リリフィアーネ「久しぶりの母校」
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ぬぬぬ。
そんな音が聞こえそうなほど、珍しいことに深く眉間に皺を寄せて腕を組み手紙を見つめている――もはや睨んでいる我が主様。絵になるー……?
何の手紙なんだろう。私は侍女らしく壁際で立っているのだけど、気になる。
手紙を渡したのは私。差出人は人事部長リグエル氏。正確には検閲後私に手渡したのだけど。近年ますます頭が心許なく、寂しく……もはや何も言うまい。
でも一つだけ。
いっそスキンヘッドの方が似合うと思います。
それにしても、明晰な頭脳をお持ちの主様が悩むような問題ではないはずだけどな。
主様はようやっと顔をあげ、私に手紙を寄越した。えっ、読んでいいの?
目で問えば、主様は構わぬとばかりに頷いた。
「な、なんです、これ!」
「なんであろうな……」
主様、遠い目をなさって……おいたわしい!
じゃなかった。今はこの手紙が問題だ。
『拝啓
(中略)
カーネトリアス・フォン・ブラディーネル殿、貴殿は教員資格を持つ優秀な卒院生であり、我が学院の誇りである。君に折り入って頼みたい。先日、大魔導師ダルタリアンが冥府へと旅立たれた。祝福すべきことではあるが、学院は優秀な人材を失ったことになる。魔法理論の代講をしてほしいのだ。また、先日魔法薬学のファフニフリーラ教授と魔法魔術戦闘実技指導のイナミ教官が研究のためと休職したので、そちらの代講でも構わない。講義の時間はそちらの都合に合わせる所存だ。良い返事を期待している。
敬具
王立アストラ・イシス学院副学長トートホテプ・イミシス』
マジ困ってるんだよー!まさか断らないよね!?という叫びが手紙から聞こえた。
イミシス副学長は真面目で、奔放な教師陣に振り回される苦労人だ。私は結構仲が良くて、在学中は時々一緒にお茶をしばいていた。ほら、私も苦労人だからさ?
「まさか主様も教員資格持っていらしたとは……!」
意外だ。
主様は器用にもズルッと肘を滑らせた。
「そうではないのだ」
頭痛を堪えるように主様は眉間を揉む。まあ主様の懸念は分かるけど。
「講義自体は七日に一度ですから、その日の市場視察と騎士や兵士達の訓練を取りやめればその依頼は達成できますが」
時間的な余裕はある。人事部で検閲済みなのだから、受けてもかまわないということだろう。確認はしないといけないけど。
「我に教師は向いておらぬに、何故……。リリーはこの請願をどう思う?」
「主様なら完璧にこなせます。自信をお持ちになってください」
私はできるだけニッコリを心掛けて太鼓判を押した。何故か主様は引いたような挙動をした。ヒドイ。
「ふむ、うむ……」
私としては是非受けてほしい。主様が受けなかった場合、イミシス副学長に次に会った時がちょっと気まずい。
まあ私は主様についていくだけだけどね!
「……受けるか」
「お受けになるのですか?」
私は小さくない驚きをもって答えた。絶対受けないと思ったのに。
「うむ。トートホテプには世話になったこともあるゆえ。何よりミネルヴァに振り回されているのが不憫なのでな」
「ああ……」
納得してしまった。主様が口にしたミネルヴァというのは、学長である。そして主様の幼馴染みでもある。
ここ、アヴィルデラータの国王――魔王の選び方は、人間の国とはかなり違う。
代々の魔王の長子が百歳前後になった時に、同年代の侯爵級以上の魔力持ちの子供が貴賤問わず集められ、一緒に教育される。その子供達が二百五十歳になったら、その中でコンクラーベをし、次の魔王が立つ。他は補佐の役職――宰相に就くのだ。
魔王に子が複数いる場合は、長子と魔王の座を奪い合う意思を見せた場合に限り(ほぼない)、末子が二百五十歳になった時に同様の魔王就任の儀があるのだ。
長々とこんな説明をしたのには訳がある。ミネルヴァ様が先代魔王のご息女なのだ。現在、王立アストラ・イシス学院の学長であり、学問と法を司る宰相であり、また一児の母である。
しかし、ミネルヴァ様は奔放な竜族で、滅多に、いや、全く仕事をせず、一人でフラフラと各地を放浪していて、目撃談は多岐に渡るが捕まえられず、溜まった業務は全て次官がこなしているのだ。
ミネルヴァ様の政務次官や副官は目のクマとお別れしたことを見たことがなく、同情を禁じ得ない。
