12 ピンクの雲
「さて、そこで貴女の今後なのですが」
「無視か、あたしの怒りはガン無視かっ」
人生設計狂わされたんだぞ、一生を非科学的世界に縛り付けられる恐怖がわからないのかと喚いていたら、謝られた。すっごいおざなりで、はいはいどーもごめんなさいねぇ、的ないい加減さで。
「ひどっ!誠意はないのかっ!」
「何があろうとなかろうと、現実に大きな変化はないので諦めてください。貴女を元の場所へ帰すための努力は死ぬまで続ける気でおりますが、そうできない可能性の方が圧倒的に大きいのです」
そのために今後を考えるのですよ、と。何とも申し訳なさそうに言われたら、これ以上の反論はできなかったのだ。
泰紀さんがあたしの帰還を約束しなくなった頃から、薄々覚悟していたからだろうか。はっきり断言されたのはショックだけど、やっぱりかという諦めの方が勝る。ただ最後通牒が想像と少し違っていたのは、彼があたしを返す努力を一生し続けてくれると言ったことだろう。
結果はやっぱり帰れないでお墓に入るのだとしても、だめだからそれまでって割り切られちゃうよりすっきりはする。だってやっぱりテレビもアイスもスマホもケーキもそう簡単には忘れられないもんなのよ。あ、一番はお風呂とトイレかもしれない。水回り万歳だ。
なので、難しい顔していやいやって風を装い頷くのは、ちょっとばかり難しくもあったのだ。なにしろそんなに渋々ってわけでもなかったからね。慣れって怖いわぁ。
「わかった、わかりました。それならちょっとだけ譲歩する。で、今後?だっけ?」
少し尊大に上から目線で問えば、苦笑で頷いた泰紀さんはそう今後ですと重々しい。
「今、貴女の立場が私の妻だというのは覚えていますか?」
「う、うん。覚えているともさ、ええ、覚えているよ」
そんな、改めて確認されると忘れてたとは言い難いじゃないの、ねぇ。
ま、誤魔化せないのは呆れた泰紀さんの視線で気づいてたけどね。
「…思い出していただけたようで、重畳です。それを踏まえてですが、私と正式な婚姻を結ぶつもりはおありですか?」
泳いでた目が、一瞬で激戻りして目の前の顔をガン見しちゃう程度には、びっくり発言だった。
初めに約束した通り、世間的に結婚していようとこれまで通り自由気ままな毎日を満喫していたあたしにとって、きちんと結婚するというのはかなりの衝撃だ。なにしろ元いた場所でならまだ学生生活を満喫できるお年頃である。きちんとした人生設計なんぞ、思い描いたこともない。
「せーしき…?っていうと、何が違うの、今までと」
わかっていても聞いてみたいのがあたしという人間だ。
やれやれと顔を顰めた泰紀さんが、こちらの想像と違う結婚をしようとしてたらいけないじゃない?だからちゃんと確認をと思ったんだけども。
「閨を共にするでも、共寝、同衾、何でも構いません。ともかく寝所を分けぬこと、子を作り共に育てること。ここが違います」
「…はあ、ご丁寧にどうも」
真顔で主に夜の出来事についての説明、痛み入ります。
ぺこりと礼に頭を下げて、ではっと立ち上がり逃げかけたら袖を引っ張られた。それも思いっきり。
「うおぉうっ」
「色気も素っ気もないですね」
易々と腕の中に引っ張り込んだあたしの頭上で、お得意のため息を零した泰紀さんはそのまま髪に顔を埋めるといい加減待ちくたびれたのだと零す。
「これでも努力はしていたんですよ。花が美しければ庭に誘い、月が出ていれば階で一緒に眺める時間を作った。けれど貴女はすぐに妖達を同席させようとするし、少しでも色を含んだ雰囲気になれば逃げだしてしまう。どうしたものかと考えあぐねていたところで、これ、でしょう?」
ごつごつと以外に骨ばった手が持ち上げたのは、トラに噛まれた腕だ。大きく動かすとまだかすかに痛むそこをするりと撫でて、泰紀さんは全く目が離せないと不機嫌そうだ。
「攫われることはあるかもしれないと思っていましたが、殺されかけるとまでは考えたこともなかった。なにしろ妖達は貴女に妙に懐く。危害を加えられることはないと高を括っていたのですがね。だが、おかげで目が覚めました。貴女相手にのんびり構えていては、いつか失うかもしれない。急いで捕えておかねばならないのだと」
「え…監禁ヤンデレはごめんなんだけど」
うっかり呟いてからしまったと口を噤んでも時すでに遅し。じろりと上から睨み下ろされて、亀の如く首をひっこめた。
「監禁などしませんよ。貴女を閉じ込めることなどできないと、私が一番知っていますからね。そうではなく、正式な妻にしたいと言ったのです。一生を貴女と共に在りたいと」
急に甘くなった声色に、ぎょっとしたというのが本音だ。
その心境を表すならば、ずっと逃げ回ってきた敵と鉢合わせしちゃった感、かな。薄々危ないなぁと思ってたにもかかわらず、うっかり踏み入れちゃった底なし沼みたいな。
碌な表現じゃないけど、これに他ならない。
「いえ、あの、ね。ちょっと落ち着こうよ、うん、マジで」
「落ち着いていますよ、私はね」
とりあえず泰紀さんの腕の中にいるっていう危機的状況を打破しなくてはともがくんだけど、ちっとも脱出は叶わず、それどころかますますぎっちり抱きしめられてシャレにならない甘ったるい笑顔なんか向けられた。
これって、世紀末な感じだよね?破滅の予感がヒシヒシだよね?ってか、こんなの冷酷無比な家主様じゃない、どっかにどっきりでーすって看板持ったファンキーな兄さんが隠れてるんだよね?!
