備忘録
大山岩男が殺された翌日のこと――
俺は昼休み中に、市川先生を尋ねに、職員室へ行った。
先生が、いつもお弁当を持ってきているのを知っていたから。
「市川先生いますかー?」
「市川先生なら、屋上かも。お昼休みは、屋上でお弁当を食べていることが多いから。」
俺はこの時、意外だなと思った――何故そう思ったのか、言葉では言い表せないが。
「市川先生。」
俺は屋上まで行き、お弁当を食べながら、空を眺めていた先生に話しかけた。
「おお…どうして、こんなところに?」
「それは、こっちが聞きたいっすよ。」
そう言うと、先生は少し照れたように笑っていた。
こんな顔で笑った先生を見るのは初めてだった。
「なんだ?俺の顔に、何かついてるか?」
そう言われて、ハッとした――俺は暫く、先生の顔を見つめてしまっていたらしい。
「そういえばこの前、俺、見ちゃったんですよね。」
「……何を見たんだ?」
先生の表情が、少しだけ引きつったのが分かった。
「十六年前の銀行強盗事件の新聞記事。なんでそんなものを持ってたんですか?」
「ああ、そうか。あの時、見えてしまったんだな。」
そう言うと先生は、ぽつりぽつりと話し出した。
「これは、両親や妻にしか言ってないんだが、あの事件の日、俺もあの銀行にいたんだ。もちろん、客としてな。」
先生は当時起こったことを話し始めた。
「強盗が入ってきて、妊婦が人質に取られたのを見て、俺は『自分じゃなくて良かった』そう思ってしまった。その時、一人の男性客が人質を変わると申し出た。俺はそれを見て、自分が恥ずかしくなったんだ。俺は、あの事件を忘れてはならないと思った。だから、新聞記事をとってある。いつか、大事な人たちの身に何かが起こった時、今度は俺自身が、ちゃんと動けるように。」
話しきった先生の表情からは、いつもの厳しさではなく、強い意志を感じた気がした。
「そうだったんですね。すんません、余計な事を聞いてしまって。」
「いや、いい。」
先生は、優しいトーンで、素っ気なく言った。
「っていうか、先生、結婚してたんですね!もしかして、毎日持ってきてるお弁当、愛妻弁当ってやつですか?」
「そんなこと、どうでもいいだろ!ほら、そろそろチャイムが鳴るぞ!」
「ははっ、いつもの先生に戻っちゃった……!それじゃあ、戻りまーす!」
俺はそう言って、先生よりも先に、屋上を後にした。
「はぁ……あいつに気を遣われるとはな。」
放課後、俺は青柳さんから事前に教えてもらっていた場所に向かった。
もちろん、ムタをリュックにしまって。
着いた先は、高層マンションだった。
「颯介、遅かったね。」
腕を組んで、壁に寄りかかっている幸人。
その隣には美紗がいた。
「どこかに寄り道でもしてたのかしら?」
「どうしてお前らまでいるんだよ!」
俺は驚いた。
「おや、聞いてなかったのかい?この二人がね、どうしてもって言うからさ。事件現場に一緒に居合わせたんでしょ?」
青柳さんがマンションの扉から出てきた。
「そうだけど……」
俺は二人を、これ以上巻き込みたくないと思っていた。
だが、二人はきっと、俺のために来てくれたんだろう。
その気持ちを、無下にはできなかった。
「まぁた、余計なのが増えたな。邪魔だけはしないでくれよ!」
溝端刑事は相変わらず、仏頂面をしている。
「あの人は誰?」
美紗が溝端刑事を指さして、俺に耳打ちをした。
「ああ、美紗たちは初めてだっけ。青柳さんの部下の溝端刑事。」
「あら、そうなの。ずっとあんな顔をしていたら、おでこにしわがよってしまいそうね……」
美紗が正直に言うものだから、俺はつい笑ってしまった。
マンションのエントランスには、当たり前だがオートロックがあり、青柳さんが事前に借りていた鍵を使用して、エレベーターホールへと向かった。
エレベーターは、全面ガラス張りで、二十人くらいは乗れる広さがある。
エレベーターから見える圧巻の景色に、俺は思わず見入ってしまった。
景色を見ていたら、あっという間に、大山さんの部屋がある二十階に到着した。
「ここが大山さんの部屋か。」
間取りは五LDK――とても広い家である。
