王子様襲来1
「ねえ、王太子様ってどんな人なの?」
祈りの間からの帰り道、廊下を歩きながら、あたしはジギリスに尋ねた。
昨日、ちびっこ女官のシラが持ってきた知らせは、冗談でもなんでもなくマジだったらしい。お陰で戦々恐々だよ。
昨夜から今朝に掛けて、急遽、入念なお肌のケアとかマニキュア塗りとか始められてしまっております。お披露目式を思い出しちゃった。髪に対する熱意が一番凄まじい。なまじ長いもんだから、大量の髪油を擦り込まれ、洗われ、乾かされ、そのうえまた別の髪油……。エンドレス。あたしはぐったりしてされるがままだった。
通常通り朝の挨拶に来た男どもが、屍のあたしに目を丸くしたほどだ。けっ。
ジギリスは物珍しげに、当社比三倍くらいにさらさらになったあたしの髪を一房つまむ。引っ張るな。
「そうだねえ、頭の良い方ではあると思うよ。機会の見極めに優れた方というか」
王様にお目通りした時に、ちらっと顔を見てはいるんだけど……。まあ今となっては覚えてないよね。格好良かった印象だけが残ってるよ。
だいたい、王様だって、街で見かけたとしても分かる自信ないし。茶髪でお髭のおじさんだったような、ぼんやりした記憶しか残ってない。
貴族の人達からもいっぱいお見舞いの品物が届いてるみたいで、それの処理にも頭を悩ませているところだというのに。
だれか助けて欲しい……。切実にプリーズ。
王子様はお昼時にやってくることになっていた。お見舞いの品に代えて、昼食メニューを殿下お抱えシェフが用意してくれるそうなのだ。そもそもルディカづきの料理人と王族づきの料理人が違うことを初めて知った。全部同じ厨房で一緒くたに作っているものだとばかり。
あたしは普段より品の良いワンピースに身を包み、うろうろと応接間を徘徊していた。うー落ち着かない。
ドレスとか着なくて失礼にならないのか不安なんだけど、一応、楽な格好で良いと、昨日書状を持ってきた使者も言っていたらしい。
そもそもルディカは聖女だから、多少質素にしていても名目としては問題ないらしいよ。治外法権のお姫様でもあるから、豪華な衣装が欲しいとわがまま言っててもそんなもんらしいけど。
とはいえ相手は王族だ。髪の毛はきちんと結われたし、薄化粧に見えるようなナチュラルメイクも施されている。普段は眉毛書いてリップ塗る程度なのに。足下も、いつもの味も素っ気もないつっかけとは違い、きらきらしたミュールのような、踵のあるものを履いている。
「ハス、大丈夫?」
晴れて女官の制服を着用したルメーリアが、突っ伏すあたしに声を掛ける。
「大丈夫じゃないけど……やるしかないじゃん……」
「何かあったら声を掛けるから、頑張って」
「お願いします、本当に」
先触れがあり、十分にあたしをじらした後で、その人は姿を見せた。
「本日は時間を取っていただき感謝する。改めて自己紹介を。我が名はカフィア・リリヤ・フォセカ。先日の父への謁見の際は、満足に挨拶もできず申し訳ない」
優雅に礼をした青年の肩に、編み込んだ髪が滑り落ちる。呆然と見やって、あたしは慌てて礼を返した。
「こちらこそ、わざわざお見舞いに駆けつけていただいて、ありがとうございます。あの、成木蓮子です。ど、どうぞお掛けください」
やばい。やばいやばい。
散々練習した言い回しが吹っ飛びそうだ。
王子様だ。王子様が目の前にいる。
用意してある椅子に、カフィア殿下は「失礼する」と言いつつ腰掛ける。ゆったりと余裕のある動きがいちいち高貴だ。なにがなんだか分からないけど、とにかく高貴だ。
鼻筋が通っていて、目は穏やかそうに細められる。分かりやすいはっきりくっきりした美形ではないけど、整った顔。バランスが良いっていうのかな。紺色の涼しそうなコートがよく似合っていた。
ジギリスも王子っぽいと思っていたけど、本物を見た後では全然駄目だ、紛いものだ。
セミロングくらいの茶髪はあたしの中の王子のイメージではなかったけど、そんなこと気にならないくらい、この人は王子様だった。むしろ一本だけの細い編み込みがお洒落で、さすが本物の王子様は違うなあって感じ。なんというか、似非王子とは違って正統派なんだよ!