「返事をください、朝霞の君。私の妻になってくださいませんか?」
「ぎゃーっ!!なんてこというのっ!死ぬでしょ、あたし死ぬでしょっ!!」
信じられないとか、恥ずかしいとか、ありえないとか。
ありとあらゆる否定を叫んでいた気がする。ずーっとずーっと、叫んでいた気がする。
…するのに、なんかそのままなし崩しで、その晩あたしは何故だか泰紀さんの本当の奥さんになっちゃった…気もするんだよ。
なんでだっ!!!
「…なんでだって、思うよね?思うでしょ?!」
「そうじゃな、思わなくもないな」
「今更な気もするけどね」
「そうですわね」
「ええ、そうですわね」
夏の初めだった。暑くなり初めの、じんわりと汗が浮かぶような陽気。
周囲から妖屋敷と呼ばれる橘邸は、あたしが住み始めてから四年過ぎても相変わらず人間より妖の住人の方が多い。噂違わぬ人外パラダイスなんだけど、最近ここに人が一人増えていた。
「ふんぎゃーっ!」
「え、え、何で泣くの?!俺、何にもしてないよっ」
「顔が怖かったんだろう。かしてみろ」
「みっ!みぎゃーっ!!!」
「!!」
「なにやっとるんじゃ、お前たちは。ほれ、朝日。じじんとこへおいで」
「ううぅ…?うきゃーっきゃっきゃっ」
「おーよしよし、いい子じゃな」
「…蜘蛛って子守りの才能あったんだなぁ。今度生まれたら家も頼もう」
橘家の一の姫、朝日は何を隠そうあたしが生んだ娘である。父親は、そう、あれよ。うん、まあ、なし崩しというか成り行きというか、そんな感じ。
ぎゃんぎゃん騒いだわりにはまんまと流され、すっかりここに定住しちゃった感が否めない毎日だけどそれなりに幸せではある…気がする。
「ふむ…さすがおぬしとあやつの娘じゃ。中々に良い妖力を持っておる」
ぺろりと唇を舐めるなんてあまり上品ではないけれど、なんでだか姫がやると妖艶で見とれちゃうから不思議である。とはいえ、言ってることはいただけない。
「こらこら、食べちゃダメだからね。まだあの子は自分で誓約も契約もできない乳飲み子なんだから」
呆れ顔で窘めては見るけれど、桃、鶸ちゃんや奥さんの心配そうな様子を見る限り、一歳前の赤ん坊と言えどこのままってわけにはいかないんだろうなとうすうすわかってはいた。
朝日は両親の無駄に容量のある妖力をがっつり受け継いでいて、現状で既に妖から極上餌認定をされている先行き不安なお子様なのだ。
まあ、姫が『生まれる前から観察しているので興味深い』とか言っちゃって勝手に守護者に名乗りを上げてるから今のうちは大丈夫だろうけど、親としてはずーっと彼女を楽しませることができるよう娘を育てられるか、不安の限りである。怖い怖い。
「なーなー朝霞。朝日、いつになったら俺にくれるの?」
このお菓子頂戴的な発言を普通に繰り出す赤くんも、
「貴様にやるくらいなら私が貰い受ける」
何気に自分も欲しい発言する鴉も、勿論不安材料だね。
「嫁に欲しいなら朝日に嫁に行きたいって言わせるくらいアプローチしてみたら?あたしは、その子が幸せになれればなんでもいいし」
「私はちっともよくありませんが?」
だが、一番の不安はこの男。家主改め父親泰紀さんである。
「朝日は誰にもやりません。私の大事な娘ですからね」
「馬鹿言わないでよ。そんなんじゃ一生独身になっちゃうでしょ」
忙しいはずなのに暇があれば屋敷にいたりするこの親バカは、おじさんの手から愛娘を取り返すと百年の恋も冷めるだらけ切った顔で朝日に頬すりを繰り返している。
「独身は可哀そうですからしかるべき時に適当な男を選んであげますよ」
どうしよう、取り敢えず一回殴っとこうかな。
「ほほほ、非力な朝霞には無理であろうから妾が代わって仕置いてやろう」
「まあ、でしたらわたくし達もお手伝いさせてください」
「ええ、是非」
「わたしもご一緒に」
そんなあたしに反応してすかさず女性陣も殺伐とした発言をする。
そうだよね、子供の人生を親が勝手に決めちゃまずいよね。しかも女の子なら尚更、我が家では反発喰らうよね。
うんうん頷いていたら、
「やれやれ。相も変わらず騒々しい連中じゃな」
おじさんが苦い笑いでざわつく室内をそんな風に揶揄した。
強制連行でこのパラレルな平安時代に飛ばされてからずっと過ごしてるこの屋敷は、確かに随分人口密度が上がってうるさくなったと思う。
ま、だから二度と帰れない寂しさを少し、紛らわせられたんだと思うけど。
「いーんじゃないかな。ともかく今日も、絶好調に雲がピンクだからさ!」
最近、静かを好む茶飲み友達と化しているおじさんと空を見上げ、今日も平安京を満喫中です。




