記憶
誰も悲惨な目になんて遭っちゃいない。
お楽しみが悲劇に変わっただけなのさ。
〜フレデリック・ウェスト〜
私が食人鬼として明確に自覚を持ったのは惨劇の日の次の日だった。
その時、私は飢えと渇きを耐えながら街中を歩き回っていたんだと思う。
あの時の飢えと渇きは今でも忘れられない。
そして、どのようにしてそれを解消したのかも。
なら、なぜそれ程までになるまで歩き回っていたのか。
答えは簡単。
私と同じ生き残りを探していたのだ。
たくさん歩き回った。
たくさん声を上げて叫んだ。
だが、返ってきたのは生き残った人の助けを求める声などではない。
ただの沈黙だった。
そして、壊れきった街並みとそれを彩るかのように飛び散る乾きだした血液。
あとは、バラバラにされた死体だけだった。
誰も返事をしてくれなかった。
誰も生存していなかった。
そして、私はそれに対し少し落胆しただけだった。
たくさんの人がひどい目に遭ったのに。
たくさんの人が殺されたのに。
それでも、私はなぜか悲しむことが出来なかった。
きっと、私はあの時、あの場所で、狂いだしていたんだろう。
誰にも気付かれず、誰にも知られず。
出口の見えない迷路に入り込んでいた。
そして、ついに私は地に倒れ伏した。
当たり前だ。
不眠不休で飢えと渇きまで我慢してなお倒れない身体など私は持ち合わせていない。
『…お腹すいた』
弱々しい声で呟いてみても反応してくれる人はいない。
終いには全てがどうでもよくなっていた。
どうせ、このまま私もここで朽ち果てるのだろう。
そう思っていた。
そう思っていたかった。
だけど、現実は違った。
どこからか美味しそうな匂いがしている。
人一人いないこの街で。
だが、構いはしなかった。
自分の欲求の赴くままにその場所へと走っていった。
『ここは…』
匂いを辿ってたどり着いたのは自宅の二階。
母親の部屋だった。
誰かいるのだろうか?
そう思いそっとドアを開ける。
幸い音は鳴らなかった。
家具などに当たらないようにドアの隙間を半分程度にし滑り込む。
そして、同じようにドアを閉め部屋の中を見回すと母親がタンスに押しつぶされていた。
『お母さん!』
急いで駆け寄ってみるが反応は薄い。
母親はタンスと机に挟まれ白眼を剥いていた。
口からは泡を吹いている。
助ける為に腕を手に取って引っ張ってみてもまったく動かなかった。
『お母さん…お母さん…お母さん…』
ひたすら呼んでみても腕が時たまピクピクと動くだけだった。
そして、ひたすら呼びかけている間に異変は起きた。
突然、喉が焼けるように熱くなりだし腹部が裂けんばかりに空腹を訴え始めたのだ。
『なっ…あっ…』
不意に体が九の字に折れる。
なにが起こっているのか自分でもわからない。
柔らかい肉を食べたい。
柔らかくて血の滴る美味しい肉を。
自分の脳になにかがそう訴えてくる。
鼻も美味しそうな匂いを敏感に捉える。
その匂いを嗅いだだけで突き抜けるような幸福感に満たされた。
なんて甘美な匂いなのか。
理性が飛んでしまいそうだった。
『いっ…嫌だ』
だが、それに理性は反対する。
その幸福感を受け入れない。
その匂いがどこから発せられているかがわかっていたから。
どこから漂っているのか。
考えなくてもわかる。
不意に漂ってきた匂い。
二階に着いて一段と増した甘美な香り。
この二つから導き出せる答え。
それは、自らが母親を食べたくなってしまっているという最悪の答えだった。
『その先はあなたの想像に任せますよ。そして凜さん。いや、殺人鬼。私のすべてを奪った報い受けてもらいます』
そこは、暗い倉庫の中。
少し広めだが工具などが置いており全体的に狭苦しく感じる。
そして、その中にいたうちの一人。
食人鬼・歌虚粉雪はそう言って笑みを浮かべた。




