届かない
今の女性は個性がない、深みがない、批判はあっても答えがない、独創性に乏しく模倣ばかり。さらに無責任で自重を知らず、お上品ぶっていながら気品がない
〜太宰治〜
人間は自らの身に危険が迫ると時の流れの動きが緩慢に感じる現象が起こるらしい。
一般的には自らの身に危険が迫るとこの現象は起こるらしいのだがどうやらこの現象は認め難い事実が起こった時にも起こるらしかった。
全ての時の流れが緩慢になり目の前の事例が鮮明に目に飛び込んでくる。
後ろからの衝撃に対しゆっくりと脚が九の字に折れ床につきそのまま床へと倒れ伏す雪さん。
それを見て笑う背後に立っている紫色のブレードを持った女。
『りん…く…ん』
苦しそうに表情を歪めながらこちらに手を伸ばす雪さん。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
こちらに向けて。
それに対し雪さんへと手を差し伸ばすボク。
少しずつ。
少しずつ。
ボクは雪さんへと手を伸ばす。
雪さんはボクへと手を伸ばす。
二人の手が少しずつ…
少しずつ…
近付いて…
届かなかった。
『雪さん!』
不意に雪さんの手が力なく垂れる。
床へとその手が付きピクリとも動かなくなり雪さんのいる辺り一帯に紅い液体が垂れ流れる。
まだ新鮮な鉄の匂いが辺り一帯に立ち籠め始める。
ただでさえ白い雪さんの肌が更に白くなり最早青ざめているといった表現の方が適切なんじゃないかと思った。
そんな風に思ってしまった。
怒りに身を任せるのではなく。
冷静に目の前の状況を解釈してしまった。
いや、違うか。
あまりの怒りに冷静になってしまっているのであろう。
自分で自分がわからない。
床に着いた雪さんの身体を抱え上げその身体を軽く抱きしめる。
軽い…
あまりにも軽い身体だ。
鬼の姫宮と呼ばれる少女とは思えないくらいに。
そんな風に考えながらズボンのポケットからナイフを取り出し自らの腕を薄く裂き血を垂れ流す。
その垂れ流れた血液を雪さんの口元に持っていき彼女の口へと少しだけ含ませる。
これだけでも彼女の身体は治癒するだろう。
彼女は吸血鬼なのだから。
『治さないでくださいよ。また、殺さなくてはいけなくなるでしょう?』
そんなボクを見て雪さんを斬り裂いた女は笑いながらこちらへと軽口を叩いてくる。
そんな軽口もいつもなら簡単に受け流せただろう。
だが、今は違った。
そんな軽口すら受け流せないくらいにボクは…
『黙れ、今すぐ殺してやるから』
怒っていた。
雪さんを闘いの影響が当たらない所へと寝かせ女に向かいナイフを構える。
『“殺人鬼”東雲凛だ。名乗れよ、今すぐ殺してやるからさ』
『イギリス協会所属殺人協会序列第一位《紫色の死神》九夜鈴。やってみなよ“殺人鬼”。倍返しにしてあげるからさ!』
こうして、殺人病の殺人鬼と殺人協会序列第一位との殺し合いが始まった。
凛は一歩で鈴の懐に潜り込みナイフを翻す。
それを鈴は上体を傾ける事でかわし身体を後方に逸らしながら凛の頭部めがけて蹴りを放つ。
凛はそれを右腕で受けるが鈴の動きはそれだけに留まらない。
蹴りを受けた凛の右腕を支点にして身体を空中に浮かし残った左脚の踵で凛の後頭部を思い切り蹴り飛ばす。
『まだまだ終わらないよ!』
鈴の蹴りのあまりの威力にうっかり上半身が九の字に折れた所を鈴は見逃すことなく凛の鳩尾を思い切り蹴り飛ばす。
『がっ…』
上半身が九の字に折れていた為衝撃をまったく逃す事が出来ずに凛は後方へと吹き飛んでいく。
だが、鈴の追撃はまだ終わらない。
一気に間合いを詰め、思いきり凛の顔面へと膝蹴りをかます。
メキャっという音と共に凛は部屋のドアを突き破りアパート階下へと落ちていく。
だから、鈴はそれを見て笑いながらブレードを引き抜き開花に向けて叫んだ。
『どうしたの?“殺人鬼”。私を殺すんでしょう?早くやってみせてよ!』
鈴の叫び声を上方から聞きながら凛はゆっくりと立ち上がる。
周りを見回すと誰もいなかった。
どうやら、人払はしっかりしているらしい。
ご苦労なことだ。
辺りに粉雪ちゃんの影はない。
どうやら、彼女も戦っているらしい。
上等だ。
『うるせえ。すぐに殺してやるから待ってろ』
そう言い返して凛はポケットから二本目のナイフを引き抜き構え直す。
一本目のナイフはボコられた時に落とした。
鈴がアパートの外からゆっくりと出てくる。
右手には紫色のブレード。
こちらは無骨なナイフ。
さあ、どちらが勝てるだろうか。
『勝負だ』
そう呟いてボクは鈴に向け駆け出しナイフを振り下ろした。




