運命の出会い
「おい、お前たち」
放課後、賑やかな喧騒の中、高校から家路を辿る途中の道で、背後から確かにそう聞こえた。
しかし、振り返っても、そこには誰一人としていない。
夕焼けに染まる通学路には、友人たちの笑い声だけが響いていた。
一緒にいた連れたちは、何も聞こえていないかのように、今日の抜き打ちテストについての話をしながら歩いている。
「おい!聞こえているなら、こっちを見ろ!」
また声が聞こえた。
再び振り返るが、やはり誰もいない。
風が枯葉を巻き上げ、通り過ぎるだけだ。
「昨日は海外ドラマを観て徹夜しちゃったし……疲れてるんだな。きっと。」
その時の俺は、ただの空耳で済ました。
その次の日の朝――
俺は、とても急いでいた。
高校までの道のりを必死に走っていた。
なぜなら、「あと三日間遅刻をしたら単位はやらん!」と、鬼のような形相の教師に言い渡されていたからである。
一応、説明しておくと、俺の高校は都内にある単位制高校だ。
小学校、中学校と、遅刻で怒られる毎日から逃れるために、単位制高校に入学したはずなのに、午前に必修科目があった。
「おい、そこのお前!」
背後から、またあの声が聞こえた。
心臓がドクンと跳ねる。
これが正にデジャヴというやつだろう……と、俺はちょっとニヤけた。
「デジャヴ」という言葉が、昨日観ていた海外ドラマに、出てきたからである。
「誰だか知らないけどごめん、今、マジで急いでるんだ!」
そう叫び、走りながら軽く振り返るが、やはり誰もいない。
急ブレーキをかけるように足を止め、三百六十度、周囲を見渡す。
しかし、人っ子一人見当たらない。
少しだけ怖くなった俺は、一人、呟いた。
「デジャヴだ……」
「違う!デジャブというのは、一度も体験したことがないにも関わらず、既視感を覚える現象を指す……っと、それはさておき、後ろにいなければ、下を見ろ!」
確かに聞こえる、少し威圧感のある、しかしどこかユーモラスな声に従い、恐る恐る下を向く。
すると、そこにいたのは、白黒模様の一匹の猫だった。
そいつは、まるで当然のように、ちょこんと座って俺を見上げていた。
「お前、やっとこっちを見たな。まったく……手間取らせやがって!」
俺は、幻覚でも見ているのではないかと思い、目をこすってみたが、どう見ても、この猫が喋っている。
「はぁ!?猫が、喋っている!?」
この場にいるのは、俺一人だけだ。
あまりの衝撃に、俺は思わず二歩三歩と飛び退いてしまった。
心臓が喉から飛び出しそうだ。
「そんなに怖がることはないだろう!まぁ、いい。今日は忙しそうだ。また話そう。この通路は狭いが、お前の高校までの近道だ。急げ」
そう言い放つと、喋る猫は、短い尻尾で路地裏の狭い通路を指し示した。
そして、ひらりと身を翻し、近くの塀によじ登ると、あっという間に視界から消えていった。
「今の、何だったんだ……?」
急いでいたにも関わらず、呆然と立ち尽くしてしまった。
夢かと思い、自分の頬を強くつねってみる。
じんわりと痛みが広がり、どうやら夢ではないことを悟った。
この時の俺は、何故だかわからないが、この奇妙な喋る猫に、抗いがたい運命のようなものを感じずにはいられなかった。
これが、俺「颯介」と喋る猫「ムタ」の出会いである。
今日一日、俺は喋る猫のことを考えていた。
「今日もまた、遅刻したそうだな、颯介」
机に突っ伏していた上半身をのろのろと起こすと、そこには担任の教師である『市川先生』が、仁王立ちで俺を見下ろしていた。
その顔には、呆れと諦めが混じり合っている。
「げっ……市川先生……」
俺は咄嗟に口に出してしまった。
市川先生は『厳しい』ことで有名で、全校生徒、その名を知らない者はいないと言っても過言ではないだろう。
その眼光は鋭く、生徒指導室の常連である俺でさえ、背筋が伸びる。
本人に聞いたことはないけれど、歳は恐らく40代だと思う。
「げっ……とは何だ、颯介!……で、今日はどうして遅刻したんだ?また、夜更かしでもしたのか?」
先生は、最初は声を荒げたものの、途中でふっと息を吐き、少しだけ声を落ち着かせて俺に尋ねた。
その声には、どこか諦めのような響きがあった。
「すんません……今日は間に合うはずだったんです。でも、いきなり猫に話しかけられて」
「お前、何言ってるんだ?教師をからかって、楽しいか……?」
先生は、すごい形相で俺を見ていた。
「いや!違うんです……!いや、違くないんですけど!とにかく、すんません!」
俺はそう言って、急いで立ち上がり、そのまま走って学校を出た。
一人残された市川先生は、きっと呆れ果てているに違いない。
「あいつ、なんだか様子がおかしかったな。一応、連絡しておくか……」




