルを?」
「それはね、大天使ガブリエルは、子供や育児を手助けしてくれるというからね。先代も、きっとそこからとったんだと思うよ。ちゃんと聞いたわけではないから、私の推測だけれど。他に、聞きたいことは?」
「じゃあ最後に……先代は今、どうしてるんだ?」
「……理由を聞かないでくれるかい?」
「……わかった。」
神妙な面持ちになった施設長を見て、俺は頷くしかできなかった。
「亡くなったよ。十六年前に。」
「え……?どうし……」
俺は理由を聞こうとしてしまっていることに気が付き、言葉を飲み込んだ。
「教えてくれてありがとう。それじゃあ、今日は一旦部屋に戻るよ。」
そう言って、俺は施設長の部屋を出ようとした。
「颯介。」
「ん?」
「青柳さんには気をつけた方がいい。」
「……どうして?」
「変な事件に巻き込まれてからじゃ遅いからね。私は、颯介のことが心配なんだよ。」
――一体、どういうことだ?先代も十六年前に亡くなっている……?
これもまた、例の事件に関係があるのだろうか?
施設長が青柳さんを警戒する理由はなんだ?
先代が亡くなったときに、何かあったのだろうか?
繋がりそうで繋がらない、真っ白なジグソーパズルを解いているような感覚になった。
「一人で考えても、キリがねぇよな。ムタに相談しよう。」
俺は、ムタの顔を思い浮かべていた。