「ハスコは十七だったか? 私も先日、同い年になったのだよ」
まさかの同級生……。必死で相槌を打ちながら、あたしは絶望した。
カフィア殿下は鷹揚に笑う。
「それほど緊張しなくとも良い。楽にせよ」
「すいません……」
もうなんか頭下げたい。謝りたいよ……。庶民には無理だよ……。
しおしおとしょげながら、あたしは殿下の向かいの席に腰を下ろした。ミバヤさんと王子の従者が、手早くテーブルを整えていく。あー、スープ美味しそうだなー……。
「ふせっていると聞いたので心配していたが」
「もうすっかり元気です。ご迷惑お掛けしました」
「なに、迷惑を掛けたのはこちらの方だ。せっかく貴きルディカが我が国を選んで滞在してくださっているというのに、御身の傍まで、侵入を許すなど。不手際を謝罪する。このデイモールに、愛想をつかさずにいてくれると嬉しいのだが」
「あ、あやまらないでください。それにこれまで十分、良くしてもらってますし」
「今代のルディカはとみにお優しいと聞いていたが、真のようだ。ありがたい」
「そんな、もったいないお言葉です……」
会話が続いているだけであたしを褒めて欲しい。
カフィア殿下が食べ始めたので、あたしもパンをちぎり、咀嚼する。うー、味がしない。とっても美味しいはずなのにー。
「殿下こそ、お忙しいと伺ってますけど」
そうだ。王宮の一角に間借りして、ほぼ引きこもってるあたしとは違い、王族の皆々様というのはたいそうお忙しいらしい。
会議に式典に、来賓のもてなし。日夜開かれるパーティーへの出席に、王宮内外の施設の視察。時には国外へ出かけ、各地の偉い人と外交する。普段の食事すら、仕事の会食のようなものだとか。
この間のお披露目式でひいひい言ってたあたしには考えられない。王宮では常に人目にさらされて、どこでリラックスするのだろう。
王族ってもっと好き勝手に優雅に暮らしているイメージだったんだけど。過去のフランス王国的な。マリー・アントワネットみたいのは極端としても、ルイ十四世とかさ。あー、でも太陽王陛下の生活って実は儀礼ずくめだったんだっけ? 現代の皇室とか英国王室とか、常にパパラッチに追い回されてるしなあ。
多少見られるくらい動じないのか。日々の行事を悠々と楽しめるからこそ王族なのか。
「あたしなんかにお時間を裂いて大丈夫なんですか」
あたしの問いに、カフィア殿下はさらりと答えた。
「問題ない。普段、この程度のことで批判されるような仕事はしていない」
おおう、一回そんな台詞言ってみたいね……。
しかし威厳たっぷりなお言葉の後で、殿下は微笑を見せた。
「ふふ、実は父には伺いを立てていないのだが」
「国王陛下ですか?」
言い方になにか含みを感じる。なんなの。
「ハスコが気にすることではない、いくら陛下とて口出しはできぬよ。私は王族として、ルディカに誠意を見せに参ったまでだ。とりわけ、今回はこちらに非があるのだから。シリフ嬢から聞いたであろう? 囮を出して、不穏な動きを泳がせたのは、こちらの責だ」
「いや、そこは。あたしも、自覚なく出歩いていたので」
居心地が悪く座り直すあたしとは対照的に、殿下は落ち着いたものだった。綺麗な所作で、蒸した鳥を口に運んでいる。あ、このソース、少し酸味があっておいしい。
この国の王子様となんぞ向かいあって食事する。こんな機会、そうあったものでもないだろう。
あたしは意を決することにした。男も女も度胸が大事!
