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満月の夜に猫は微笑む  作者: 涼木あきこ
26/54

懐古

 「コンッコンッコンッ」

翌日、俺は早速、施設長の部屋を訪ねた。

「おや、おはよう。颯介。どうしたんだい?」

施設長はいつものように、俺に笑いかけた。 

「施設長、昨日のことなんだけど……」

「ああ……私に、何か聞きたいことがあるんだね。」

施設長の俺を見る目つきが変わった。

踏み込んでいいのか――一瞬、迷ってしまったほどだった。

「私の昔話を聞いてくれるかい?どこから話そうかな……」

施設長はそう言って、ぽつりぽつりと話し始めた。

「まずは、先代の話をしなければならないね。」

「先代?」

「そう、この児童養護施設を設立した、私の前の施設長の話だよ。」

「しせつちょー!まってー!」

「こらこら、足元をうろつかれたら誤って蹴とばしてしまうよ。」

「いいもん!そんなの、ぜんぜんいたくないし。」

「とっても痛いぞ~。こう見えて、私は陸上部で脚を鍛えていたからね。」

「りくじょうぶ……?」

「そう。いずれ、わかるよ。」


 施設長は、昔のことを思い出しているのだろう――懐かしさからか、穏やかな表情をしていた。

「先代はとても優しかった。私はそんな先代のことが、大好きだったんだ。」  

「施設長も十分すぎるほど優しいけどな。」

俺はすかさず言った。

「颯介、褒め上手になったね。」

「別に……!本当のことを言っただけだし。」

俺は、少し照れながら言った。


 「ねえ、しせつちょー!ぼくのママとパパは、どこにいるの?」

「ママとパパはね、お星さまになって、ずっと君を見守ってくれてるんだよ。」

「おほしさまかー!そっか!じゃあ、まいにち、おほしさまにあいさつしなくちゃね!」 

「うん。偉いね。ママとパパも、きっと喜ぶよ。」


 「実はね、颯介。私も両親を幼い頃に亡くしたんだ。それで、先代に引き取られた。ちょうど、この児童養護施設を設立したときで、私が一番乗りだったらしい。」

「施設長も……」

「そんな顔、しないでおくれよ。もうとっくの昔の話なのだから。」


 「しせつちょー!これ、なに?」

「これは、木の苗だよ。君が大きくなる頃にはだいぶ育つだろうね。一緒に育てよう。」

「うん!なまえ、つけたいな。」

「いいね。何て名前がいいかな?」

「てんしさんのなまえがいい!」

「君は、天使が好きだね。」

「うん!だいすき!まっしろなはねがはえてて、おそらをとべるんだよ!てんしさんなら、ママとパパのおほしさまにもあえるかもしれないでしょう?」


 「児童養護施設を創設した記念樹として、裏庭に木を三本植えることになったんだ。私はまだ幼かったが、そのときのことは未だに覚えているよ。その木に名前をつけたいと、私が言ったんだ。」

「木に名前?」

「そう。それぞれの苗木に、天使の名前を付けることにしたんだ。」


 「ミカエル、ガブリエル、ラファエル……どうだい?気に入った?」

「うん!かっこいい!てんしさんたちがおおきくなるの、たのしみだね!いつか、きっと、おそらまでのびて、おほしさまにとどくかもしれないね。そうしたら、ママとパパにもあえるようになるかな。」

「そうだね。会えるかもしれないね。」


 「裏庭に大きな木が三本あるのを知ってるね?それが、左からミカエル、ガブリエル、ラファエル。」

「へー。あの木に名前がついていたなんて、全く知らなかったよ。」

「だろうね。私はあえて、誰にも話してなかったから。」

「どうして?」

少し間を空けて、施設長が言った。

「……恥ずかしいだろう?子供だったとはいえ、木が伸びたら星まで届くと思っていたんだから。」

「木に名前があることを言うだけなら、そんなに恥ずかしくないと思うけど?」

「仮に私が、木に名前があると言っていたとしたら、颯介、君は私になんて返す?」

「多分……「どうして?」って言う。」

「そう、それだよ。特に颯介は、何事にも理由を聞きたくなるでしょう?そうしたら、また理由を言わなければならなくなる。だから、私は言わずにいたんだよ。」

「ははっ。なるほどな。」

このとき俺は、そんなことを考えていた施設長が、なんだか可愛く思えてしまった。


 そんな話をした流れで、俺は本題を切り出すことにした。

「……施設長。」

「どうしたんだい?改まって。」

「なんで、昨日…あの紙を見て『ガブリエル』と言ったの?」

「……ごめんね。わかってたよ。最初から、その件について聞きに来たんだよね。でも、私も聞きたいと思っていたんだ。「家と赤ん坊を抱いたガブリエル」は、先代が作ったこの児童養護施設の紋章だから。作っただけで、実際には使っていないから、紋章の存在を知っているのは恐らく先代と私くらいじゃないかな。なのに昨日、その紋章が書かれた紙を拾って驚いたよ。一体、どういうことなんだい?」

逆に聞き返されてしまった。

「そうだったのか!俺も昨日ちらっと見ただけだから、詳しいことはわからなくて……ははは……」

俺は、施設長に心配をかけさせてしまうことを恐れて、気が付いたら誤魔化していた。

「まったく君は……わかったよ。」

施設長は、俺が誤魔化したことに気が付いたからか、ため息交じりに笑った。

青柳さんのように、スマートにごまかせたら良かったのだけれど。

――ん?待てよ?

あの暗号が、本当にこの児童養護施設の紋章だったとして、先代と施設長しか知らないということは、あの暗号を作ったのって――

「他に、聞きたいことはあるかい?」

施設長は、いつもの優しいトーンで、俺の思考を遮った。

「あ、ああ……じゃあ、ミカエルでもラファエルでもなく、どうしてガブリエルを?」

「それはね、大天使ガブリエルは、子供や育児を手助けしてくれるというからね。先代も、きっとそこからとったんだと思うよ。ちゃんと聞いたわけではないから、私の推測だけれど。他に、聞きたいことは?」

「じゃあ最後に……先代は今、どうしてるんだ?」

「……理由を聞かないでくれるかい?」

「……わかった。」

神妙な面持ちになった施設長を見て、俺は頷くしかできなかった。

「亡くなったよ。十六年前に。」

「え……?どうし……」

俺は理由を聞こうとしてしまっていることに気が付き、言葉を飲み込んだ。

「教えてくれてありがとう。それじゃあ、今日は一旦部屋に戻るよ。」

そう言って、俺は施設長の部屋を出ようとした。

「颯介。」

「ん?」

「青柳さんには気をつけた方がいい。」

「……どうして?」

「変な事件に巻き込まれてからじゃ遅いからね。私は、颯介のことが心配なんだよ。」


 ――一体、どういうことだ?先代も十六年前に亡くなっている……?

これもまた、例の事件に関係があるのだろうか?

施設長が青柳さんを警戒する理由はなんだ?

先代が亡くなったときに、何かあったのだろうか?

繋がりそうで繋がらない、真っ白なジグソーパズルを解いているような感覚になった。

「一人で考えても、キリがねぇよな。ムタに相談しよう。」

俺は、ムタの顔を思い浮かべていた。

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