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黒き乙女の鬼語  作者: 紅河崎アリス
人魚姫
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昔話

自分を哀れむという贅沢がなければ、人生なんていうものは耐えられない場合がかなりあると私は思う

〜ギッシング〜

唐突だが、人魚について語ることにしてみよう。


人魚。


それは、美しき歌を歌いその歌と美貌で船人を引き寄せ食らう海の悪魔。と、呼んでいる書物が多い伝説の生物の名前だ。


代表例としてはハンス・クリスチャン・アンデルセンの一作。


彼が所帯を持たなかった自らに皮肉を込めて書いたと言われているアンデルセン童話などがわかりやすいだろう。


そう、かの有名な人魚姫だ。


人魚が王子様に恋をし、その恋叶わず、泡となって消えていく切ない恋の物語。


『それが、一般的な認識だね。けれど、それは違う。彼女はね。どうしても、欲しかったのさ』


そう言って雪さんは笑う。


いつも通りニヤニヤと、嫌らしく。


笑いながら、続ける。


『なりたい、なりたいと願い、自らの美しい声を投げ捨ててまでなろうとした。王子様へと取り入って奪おうとした』


彼女は狙ったかのように声のトーンをわざとらしく下げる。


少しずつ。


少しずつ。


ゆっくりと。


その声に闇を孕ませながら。


彼女は続ける。


まるで、人魚姫をずっと間近で見ていたかのように。


雪さんを見ながらボクは考える。


人魚姫に残っている謎を。


なぜ、人魚は王子様へと無理矢理にでも取り入らなかったのか。


自らが泡となり消えてしまうと言うのに。


夜半に王子様の元へと行けば王子様は彼女を拒まなかったはずだ。


いや、たとえ拒もうとしても拒めないだろう。


相手は、人外にして、麗しき美貌を持った海の悪魔なのだから。


船人までもを魅了する歌声と共に美しさを持っているのだから。


彼は彼女を前にして彼女に迫られたとしたら正気を保てなかっただろう。


なのに、彼女はそうしなかった。


なぜだろうか。


彼女はなにもせず泡となって消えていった。


消失が死よりも悲しいと知りながら。


消えて行ってしまった。


あゝ、憐れな人魚姫。


王子なんて無理矢理振り向かせてしまえばよかったのに。


もしくは、そこら辺にいた男にでも恋をすればよかったのに。


そうしたら全てが簡単だっただろうに。


簡単に物語を終わらせれただろうに。


『彼女はね。最終的には、王子様に取り入れなかった自分に絶望し彼を殺そうとしたのさ』


いつの間にか話が進んでいたのか、雪さんは人魚姫の話を語り続けていた。


決して知られてはならない人魚姫の結末を。


ゆっくりと。


確実に終わりへと向かいながら。


『あゝ、憐れな人魚姫。貴女がそのまま泡へと消えてしまうのは見ていて忍びない。さあ、これを使いなさい。海の魔女と取引したわ。私の髪と引き換えに手に入れたこの契約を取り消す魔法のナイフで王子様を殺しなさい。そうすれば、貴女は声を取り戻し人魚姫へと無事戻れるわ』


誰の言葉なのだろう。


雪さんは、誰も知らない人魚姫の物語の終幕を語り続ける。


まるで、舞台演劇のように。


『人魚姫の姉はそう言って彼女に一振りのナイフを渡しました。ですが、人魚姫には彼を殺す事が出来ません。なぜなら、殺してしまうと手に入らないからです。彼女が泡となり消えていくリスクを負ってまで欲しかったものが。しかし、時間は無情にも過ぎて行きます。ついには、王子様と村の娘との結婚式前夜となりました。なので、彼女は自らが欲しかったものを手に入れるのを諦め王子様を殺そうとしました。消えたくなかったから。まだ、生きていたかったから。けれど、悲しきことかな彼女は王子様に辿り着く前に兵士に見つかり火あぶりの刑に処されます。紅き灯火の中、彼女は全てに絶望し、そしてそのまま泡となり消えてしまいました。あゝ、憐れな人魚姫。欲しがらなければよかったのに。欲しがらなければ生きていられたのに』


雪さんはイタズラっぽく語り口調で話す。


人魚姫の悲しき物語を。


欲しがらなければ生きていられた、憐れな海の悪魔の物語を。


『消えるリスクを負ってまで彼女が欲しがったもの。それは、皮肉にもボク達が当たり前に持っているものだった。高貴なそれを欲しがらなければいつでも手に入っただろうに。彼女は高貴なそれを欲しがってしまった。天国なんてありもしない所の存在を知ったから。いや、知ってしまったから』


人魚姫の欲しがったもの。


人魚姫が欲しがってしまったもの。


そう、それはボク達が当たり前に持っているものだった。


『彼女が欲しがったものは単純明快。人間の…』


雪さんは、一呼吸入れて目の前にあったストローを咥える。


『魂だよ』


カラン、ストローによって動いた氷の音が海の家の中で嫌によく響いた。


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