この際だ。聞いてしまえ。
最高権力者に最も近い人の、考えを。
「……あの、一つ聞きたいんですけど」
「なにか?」
「今回の事件に関わった人達って、どうなるんですか?」
「そなたの侍女のことか?」
さっくり返されて、一瞬、自失する。筒抜けか。そうだよな。
「そうですけど、それだけでもなくて。主犯格の人以外にも、たくさん、捕まってるんじゃないですか」
カフィア殿下は頷いて、食器を置いた。銀のカトラリーは微かな音すらも立てない。さすが。
「まだ処分は確定していないが、あの家は取り潰しになるだろうな。他に関わっていた家が二家あるが、そちらも同様だ」
「それは変わらない決断ですか」
「変えようもない。我が国を売り、危険にさらしたのだ。許すわけにはいかぬし、周りも納得しないであろう。厳罰を与えねば、侮られるのは王家、ひいてはこのデイモール自体だ」
う、と言葉に詰まる。そこまでは考えていなかった。自分の考えの浅さを思い知る。所詮ただの女子高生には、為政者の思想や立場にまで、なかなか思いが及ばなかったので。
「で、でも、実際に手を染めていない人もいるでしょう」
殿下の表情から、答えが見て取れた。ああ、駄目だと言われる。お前の考えは甘いと言われる。あたしは身構えた。
「そんな人達にまで、罰が必要なんですか?」
――でも、例えどんなに無謀だからといって、言わないという選択肢を、挑戦しないという選択肢を、自分に許したくはなかったのだ。
ねえ、モモちゃん。
「手を染めた、染めていない、その判断がどうしてできよう? あるいは気づいて知らぬ振りをしたのかもしれない。また、あるいは気づかなかったのだとしても、だから許すべき、と私は思わない。貴族の義務として、身内の不始末は、未然に防ぐべきであった」
連帯責任というやつか。理解はできる。納得いくかは別だけど、システムとして理解はできる。そして理解ができてしまうから、うまく反論できずにいる。
ああ、ここが日本なら、と思う。
あたしは襲われて怖い思いをした。犯人は既に捕まっているのだから、後は警察と司法に任せれば良い。あたしは日常に戻ることだけを考えれば良い。犯人のことなんて、忘れてしまえ。
でも、ここは異世界で、あたしの常識とは違う人達が、あたしの常識とは違う罰を下す。それが異世界の基準で軽いのか重いのか、実感として分からない。
本当は、考えたくない。
彼らを恨まないとは言えない。重い罰を与えられて可哀想、とも言えない。そんな無私の聖女じゃない。だってあたしは怖かった! あの刃の光を思い出すと、未だに身が竦むほど!
でもだからといって、あいつら死ねば良い、とまで言えるか。いや、本心では死ねば良いと思っているのかもしれない。そういう自分を認めたくないのかも。良い子でいたい、そういう気持ちも、きっとある。
例えばここが日本だったとしたら、あれは殺人未遂や傷害罪になるのかな。そういうのって懲役かな。死刑にはならない気がするな。それならそれで良いんだ。死ね、とまで強く思えない。そんな自分を自覚したくない。
あたしに関係のないところで、ただ、正当な罰を与えてくれればそれで良かった。もうこんなことに関わらず、考えなくて済むならそれで良かった。
ああ、ここが日本なら良かったのに。
「そなたを襲撃したもの、王宮に侵入した者、また、計画を立てた者、それに実際に協力した者。これらに関しては、処刑はまぬがれないであろうよ」
聞きたくなかったな。そう思う自分がいる。
今回だって、ピーチュが――あたしが知りあった人が、関わってさえいなければ、もしかすると見ない振りをしていた。きっと素知らぬ振りをしていた。
「そなたが先程申した通り、反逆を知らなかった者、知っていて見逃した者に関しては、すぐには判断がつかないところだ。家は潰し、家名は剥奪する。見せしめが必要だからな」
もう二度と、同様の事件が起こらないように。起こそうと思う者が出てこないように。
かつてルディカを陥れようとした令嬢の家は、今に名を残さない。それに協力したターレン家も、有力貴族だったにも関わらず、本家の血流を途絶えさせられた。
「ただし、そなたの言うように、彼らは実際に手を染めたわけではない。彼らの生死、彼らに与える罰については、裁決まで、今暫くの時間が必要となろう」
