王子様襲来2
カフィア殿下があたしの部屋を出たのは昼過ぎのことだったのに、その同じ日の暮れる前には、あたしのもとへ通達が来た。前日に見たものと同じような形式の書状には、王都外れの離宮への滞在を許可する、と記されていた。
ちょっと仕事早すぎるでしょう、王子様よ。というかこれ、もしかして元から準備してあったんじゃなかろうな。なんだかはめられたような、釈然としない気分だった。
――私は約束を守ったのだから、もちろんハスコも、私の願いを叶えてくれるだろう?
カフィア・リリヤ・フォセカ、と流麗な署名が、なんだかそう言っているような気がした。
そう、それが昨日の話だ。
「おはようございます」
「おはよう、ハスコ。ゆっくり休めたか?」
「お陰様で」
あのね。どうしてあたしが二日連続で王子様の相手をする羽目になっているのか、どなたか教えてくれないでしょーか。
恒例の朝の挨拶のため、今のあたしの部屋には、アサキオ、ジギリス、ラタム、ナノとベル達が勢揃いしていた。というかまさか、それを見計らってやって来たんじゃ、殿下。
「殿下……?」
唖然とした空気の中で、訝しげな声が発される。
ナノは思わぬ王太子出現に自失しており、回復まで時間が掛かりそう。ラタムは不審そうな表情を隠さずにいて、ちょっとは隠せよ、相手は王族だぞ、とあたしがはらはらしてしまう。アサキオとジギリスは隊長という立場上、免疫があるのか、他二人よりは立ち直りが早かったようだ。
ちなみに女官さん達は鉄壁の表情だ。さすがだ。まあ彼女らは、王太子殿下が今朝もまた訪れることを、あらかじめ知っていたからでもあるが。
「揃っているな、良い機会だ。昨夕、連絡がいったと思うが、改めて説明しておこう。明日より五日間、そなたらにはルディカの静養のため、レモコワ離宮で過ごしてもらう。ベル達もルディカが降りてより、働き通しであっただろう。しっかりと身体を休めよ。多少のことは多めに見よう」
名目上は、そういうことになったらしい。多少のことというのがつまり、ルディカを楽しませるため街に出る、とかになるのか。
「今回の襲撃に関して、残務は既に〈白花〉の隊長に一任した。そなたらが帰る頃には全てが終わっていよう。我が近衛は、隊長が数日不在な程度で揺らぐような組織ではなかろう? ああ、神殿にも通知は出しておいた。安心して良い」
これは眉を寄せていたアサキオとラタムに対して。完全に反論は潰しにかかる構えで、なにかあれば言ってみろとばかりに、どことなく楽しそうな王太子様である。ジギリスは「あーもうこれ仕方ないわー」みたいな顔をして、肩を竦めた。ちなみにナノはまだ硬直中。大丈夫か。
「……承りました。しかし、本日はわざわざそれを仰りにいらしたのですか」
「いいや? 今日は彼女に、祈りの間へ連れていってもらう約束なのだ」
驚いた視線があたしに向けられる。そうなのである。
カフィア殿下が提示した「交換条件」は、彼が今言った通り、祈りの間へ立ち入る許可を求めるものだった。なんでも、祈りの間はルディカ不在の間は完全に閉鎖されており、例え王族といえど、入ることはできないのだという。
かくいうあたしも一人でしか出入りしたことがない。他人を入れるなど考えたこともなかったわけだが、ミバヤさんやルメーリアに確認したところ、ルディカが望むのであれば別に問題ないとのことだった。実際、ベルやらを入れた事例があるのだとか。
わー、それ絶対、二人きりでいちゃいちゃするとかに使ってただろう、と思ってしまったあたしである。だって王宮はどこもかしこも人目あるし。
「ルディカの送り迎えは、今日は私が引き受けよう」
そうなりますよねー……。あーあ、祈りの間への付き添い、今日はアサキオの日だったのになー……。
残念なようなほっとするような気分で窺うと、彼はどことなく面白くなさそうにしていた。視線は一度合ったと思うけど……逸らされてしまった、のかなこれは。
な、なんで。どうして。ショックを受けて、あたしは身を竦める。