今でこそ、大山さんはギタリストとして名を馳せていたが、十六年前までは売れないバンドのギタリストであったらしい。
メンバー間の不和が原因で、バンドは解散。
それからは一人で作曲活動を続け、人気を得たという経緯がある。
五つある部屋の一室は、しっかり防音加工されており、ギターが十数本並べてあった。
他にも、レコーディングで使用する機材がたくさん置かれている。
作曲やレコーディングも、ここでしていたのだろう。
失礼な話ではあるが、どの部屋も割と綺麗に片づけられていたことに驚いた。
人を見た目で判断してはいけない――俺は自分に言い聞かせた。
「俺にかかれば、きっと何か出てくるぞ!」
他のみんなが別の部屋を見ているときを見計らって、ムタがリュックから飛び出してきた。
ムタは機材の上をぴょんぴょん跳び、背の高い真空管のアンプの裏に飛び降りた。
俺は正直、この家からは何も出てこないだろうと思っていた。
「明らかに、十六年前に住んでいた家とは違うだろうし、何も出てこないんじゃ……」
と言いかけると、ムタは前回と同じように一枚の紙を咥えて俺の目の前にやってきた。
「おい、見ろ……」
そう言ってムタが、その紙を俺の足元に落とした。
「マジか……」
その紙には、後藤さんの家にもあった、謎の暗号が記されていたのだ。
「その暗号、だいぶ大事にしていたようだぞ。あの背の高い真空管アンプの内側の上部に貼り付けてあった。俺じゃなかったら、内側の上までは見えなかっただろうな。」
ムタは、誇らしげに言った。
「やっぱり、近いうちにそれを解く必要がありそうだな。」
俺は考えていた。
家の中にいる赤ん坊を抱いた天使、その隣には木と下向きの矢印――
この暗号を、短期間で再び見ることになるなんて。
ということは、大山さんも十六年前の事件に関連している、ということだろうか?
「颯介。」
暫くすると、幸人と美紗がやってきた。
ムタは人の気配を感じていたのか、気がついた時にはどこかに隠れていた。
「まさかだよ。見て、これ。」
幸人が一冊の古びたノートを持ってきた。
そこには、綺麗とは言い難い字で『備忘録』と書かれていた。
大山さんのものだろうか――幸人がページをめくっていく。
四月一日
価値観の違うやつとは何をやっても上手くいかない。
きっと、音楽だけじゃなく、なんだってそうだ。
四月二日
バンドを解散することにした。
俺のやりたい音楽で、世界に認められるまで、あがこう。
四月三日
曲作りが捗る。
やりたい音楽ができるのは楽しい。
四月四日
今日から、暫くレコーディング。
我ながら、いい曲たちが生まれたと思う。
どこかの誰かに届くことを願って――
もうすぐ、貯金が尽きそうだ。
来月からはアルバイトをしなければ。
早く、音楽一本で食っていけるようにしたい。
五月一日
今日はソロ活動を始めて、初ライブだった。
俺の曲や演奏を気に入ってくれた兄ちゃんがいた。
素直に嬉しい。
ライブ後の箱での打ち上げにも参加してくれた兄ちゃんに、俺は酔った勢いでいろいろ話した。
前にやってたバンドのこと、音楽のこと、お金のこと――
帰り際に、連絡先も交換した。
五月五日
例の兄ちゃんから連絡がきた。
金がほしくないか、と。
俺はちょうど、アルバイトを探していたところだった。
その誘いに乗ることにした。
五月六日
兄ちゃんから、銀行強盗の計画書を受け取った。
『殺し』はしたくないと言った俺に、兄ちゃんは言った。
殺す必要はない、と。
五月十五日
人が二人も死んだ。
俺は殺してない、俺は殺してないんだ。
今日、初めて会った勝気な女が撃った。
脅しのために、進入時に発砲しろと言われていたが、俺にはできなかった。
俺の代わりに発砲したその女が、わざと銀行員を狙って撃った。
妊婦と人質交代を名乗り出た、勇敢な兄ちゃんも――
俺は、人質をとっただけ……
警察が来るのも、思ったより早かった。
複数に分かれて逃げた。
だが、数時間後に、気弱なおっさんだけが捕まって、自殺したらしい。
五月十六日
この計画を持ち掛けてきた兄ちゃんは、一体何者だったんだろう?
