ルベンス「……(尻尾が揺れている)」
ルベンス・フォン・フィベルテ 神狼族
リリフィアーネ・フォン・イースティーレデン 妖精族
カーネトリアス・フォン・ブラディーネル 魔人族
レヴニル・フォン・ウェストリア 有翼人族
今日は、待ちに待った夜会の日。昨夜は興奮して眠れなかった。私は幻獣族の一員であるから、それくらいで目に隈ができたりはしない。
「まあ、ルベンス。そんなにソワソワしてはご令嬢達に呆れられてしまいますよ」
「母上」
くすくすと笑うのは見事な稲穂色の毛並の美女だ。息子の目から見ても美しいと思う。少々細目なのが玉に瑕かもしれないが、母を溺愛している父の前では口が裂けても言えない。
干し肉を摘みつつ父上が口を挟んだ。
「クレハの言う通りだ。もう少し落ち着かんか、息子よ」
「まあ、貴方だって若い頃はわたくしに会っている間は顔は不機嫌でしたけど常に尾を振ってらしたでしょう?」
「ふん」
父上はそっぽを向いた。尻尾がソファーの肘掛を不機嫌そうにベシベシと叩いている。
「ルベンス、フィベルテの名を使って夜会を催すのです。くれぐれも名を傷つけてはなりませんよ、いいですね?」
「はい、母上」
「ところで貴方が番になりたくって無理に呼びつけたご令嬢は誰なのかしら。いい加減教えてくださってもいいではありませんか?」
「か、勘弁してください!」
私は尻尾を巻いて逃げるのであった。だからその後の両親の笑みを含んだ会話を聞くことはなかった。
「……発情していれば、匂いで分かろう?」
「それもそうですね」
とりどりのドレスを纏った令嬢達も、そこかしこに活けられた鮮やかな花々も、灯火の魔法を受けてキラキラと幻想的に輝くシャンデリアも、気の遠くなるような古い時代から存在する名工の調度品も、彼女を前にすれば灰色の世界に早変わりする。
彼女の華奢な身を包むのは深い紫のドレス、黒瑪瑙の宝飾品。精緻な黒のレースで包まれた細腕。並の女なら着こなせないような毒々しい配色な上に、全体的に青系統のドレスを着た令嬢が多い今夜の夜会ではすごく目立つ。
そして何よりも目を引くのは、上品ながら扇情的に曝け出された象牙のような背中。
すぐにでも駆け寄って褒め称えたい。そしてダンスを申し込み、その後私の婚約者になってもらえないかと問うのだ。
王宮から彼女に縁談を申し込む旨の手紙の返事が来ないことが気掛かりではあるが、友人に聞いたところ他の貴族家はあまり知らせることは無いらしいので、気にしなくても良いだろう。
ああ、発泡性白葡萄酒を掲げて両親と共に夜会の開始を宣言をせねばならないこの身が憎い。
そうこうしているうちに自分以外の男が彼女に纏わり付かないかとヤキモキする。
ああ!鷲の翼を持つ有翼人族の若者が彼女に声を掛けた。あまつさえ彼女と談笑している。
よくよく見れば警備部隊の副隊長、レヴニル・フォン・ウェストリアであった。彼は確かに彼女の友人ではあるけれど、今の麗しき……常に彼女は美しいが……彼女に寄る者は全て噛み殺したいような、モヤモヤした殺意が湧いてくる。
しかし間も無く、開催者に対して客人達が挨拶にやってくる。私は仏頂面の父上と笑みを絶やさない母上と一緒に、来てくれた礼を述べる。
やはり同種にしか発情しない種族は来てないな……。
そして彼女が挨拶に来た!