そういえば一人息子のシャルヴィン君は元気かな。子守りを学長に言いつけられて一度預かったけど。……本当、お父様に似て大人しくて助かった。
とにかく現魔王陛下と五人の宰相達は、今代の魔王候補者だったので、幼少より兄弟のように育てられた幼馴染みなのだ。当然、ミネルヴァ様の奔放さには慣れていらっしゃる。
「はぁ……」
主様の深々とした溜息に意識は現在に戻る。主様は幼いときの災害に目を遠くしていらっしゃるらしい。
確かに、伝え聞いただけでも凄い物があった。
曰く、父(先代魔王陛下)を半殺しにした。
曰く、イラっとした貴族の領地を焦土に変えた。
曰く、西南の恋茄子と鶏頭蛇(一緒に炒めると絶品……らしい)を獲り尽くした。
曰く、息子を北の魔境、嘆きの渓谷に放置してきた。
曰く、学生を拉致して新魔法の実験台にする(体験済。シヌカトオモッタ)。
曰く、学院に専用の呪いの実験室と図書館がある(入室済み。ヤバカッタ)。
挙げればキリがない。
「アレは外面はいいのだがな……。リリー、返事をしたためてリグエルに渡しておいてくれ」
「講義の希望はございますか?」
「我は魔法魔術戦闘実技指導くらいしかできぬ」
「かしこまりました」
初夏の爽やかな青空を頭にのせた、赤い煉瓦造りの、数百年の歴史ある堂々とした学院、王立アストラ・イシス学院。
内実はボロいだけの建物だが、五十年くらい前から五年ほど通った身には懐かしい。
増改築を繰り返し、転移系統の罠がそこかしこにある学院には迷子が沢山いる。移動するのにこれが使いこなせるようになると、上級生の仲間入りだ。
まだ春学期が始まって間もないから、慣れない生徒が多いのだろう。今も、上級生と思しき悪魔族の少年が恐らく魔人族の少女を案内している(魔人族と竜族の人型、人間は見た目では区別がつかない)。
階段を幾つか上り下りして、途中で二回ほど転移し、重厚な紫檀の扉に辿り着く。
こんこんこんこん、とノックすれば、どうぞという疲れたような声が聞こえてくる。
私は扉を開けて主様に道を譲った。
「失礼する」
「久しぶりですね、カーネトリアス。もう貴方が卒院して百二十年くらいですか。元気そうで何よりですよ」
「トートホテプは老けたな。……ミネルヴァがすまない。あと二百年くらいは辛抱してくれ」
記憶していたよりも白髪の混じり始めた灰色の髪の初老の三目族――イミシス副学長は煤けたように苦笑した。
「覚悟の上ですよ。リリフィアーネ、貴女の活躍は聞いていますよ」
「えっ!そんなに目立ってないですよ?」
「君も相変わらずですねえ……。自分を客観的に見られるようになりなさいとあれ程言ったのに……」
副学長はやれやれと呆れたように肩をすくめるけど、私としては不本意だ。
あ、主様も頷かないでください!
私は日本人らしく、目立たず真面目に平均的に働いているもの!
「さて、今学期の魔法魔術戦闘実技指導――魔戦指導、頼みましたよ。歴代最高峰の卒院生に教えてもらえるなど、生徒は実に運がいい」
「些か自信に欠けるがな。全力を尽くそう」
「期待していますよ」
戦前のようなきりりとした雰囲気の中、二人は固く握手した。
講義にはまだ時間があるので、三人で――私はおまけみたいなものだけど――和やかに世間話をしていると、ドタバタと騒々しい足音が聞こえてくる。そしてノックも無しに扉が開いた。
「副学長!大変です!イースティーレデン子爵から、『やっぱり行かない。面倒だし……イミシス副学長にごめんって伝えてくれる?』と連絡がありました!」
「……がくっ」
「副学長ー!お気を確かに!」
ふらっと倒れた副学長を、私は慌てて魔法で支えて駆け寄る。
「……リリフィアーネ、魔法理論の代講、頼みましたよ。私はもう……」
「そんな遺言要りません!目を覚ましてください!」
副学長は目を閉じてしまった。辺りに沈痛な空気が満ちる。
「リリフィアーネ様、ご高名はかねがね。さて、お父上のドタキャンです。責任を取ってください」
「無理ですよ!準備などしてないですし」
息を整えた事務員さんに強気に頼まれるが、できないものはできない。
「リリー、其方ならできよう?」
「うっ」
主様、どさくさに紛れて私を道連れにしたいだけでは……?
「我は信じているぞ」
「……かしこまりました」
主様に言われると、ねえ……?
満足気に頷く主様から、私は顔を背けた。
この主従はお互いに過大評価されていると思っています。
手紙の書き方、適当なのは気にしないでいただけると大変助かります。