視界の隅、カフィア殿下には見えない位置で、殿下付きの兵士が嫌な感じのアイコンタクトを取っている。嘲笑? だれを? アサキオとジギリスが、一気に冷たい顔に変わるのが分かった。
そういえば、と思い出した。いつだったかナノが一生懸命語っていた。近衛兵には二種類の人がいるんだって。一つは、門や廊下、区画の入り口など、決まったところに立って警戒する大多数の兵士。もう一つは、王族の移動するところに付き従う少数の兵士だ。
この国の近衛兵は四人の隊長達によって統括されている。王族警備の兵士達もそれは同様――のはずなんだけど、それは建前。実際の王族警備兵達の認識は「自分達が真に従うべきは国王を始めとした王族の皆様がたであり、便宜上、上に置かれているに過ぎない隊長達ではない」というものだとか。まあナノの心情も大いに入っているとは思うけど、早い話、彼らはプライドが高いのだ。
ほとんどが大貴族の子弟である彼らは、その特権階級的意識から、普通の近衛兵達と仲が悪い。あああ絶対これの所為だ。別にそんなつもりじゃなかったっていうか、カフィア殿下に言って下さい、あたしの所為じゃないよー。
アサキオがこっちを見てくれない……。ここ数日、あたし自身が彼を避けていたのを棚に上げて、傷ついた、とわめく心があさましく厭わしい。
後ろ髪を引かれながら、あたしはカフィア殿下に連れられて部屋を出た。ぞろぞろと、兵士や女官達が追ってくる。ルメーリアがあたしの隣を陣取った。
「いーい、ハス。絶対に扉は閉めちゃ駄目よ。開け放しておきなさい」
「う、うん。昨日から何度も聞いたって」
「殿下も気をつけて下さるとは思うけれど……。それでも警戒するに越したことはないんですからね。口がさのない者達がなにを言うか」
リア嬢は昨日この話を聞いた時「絶対二人きりにはさせないんだから!」と高らかに言い放った。それからずっとこの調子で息巻いている。
カフィア殿下が嫌いなのかと邪推してしまったくらいだが、どうも、聖なるルディカが身内でもない男と二人で密室にこもる、と周囲に見なされることを危惧したようだ。ていうかそういう反応ってことは、やっぱり祈りの間、いちゃいちゃスペースに使われてたんだろ。
こういう経緯がありまして、あたしは数名の女官を連れて、祈りの間に向かっている。初めてのことだ。
つまり、この兵士達と女官達が、あの細い渡り廊下に並ぶことになるのか……大変だな……。
「でもあたし、ベルの四人とはしょっちゅう二人きりになるんだけど」
「ベルは良いのよ、決まってるでしょう」
「なんか納得いかない……」
ていうかさ、ルディカって「そういうもの」なんじゃないの? 思わず小さくこぼした声は、彼女に届いていたらしい。
「どういう意味?」
「だから、ハーレム作ったり、人様の恋人を奪ったり、するような」
あたしの声は、段々歯切れが悪くなっていった。周囲に聞こえないように気をつけているからだけじゃなくて。
だってあたしの隣にいるのは。
「ハス!」
ルメーリアは肩を怒らせ鋭い声を上げた。兵士達がぎょっとしてこちらを見る。あたし達は慌てて身を寄せあって、囁き声にトーンを戻す。
「……サフェーレ様やマリエ様の伝説の中に、そのような悪意あるものが残っているのは事実だわ。それは否定しない。でもねハス、あなたが、そんなことを望んでいるわけじゃないでしょう? そのような嘘か真かも分からない伝説に影響されて、自分を貶めるのはやめなさい」
「嘘か真かも分からない?」
「そうではなくて? 他人の評価なんて、他人の目でしか物事を測れていないのだわ。まして何百年も前の出来事なんて、実際のところは分かったものじゃないわよ」
「でもそういう記録があるってことは、そう見なされてもおかしくないことはあったんじゃないの」
「全てのことが本当にそうだと思う? あなたは噂話の怖さを知らないのね」
「そうかな」
そうでもないよ。
「ああでも、そっか、週刊誌とかワイドショーみたいなものか」
