第19話:高潔な悪党と、十四の矯正 後編
「……クソっ、なんだってんだ。身体が軽すぎて、逆に気持ち悪りィな」
翌日の放課後、ナプリアレスは廊下の曲がり角で、自身の右手に灯る「透き通るような白金色のエーテル」を呪わしげに睨んでいた。昨日、エメロロアルスに施された『矯正(治療)』。その副作用は、単なる組織の再生に留まらなかった。彼女のあまりに高潔で緻密な魔力特性が、ナプリアレスの本来「濁っていたはず」の不遜なエーテルと混ざり合い、彼を**『歩く聖域』**に変えてしまったのだ。
「……よし。今ならパシュタロットもラハブレアも、会議室で油を売ってるはずだ。今のうちに、職員室の『禁断の菓子折り』をちょいと座標移動させて……」
ナプリアレスが、壁の影に隠れて、慣れた手つきで空間転移の術式を編み上げた。本来、彼の術式は観測を逃れるための「不透明な屈折」を伴うはずだった。しかし。
――ピカァァァッ!!
「うおっ!? 眩しっ! なんだこれ、聖者の降臨かよ!?」
編み上げた術式が、エメロロアルスの残した『正しさ』に反応し、濁り一つない清廉な輝きを放ちながら発動した。隠密行動のはずが、廊下全体をサーチライトのように照らし出してしまったのだ。
「あら、ナプリアレス。そんなところで、一体何を『浄化』しているのかしら?」
背後から、心底楽しそうな、しかし逃げ場を許さない声が響いた。振り返れば、ハーブティーのカップを片手にしたヤ・シュトラが、目を細めて立っている。
「……ヤ・シュトラか。……ちがう、これはその、空間の除菌だ。最近、エーテルの淀みが酷いだろ?」
「あら、そう。でも、あなたのその輝かしい術式の先、接続座標が『職員室の備蓄庫』になっているのは、どういう論理かしら? その高潔なエーテル波形、図書室の端からでも視えるほど真っ直ぐ(正直)だわよ」
「……チッ、論理が正しすぎて、嘘がつけねえ……!」
ナプリアレスは忌々しげに術式を霧散させた。エメロロアルスの治療によって、彼の魔力は「欺瞞」という不純物を一切受け付けない、文字通りの『正論』に書き換えられていた。
「……おい、ナプリアレス。お前、いつからそんな『教会の鐘の音』みたいなエーテルを纏うようになった。鼻につくぞ」
そこへ、本を片手に通りかかったエメトセルクが、心底嫌そうな顔で足を止めた。彼の隣には瞳をキラキラと輝かせたヒュトロダエウスが並んでいる。
「エメトセルク! 頼む、この『正しすぎる魔力』をどうにかしてくれ! 俺の座としてのアイデンティティが、清廉潔白すぎて死にそうなんだ!」
「……知るか。エメロロアルスの『矯正』だろう? あいつの理論は完璧だ。お前のその薄汚れた本性を、根本から焼き切ってくれたというわけだ。……むしろ感謝しろ、この『歩く道徳』め」
「あはは! 本当だ、今のナプリアレスなら、アゼムの無茶な提案すら『公序良俗に反します』って笑顔で却下できそうだねぇ」
ヒュトロダエウスが腹を抱えて笑う。ナプリアレスは絶望した。この魔力で悪巧みをしようものなら、術式を編むそばから「私は今、悪いことをしています!」という光の信号を全校生徒に発信し続けることになる。
「……あー、もういい! こうなったら、この『正しさ』を逆手に取って……!」
ナプリアレスがヤケクソで階段を駆け上がろうとした瞬間、彼の身体から溢れる清らかなエーテルが、足元の塵一つない完璧な「反射」を生み出し、あまりの滑らかさに再び足を滑らせた。
「……あ、いでっ!」
「……学習しない男ね」
「……不器用な正義(笑)だな」
ヤ・シュトラとエメトセルクの冷ややかな視線が突き刺さる中、ナプリアレスは再び右足首を抑えて転がった。そこへ、騒ぎを聞きつけたエメロロアルスが、昨日と全く同じ角度で階段の上に姿を現す。
「……あら。ナプリアレス、また座標を見失ったの? ……でも、良いわ。あなたのそのエーテル、昨日よりもずっと『理』に適っている。……さあ、もう一度治療してあげましょう。今度は、その語彙の汚さも一緒に『矯正』してあげるわ」
「……待て! やめろ! エメロロアルス、来るな! 俺をこれ以上、真っ当な人間にしないでくれぇぇ!」
ナプリアレスの悲鳴は、彼自身の放つ神々しい光の中に飲み込まれていった。
その光景を遠くから見ていたグラ・ハは、「……ナプリアレス先輩、あんなに神々しいのに、やってることはいつも通りなんだな……」と、畏怖と困惑の入り混じった表情で手帳に記録するのであった。




