幸人と美紗
「美紗、颯介のことだけど、何か変じゃない?」
「奇遇ね。私も同じことを考えていたわ。」
颯介が「喋る猫がいると思うか?」と、児童養護施設内の人々に聞いて回っていた日のこと。
二人はいつもと様子が違う颯介を見ながら、ひそひそと話をしていた。
颯介はよく言えば「楽天的」、悪く言えば「適当」な性格をしている。
そんな颯介から、真剣な顔で何かを問われることなんて、今までほとんどなかったのだ。
しかも、その内容が「喋る猫がいると思うか?」なんて――
「そういえば、ここ数日間、明け方まで探偵物の海外ドラマを観ていたようだから、ただの寝不足ってこともありえるよね。」
「昔から、何かに没頭するところがあったものね。推理小説とかは特に。」
この日から、幸人と美紗は暫く、颯介の様子を伺うことにした。
何があっても、夕飯の時間には必ず帰ってくる颯介が、何の連絡もなく帰ってこない日があった。
「幸人、颯介はまだ帰ってきてないの?」
美紗は、食卓に颯介の姿が見えなかったため、幸人に尋ねた。
「まだ帰ってきてないよ。珍しいよね。いつもは食卓に夕飯が並ぶ前には席についてるのにさ。この前も、呼びに行くまで来なかったし。」
「……そうね。それなら、颯介の分を分けておくことにするわ。」
「うん。そうしてあげて。きっと、お腹を空かせて帰ってくると思うから。」
幸人は、クラスは違うが、颯介と同じ単位制高校に通っている。
颯介はA組で、幸人がG組だ。
学校全体がコの字になっており、中央には中庭がある。
A組からはG組が、G組からはA組が窓からちょうど見えるような造りになっている。
校舎の中庭に面する席に颯介と幸人は座っているため、見ようと思えば、お互いの姿が見える。
単位制の高校だから、常に見えるわけではなく、クラス単位での授業のときだけに限られるのだが。
その日、幸人が授業中に、窓越しに見える颯介の様子を伺ったときのことである。
颯介がやけにソワソワしているように見えた。
授業が終わるとすぐに、颯介は帰る身支度をし、教室を足早に出ていった。
幸人も急いで帰る準備をして、教室を出た。
この校舎には、A組前、G組前、中央と、三ヶ所に階段がある。
幸人は、ギリギリ追いつけるかもと、教室を出て目の前にある階段を駆け降りた。
しかし、颯介の姿は見当たらなかった。
このとき、颯介はA組の前で、市川先生に捕まっており、階段を降りていなかったのである。
幸人は諦めて、一人で帰った。
この夜に幸人は、例の十六年前の銀行強盗事件の犯行グループの一人が、今更になって殺されたことについて、颯介から聞くことになった。
その翌朝のこと。
いつもより早く目が覚めてしまった幸人は、自室の椅子に腰をかけた。
「あんなに心配そうな顔をした颯介、初めて見たなぁ。」
幸人は、一人呟いた。
そのとき、窓の外におじさんのような柄の猫がいることに気が付いた。
「ニャー!ニャー!ニャー!」
部屋の中まで聞こえるほど、ものすごく大きな声で鳴いている。
お腹が減っているのだろうか――
しかし、幸人は猫に食べさせていいものを知らなかった。
「ニャー!ニャー!ニャー!」
猫はずっと鳴いている。
「はああああぁぁぁ~」
颯介が欠伸をしながら、二段ベッドから降りてきた。
「颯介、珍しく早いね。その猫、さっきからここで鳴いてるんだけど……」
「……ったく、どうせ腹でも減ってるんだろ。ちょっと行ってくる。」
颯介はそう言って、猫のもとへ向かっていった。
窓越しに話し声が聞こえる――
どう聞いても、颯介の声しか聞こえない。
颯介の前にいるのは、おじさんのような柄の猫だけ。
幸人は窓を開けて、颯介に呼びかけた。
「何か喋り声が聞こえると思ったら……颯介、まさかその猫と話してたの?大丈夫……?」
「だ、大丈夫だって!ほら!たまにあるだろ?動物と戯れたいとき!」
「まあ、いいけど。颯介が動物と話してたくらいで、友達はやめないさ。」
これは、幸人の本心である。
颯介がおかしくなってしまっても、自分は友達でいるよと。
その日の朝食の時間――
「美紗、ちょっといい?」
「どうしたの、幸人。」
「颯介のことなんだけど…今さっき、猫と話してるのを見たんだ。」
再び二人は、ひそひそ話をしていた。
「それはとても気になるわね。猫は九つの命を持つというわ。」
「そっち?」
「冗談よ。」
「やっぱり、ちょっと心配かも。今日の放課後、颯介の後をつけてみようと思うんだけど。」
「賛成。私も一緒に行くわ。」
美紗は、颯介と幸人とは別の高校に通っている。
だが、颯介たちの高校から五分ほどで着く場所にあり、待ち合わせは簡単だった。
二人の間でこんな約束がされていたなんて、颯介は一切気がついていなかった。
放課後――
無事に合流することができた幸人と美紗。
颯介は、昨日に比べるとのんびり帰り支度をしており、幸人の方が先に校門を出た。
「あれ、まだ出てきてないよね?」
颯介がなかなか出てこず、幸人はソワソワしていた。
この時はちょうど、颯介は市川先生に聞きたいことがあり、職員室に寄っていた頃だ。
「星が出てきました……!」
「美紗……君、楽しんでるね?」
「とても楽しいわ。さて、バレないように追跡しなくては!」
颯介の後をつける幸人と美紗。
暫く後をつけると、急に颯介が走り出した。
「美紗、ちょっと前に出すぎ!気づかれたかもしれないよ。」
「ごめんなさい……」
颯介が路地裏に入っていく姿が見えた。
ついていこうとする美紗を、幸人が制止した。
「待って。こんなところにずっとはいないよ。ちょっとしたら出てくると思う。颯介が見えるところまでゆっくり近づくよ。」
近づいていくと、颯介の声が聞こえた。
「よし、と。さて、行きますかー。」
「――今だよ。美紗、僕たちも行こう。」
こうして、幸人と美紗は颯介とともに、観覧車のある公園に向かうことになったのである。
幸い、ムタをリュックにしまいこむところは目撃されなかったようだ。
しかし、この時、もう一人の誰かにつけられていたことに、幸人も美紗も気が付いていなかった。
初めて目の前で人が亡くなったのを見た幸人と美紗。
「人は死ぬもの」であるということをよく知っていた幸人も、このときは動揺した。
美紗も最初は恐怖に震えた。
そんな状況で颯介は、真っ先に現場へと駆けていく。
「――颯介!」
幸人の声は届いていなかった。
まだ犯人が近くにいたとしたら――
ステージに上がって身をさらしている颯介が、撃たれてしまうのではないかと不安になった。
観客たちはパニック状態で、逃げるためにステージからどんどん遠ざかっていく。
その傍ら、幸人と美紗は固唾を呑んで颯介を見守っていた。
幸いにも、それ以降、銃声が聞こえることはなかった。
安心した幸人と美紗は、再び颯介に呼びかける。
「颯介!!」
颯介の顔が、一瞬にして青ざめたのが分かった。
「悪い、俺がステージを覗いてみようなんて言わなければ……」
こんなに弱々しく喋る颯介を見たのは、幸人も美紗も、初めてかもしれない。
この時、幸人と美紗は思った。
それと同時に、二人を包んだ恐怖は消え、颯介に自分たちは強い――と伝えなければならない、という使命感に駆られたのだ。