なんでも大仰に書き立てて、人の興味をひく話に仕立てあげる。そんな媒体もあったなあ。そもそも需要があるから、ああいうものは成立するのだ。ルメーリアは、わいどしょー? と首を傾げている。
「けどそれを言うなら、ルディカの奇跡とか善行だって、どこまで本当か分からないってことになるじゃん。なんにも、あたし達には分からない」
「確かにそうね。その時代に行って確かめるわけにもいかないし」
ルメーリアは認めた。でも、と続ける。
「だからこそわたくしは、自分を見失ってはいけないと思うの。過去のルディカがなにをしたかなんて関係ない、あなたはあなた、ハスはハスなの。もう一度聞くわ。あなたはそんなことを望んでいるの?」
あなたがそれを言うのか、ルメーリア。
「あなた自身が殿下と結ばれることを真に望んでいるならもちろん応援するけれど、そうではないでしょう?」
「いやさすがにそれはない」
ああそうだった、これってそもそもは、殿下との話だったっけ。あたしが首を振ったのに、リアは微笑んで「それなら悪い噂は立てられないに越したことはないわ」と言った。
祈りの間はもう目前だった。渡り廊下を進みながら、あたしは彼女に問いかける。
「ねえ、リア。あなたはルディカという制度のこと、どう思ってる? ルディカはそこにいるだけで世界を繕うとか言われるけど、ルディカがそこにいることで変わってしまうことや、もしかして嫌な思いをする人もいるかもしれないでしょう」
ピーチュは憧れだと言った。ジギリスはいっそ憎んでいるようだった。ラタムは言葉を濁していた。
アサキオは分からない。彼女の方はどうだろう。
「だれになにを吹き込まれたの?」
「そ、そういうわけじゃないよ」
良いわ、今は追求しない、とルメーリアは笑った。良い笑顔。恐ろしや。
「あなたの言うことはとても潔癖に感じるわ。だれかに好かれればだれかに嫌われるなんて、人が生きていれば当たり前のことでしょう。全ての人にただの一度もも不快を与えずにいるなんて不可能だわ」
「それはそうだけど。でも、そこに矛盾はないのかな。例えばルディカがそこにいるだけで不幸になる人がいるとして、それでも、ルディカは幸せをもたらす聖女であり得るのかな?」
「大事の前では、と言いたいところだけど……そういうことが聞きたいわけではないのでしょう。難しい質問ね」
「うん、あたしも考えてるの。ルディカってなんなのかな」
〈穴〉を繕い世界を救う、愛されるべき聖なる乙女。
あたしから見ると、この世界は不自然だ。
カフィア殿下が待っている。あたしはルメーリアを残して、祈りの間の扉を押し開いた。兵士さん達が手早く扉を押さえて頭を下げる。
中はいつもと変わらず、静謐な空気を湛えていた。太陽の光が硝子屋根をくぐり抜け、神の象徴たる花を、柔らかく輝かせている。
「ああ、こういう風になっていたのか」
殿下はため息を漏らして、国花でもある黄色い花に触れた。絵になる光景とは、こういうものをいうのだろう。
「全く知らなかったんですか?」
「図面を見たことはあった。しかしこの目で見ないことには、知ったことにはならないと思ったのだ。幼い頃は何度も忍び込もうと試みたものだが、常に防がれてしまってな」
「そんなことしてたんですか!」
「本当に、私の生きる期間とルディカの光臨が重なって良かったと心から思う」
その発言は、きちんと聖女を待ち望んでただろう神官長様とかに謝って下さい、殿下。
「ルディカが来るのが、殿下が王様になってからのことでも」
「無論、頼んだに決まっておろう」
「ですよね! 知ってました!」
「私の国で、私の暮らす城で、知らぬ場所がある。それが我慢できないのだ。その程度には、私もまだ幼いのだよ、ハスコ」
「どの口で……なんでもありません」
花を見るのには満足されたようだ。あたしはふかふかの揺り椅子を勧めた。王子様を立たせておくなんて心臓に悪いです。
「女官と、熱心になにを話していた?」
「ああ、見てましたか。ざっくり言うと、ルディカはどうあるべきか、というようなことでしょうか」
「ハスコは勤勉なのだな」