例えば貴族の身分を剥奪されて、それでも生きていく。それが幸せなのか、それを望むのかすら、あたしには分からない。
ただ、考えるにしても、あの強情な侍女を説得するにしても、時間が必要なのは確かだ。そう考えると、この情報は有益なものだった。あたしは壁際に控えるリアと視線を交わす。即断即決で全員が処刑、となったらどうしようかと思った。
視線を戻すと、カフィア殿下が面白そうにこちらを見ていた。
「ハスコが望むなら、より多くの時間を稼いでおこうか」
「本当ですか!? っと……すいません」
反射的に喜んでしまったが、でもなんでだ。うまい話には裏があるのだ。
「なに、私はそもそもハスコのわがままを聞きにここへ来たのだ」
「……はい?」
「処刑を取り消せ、などと言うなら聞けなかったが、時間稼ぎくらいは容易いものだ」
「えっと……」
うきうきとこの人はなにを言っているのだろう。思わず不審な目を向けるあたしに、王子様は居住まいを正した。
「本来、ルディカの望みは叶えるべしとあるのは知っておろう。ハスコは遠慮がちだと聞いている」
いやいや、色々聞いてもらってますけど。部屋の中を室内履きにしたりとか、侍女を一人しか持たなかったりとか。
「他にはなんぞないか? この機会だ。なにかあれば言うてみよ」
「ええ、そんな。……いきなりすぎます」
だからなんでそんな楽しそうなのかな! はっきり聞けない日本人である自分がつらい!
「そう申すな。実は私もそなたに頼みたいことがあるゆえ、このように言っておるのだ。それと交換と思えばどうだ。今回の件でこちらには負い目もあるのだから、叶えられる限りのことは対応しよう」
「頼みたいことってなんですか?」
「それはまた後程」
笑顔に圧力を感じる。あ、これ、なにか言わないと終わらない感じ?
まあ、ギブアンドテイクだと考えた方がこちらとしてもやりやすい。とあたしが思うことまで見越されてそうで嫌だなー。
「や、あの、えー、さきほどの時間稼ぎをしてもらうだけで十分というか恐れ多いというか」
「それはそれで受けつけるが、地味だな。私はもっと、聖女のわがままらしいことを叶えたいのだ」
にこにこした殿下が唇を尖らせる。地味ってなんだ。端正な顔立ちで仰いますだけに、徒労感が酷い。
笑顔でぐいぐい押されてくると無茶振りされている気分になってくる……。や、言ってることは、あたしの願いを叶えようってなもんなんだけど。でもなんか無茶振りされてる気分だ……。
こういう時ってどう答えるものなのか。欲しい物でもねだる?
でもドレスとかアクセサリーとか別に新しくいらないし。今ある分でも恐縮なのに。いつも、これは借り物、借り物、と念じながら使用している。
住環境の改善とかも、特にはないな。異国で暮らしていると考えればこんなものだ。むしろ水周りとか充実してるしなあ。
カフィア殿下は目をきらきらさせながら待っている、ような気がする。目を合わせたくなくて、あたしは遠くを見た。
ああ、でも。
それらしいもの、一つだけ思いついた。
「……あんなことがあった直後で、許されるかどうか分からないんですけど」
「構わぬ。言うてみよ」
「あたし、街に行ってみたいです。この世界に生きる人を、もっと見てみたい」
王宮内は広くて人がたくさんいるので、特に閉塞感は覚えないけど。でも普通の庶民が出入りする場所かというと、そうじゃないよね。
カフィア殿下は考え込んでいるようだった。
「難しいですか?」
「いや……。このたびの事件に関して、残党狩りは既に済んでいる。暫くは、襲撃の危険はないだろう」
今、残党狩りと仰いましたか。
ていうか「暫くは」なんだなー……。そりゃそうか……。
「早急に取り計らうと約束する。反対意見は出るだろうが。ふむ、なんとかしてみせよう」
なんとかするってそれはごり押しのことですか。あたしは冷や汗をかく。上からの無茶振りって、心底迷惑だよね。
「いやあの、そこまでは。後日でも全然構いませんので! ていうか後日のつもりで言ったので!」
「ハスコは心配せずとも良い。これも一種の訓練だ。有事の際、不測の事態に対応できるようでなければ困る」
殿下はあくまで爽やかにのたまう。
……そういうのを、物は言い様、というのである。