「本日はお招きいただき、有難うございます」
「楽しんでくださいましね」
残念な事に私ではなく、母上が対応した。彼女は礼儀に則り手早く挨拶を済ませると後の人に譲るためにすぐに退いてしまった。
私は恨みがましく彼女の後ろ姿を見つめていると、母上はクスクスと含み笑いをする。少し頰に熱が集まった気がした。
暫く機械的に挨拶を受けていると、聞きなれた声がした。
「お招き、感謝しております」
「お久しぶりね、ルビィ兄さま」
母方の従兄妹、リカンとミルである。リカンはいつもの如く慇懃に、ミルは天真爛漫に挨拶をする。二人とも乳のように白い毛と明るい木の葉色の瞳の持ち主だ。
「久しぶりだな。まさかリカンが来るとは思わなかった」
「ふふ、お兄様はまた振られちゃって独り身なのよ。ルビィ兄さまみたいに一途なのは素敵だけど、お兄様みたいに気が多いのはどうかと思うわ」
「ミル!」
ミルは反省する気は一切ないらしく、楽しげに尻尾を振り、コロコロと笑っている。そして目をキラキラさせて私に聞いてきた。
「ルビィ兄さま、今日はリリフィアーネ様は来ていらっしゃるの?」
「……来ている」
何故私の思いびとを知っているんだ!
「まあ!後で是非声を掛けてみたいわ!学院では有名だったけど、お見かけするのは稀だったの。『幻の妖精』って呼ばれてたのよ」
「迷惑を掛けないでくれよ、頼むから」
「大丈夫よ」
自信満々に耳をピンと立てるが、不安だ。いったい誰に似たのか、恋に猪突猛進なこの従姉妹は誘われた夜会には絶対に出向き、色々な恋模様を観察するのが大好きだ。……その観察結果が正しいかどうかは、わからない。
しかし、それによって巻き起こる騒動の後始末は大抵私とリカンに押し付けられるのだ。
この後起こるであろう騒動を予想して私達はため息をついた。
月は完全に登り、開始の時刻になった。私は杯を高く掲げて夜会の始まりを告げ、両親は後は若者の時間とばかりに会場を後にする。
すると、四方八方からアヴィルデラータ中から招待した令嬢達がやってきた。誘うんじゃなかったと私は今更後悔している。ええい、私は彼女の元へ行きたいのだ!
「ルベンス様、今日も素敵ですわ。銀の御髪、氷の如き瞳」
「あの、わたくしと一曲踊ってくださいませ」
「抜け駆けは駄目よ!この方と踊るより、あたくしに素晴らしい庭を案内してくださらないこと?」
押し寄せる貴族令嬢たちに辟易していると、救いの手が差し伸べられた。
「失礼、令嬢方、少しルベンス殿を貸していただけないかな?」
振り返ればそこにいたのは胡散臭い笑みを浮かべたレヴニル殿だった。誠実な女誑しと名高い彼の微笑みぽーっと彼女たちが見惚れているうちに、私はその輪を脱する。
「助かった、感謝する」
「僕もよく彼女達には困らされていますから、理解できます。集団だと、竜族と戦うより面倒ですよね」
「流石に、それはないと思うが」
「ははっ、冗談です」
給仕から飲み物を受け取り二人で談笑していると、レヴニル殿が仕事の話を振ってきた。それに相槌を打ち聞いていると、思わぬ頼みごとをされた。
「実はルベンス殿、貴方のお父上に拝謁したいのです。取り次いでくれませんか?」
なんとも不思議な頼みだとは思ったが、どうという頼みでもないので了承する。
「有難うございます」
「日取りは後で執事と決めてくれ」
レヴニル殿とは、その後少し世間話を続けて別れた。今度こそ彼女に話し掛けよう。そしてダンスに誘うのだ。
既に緩やかな舞踏曲は流れ始めていて、何組かの男女が腕を組み踊っている。
しかし探せど見当たらない。既に帰ってしまったのだろうか……?