「えっと、そう言ってもらえるような会話内容ではなかったですよ」
ごめん、ちょっと綺麗に言いすぎた。
「聞いても良いですか。殿下は、ルディカについて、どう思っていますか?」
「それはまた曖昧な質問だな」
「すみません」
「ルディカは我が国に繁栄をもたらす存在だ。であるからして、手厚く保護すべきだと私は思う」
「国の利益のために?」
「その通り。ルディカを擁する限り、我が国は大国でいられる。そなたには、打算的に感じられるだろうが」
「いえ……分かりやすくて助かります」
世の中はギブアンドテイクなのだから。情も理由もなく大事にしてくれるなんて、逆に不安になる。
他のなにをおいても、ルディカを幸せにする。そうすることで〈穴〉が塞がり、国が繁栄するのだから。支配者の考え方として、それは間違っていない。
「ただしそういう意味では、今回のベル選出に関して、陛下は中途半端であったな」
カフィア殿下のその声は、外にいる人達を気にしたのか、ひそめられたものだった。きょとんとするあたしに、殿下もまた困惑したようだ。
「――知らないのか? 本来ならそなたの一のベルであるべきは、私だったのだ」
「……え」
ぱちりぱちり。瞬きをして、一呼吸置く。
「えええええっ!?」
一のベルってアサキオだよね?
なにそれ、どういうこと?
「おかしいとは思わなかったか? 今代のベルに王族が一人も含まれないこと。それも、適齢で結婚もしていない、私のような存在があるというのに」
「いえ、おかしいとかおかしくないとか、あたしには……」
判断できません。というか、そこまで考えたことなかったのが本音。
そういうものか? 王子様は乙女の憧れだからとか、そういうノリ?
でも、そうか。ルディカは幸せになる女の子の物語。おとぎ話のように、お姫様は王子様と結婚して、めでたしめでたしが道理だ。
「この件に関して、私は陛下の判断が正しいとは思っていない。国を挙げてルディカを保護するのなら、王族の庇護を目に見える形で与えるべきだった。だが……父も不安だったのだろうよ。現在、父の子は私しかおらぬゆえ」
説明を求める思いが表情に出ていたのだろう。カフィア殿下はそう言った。
「ルディカに……」
言い掛けて、あたしは口を噤んだ。上手く表現できない。
ちょっと面白くない気分もしてきた。要するに、自分の息子をベルにするのが嫌だったのだろう。あたしはいわゆる「どこの馬の骨とも知れない女」だし、そこを気に病むつもりはない。王子様となんて不釣りあいだし、正直、この人がベルだったら、日々緊張してそうだ。
けれど、その結果、アサキオはベルになったんじゃないか? 婚約者と別れさせられてまで。そう思い至ると気持ちが塞ぐ。
「でもそういうご事情なら、今のような状況とかは、国王陛下のお心に沿わないんじゃないですか」
「そうかもしれぬな」
カフィア殿下はあっさりとしたものだ。
良いのか。要するにこの国の王様は、自分の息子がルディカにたぶらかされるのを嫌がってるんじゃないのか。
「そう構えずとも良い。私もハスコと一度話してみたかったのだ。ベルに成り損ねた男として。ちょうど良い口実と思っていれば良かろう」
「そうですか」
反応に困る。
「ハスコが望むなら、私を口説いてみても良いぞ?」
「遠慮します、恐れ多いので無理です!」
「つれない娘だ」
声を上げて笑う殿下。その表情を見て、ようやく、彼とあたしが同い年であることに納得がいった。
ていうか、あたしが口説くこと前提なのか。良いけど。向こうは王子様だし、しょうがないか。
「そろそろ出ようか。護衛兵らがやきもきしている」
確かに、結構騒いでしまったからな。会話は聞こえないようだけど、近衛の人達が不安そうにこちらを見ている。大丈夫です、別にたぶらかしてないです。
「満足しましたか、殿下」
「ああ。連れてきてくれて感謝する」
「こちらこそ、お相手くださいましてありがとうございます」
少しいつもより時間は早いけど、あたし達は切り上げることにした。