そういえば、兄ちゃんが普段何をしている人なのか、俺は知らない。
盗んだ五千万円は、あの気弱なおっさんが、捕まる前にどこかに隠したと聞いた。
今日、兄ちゃんが渡してきたこの謎めいた暗号が、隠し場所のヒントなのか?
さっぱりだ。
もし、この暗号を解いたら、俺はどうなる――?
残ったやつらで山分け、とはならない気がする。
きっと、殺される。
五月三十日
五月十六日以来、あの兄ちゃんとは連絡が取れなくなった。
それでいい――
これ以上、関わるのはやめよう。
俺は、間違ったことをしてしまった気がする。
でも、自主なんてできない。
まだ、やりたいことがたくさんあるんだ。
神様、どうか、俺を許してくれ。
大山さんの備忘録には、十六年前の事件について書かれていた。
「僕の父親を殺したのは、女だったのか……この連続殺人の犯人と同一かな?どう思う?」
幸人は冷静に言った。
俺たちに心配させないように配慮したのだろう。
「ああ、その可能性は高いと思う。けど、この『兄ちゃん』ってのは、今、どうしてるのか――」
俺も真面目に答えた。
「この『兄ちゃん』っていうのは、誰なのかしら……?」
美紗がボソッと呟いた。
「十六年前の銀行強盗事件を計画した人物だろ。」
「十六年前の銀行強盗事件を計画した人物だよ。」
俺と幸人は、声を揃えて言った。
「それはわかるわ。そうじゃなくて、妊婦さんを守って亡くなった人……この人にも、幸人のお父さんみたいに家族がいたのかもしれないと思うと、胸が苦しいわ。」
――このとき、俺は気が付かなかった。
美紗が自分の生い立ちについて、気にし始めていたことに。
「颯介!どうだい?そっちは?」
青柳さんと溝端刑事も俺たちの声を聞きつけてやってきた。
「幸人と美紗が、すげぇもん見つけてきたぜ。」
例の備忘録を青柳さんに見せた。
一瞬、青柳さんの顔が曇ったのが分かった。
「これはまた……すごいものを見つけたね。捜査の協力に感謝するよ。」
だが、そう言ってすぐにいつもの調子に戻った。
俺はムタが見つけた謎の暗号も渡した。
「なるほどね。二つの事件は繋がった。これは間違いなく、十六年前の銀行強盗事件に関連している。そして、この暗号の指し示す場所に、銀行から盗まれた五千万円がある可能性が高い。当時の犯行グループは五人。そのうちの三人が既に亡くなってしまっているから、残りは二人。これから起こり得ることとして考えられるのは……」
「二人とも殺されるか、どちらか片方が殺されて、もう片方が五千万円を独り占めってところ?」
「何者かによる復讐ではなく、当時の犯行グループのメンバーによる五千万を狙っての犯行である場合、女と、もう一人が協力しているという可能性もあると思うが。それなら、これ以上、被害者は出ない。」
溝端刑事がこちらを睨みつけながら言った。
「いや、今のところ、女が一人で動いているのを見ると、そうとは考えにくい。僕は、颯介が言った、どちらかだろうと思ってるよ。」
青柳さんが、俺の方を見て微笑んだ。
「見て、すごい顔しているわよ。あの刑事さん。」
美紗がまた耳打ちしてきて、俺は笑いそうになった。