何人か給仕を呼び止めて聞いてみるが、皆首を振って誰も帰っていないと言う。
「若様、どうなさったのです?」
「ああ、ジョン、紫と黒のドレスを纏った銀髪の女性を見なかったか?」
ジョンきりりとした雰囲気の茶色い犬の獣人だ。垂れた目と耳が彼の雰囲気を柔らかくしていると、領内で評判だ。彼は鼻と気がよく利く。
「自分は見ていません。すいません」
「よい。しかし、普段嗅がぬような香りはしなかったか?」
「そういえば……不思議な匂いを嗅ぎました。水のような、甘い気がする匂いです」
「それだ」
彼女の香りは、不思議としないのだ。強いて言えば、泉で湧く清らかな水の匂いだと私は思っている。
人は、誰であろうとそれぞれ個人の匂いを持っている。そして妖精種は皆何がしかの植物の香りがするのだが……。
「どこで嗅いだのだ?」
「よくは覚えておりませんが、テラスに続いてましたよ」
「よくやった、ありがとう」
私は背の低いジョンを撫でてからテラスに足を向けた。
私もまた、神狼族ゆえ鼻が利く。しかしそれを持ってしても彼女の跡を追うのは容易くない。
原因の一つとしては、彼女の香りがほぼ無いこと。しかし、最大の原因は来客者たちが自身に吹き付けている香水の匂いが混じりに混じって何が何だかわからなくなっていることだ。しかも令嬢たちが私の行く手を阻む。
やっとのことで彼女がいるであろうテラスに近づいた。透けるほどの薄いカーテンが幾重にも重なったものを捲り、覗き込むと……そこには誰もいなかった。
落胆のあまり、耳と尾がへにょりと垂れるのが自分でもわかった。思わず声も出てしまう。
「リリフィアーネ殿……」
すると空気が不自然に揺れた。
「……リリフィアーネ殿?」
すると目の前にかの女神が姿を現した。彼女はバツの悪そうな表情で私に声を掛けた。
「ルベンス様、今日はお招き頂きありがとうございます。ところで、どうしてここに私がいるとわかったのですか?」
「それは、なんとなく、いる気がしたのです」
匂いを追ってきたなんて言ったら、多分他種族には引かれる。彼女は何故か黙り込んでしまったので、慌てて話題を逸らそうと試みる。
「それにしても、リリフィアーネ殿は幻術が使えたのですか?九尾族と比べても遜色無いでしょう、素晴らしい腕ですね」
「とんでもありません!私は九尾族のように自由自在に幻を見せることはできませんし、五感も完全には誤魔化せません。私にできるのは有るものが無いように見せることだけですよ」
よくわからないが凄いことは確かだ。そして謙遜する彼女は更に素晴らしい。
「それでもやはり素晴らしいですよ。ところで、夜会はお楽しみいただけてないようですね」
私はわざとしょぼんとした顔を作った。騙すのは気が引けるが、なんとしても彼女と一曲踊りたい。恋とはそんなものだろう。
「そんなことは……!その、少し人に酔ってしまって。普段夜会になど出ないものですから」
「なるほど、別室へ案内しましょうか?」
「大丈夫です、お気遣いなく」
チッ、二人っきりになれると思ったのだが。そしたら彼女がはいと言うまで説得できるというのに。
「料理や酒は口に合いましたか?」
「ええ。肉料理は流石といった味でした。しかし、南国の果物は特に美味しかったです」
「それは良かった。貴女のような人に美味だと言われれば、きっと民も仕事に励むでしょう」
やはり自領の産物を褒めて貰えるのはとても嬉しい。耳がピンと立つ。本当に何というか、獣人の尾と耳は口よりも雄弁だ。
「リリフィアーネ殿、もう誰かと踊ったのですか?」
「はい。レヴィに誘われて一曲」
「是非私にも貴女と踊る栄誉をくださいませんか?」
「その、私、ダンスはとても苦手なのです。遠慮させていただきたく存じます」
ふるふると頭を振る彼女に絆されそうになるが、何のために彼女を誘ったというのだ。
「リリフィアーネ殿は謙遜が過ぎるのではないですか?」
「いえ、本当に苦手なのです。足を何度も踏むに違いありません」
私は運動神経がいいので、よっぽど下手でなければ完全にリードできるという自信がある。もう一度だけ誘おうとしたところで邪魔が入った。
「リリー、いるか?」
声のした方を見れば、黒髪に紅い瞳の美貌を誇る男――我が国の宰相筆頭がいた。
「主様!」
彼女はとても驚いた顔をしている。カーネトリアス殿は何やら酒を渡していた。アレは椰子酒!?数瓶しか開けてないのによく見つけたな。
「わ、若様!大変です!」
ドタバタとこちらに寄ってきたのはジョンだ。こいつがこれ程分別を失うとは、一体何事だ?
「ミル様が見当たりません!」
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