第十話
朝、手首の帯がきついまま、寝床の布が腕にまとわりついた。布を払うと砂が落ちる。落ちた砂の音より先に、耳の中の線が一本になって、外の足音を引っ張ってくる。引っ張られた足音は近いところに置かれて、近いのに誰も来ないまま増えていく。増え方が昨日までと違う。同じ靴音が戻ってくるんじゃなくて、違う靴音が混ざる。混ざる靴音は踵の硬い音が多い。硬い音が増えると、胸の奥が勝手に浅くなる。浅くなった呼吸が揃って、揃った呼吸の中で口の中が乾く。乾いて唾が出ない。出ないのに鉄の味だけが残って、舌の裏に張りつく。膝の横は今日も軽い。空白が冷たい。冷たい空白を手が探して、探した指が空を掴む。掴んだ指がまた握る形になる。ほどくのに力がいる。力がいるのが嫌で握ったまま外に出ると、朝の白い光が皮膚に貼りつき、貼りついた熱が汗を出させ、汗がすぐ乾いて突っ張る。突っ張った皮膚の上で肩が勝手に上がる。上がった肩のせいで首の筋が張る。張った首の筋が動くたびに耳の線が一瞬揺れて、揺れがすぐ一本に戻る。一本に戻った先で、空の同じ場所がまた硬くなる。硬い場所はまだ何も見えないのに、硬さだけが先にそこにある。
縄の外側の杭がまた増えていた。増えた杭のせいで縄の線がさらにまっすぐで、まっすぐな線は冷たい感じがする。冷たい感じがするだけで、体はその線を跨がない。跨がない歩幅に勝手に縮みが入って、縮んだ歩幅が線の間だけを探す。探した線の間を通るとき、砂が沈む音がやけに大きい。大砲の布は今日も揺れない。等間隔の石は白く浮いて、白いものが目立って、目立つものほど見てはいけない気がするのに、目だけが戻ってしまう。戻った目の先で、今日は板が一枚しか出ていなかった。糸も重りもない。代わりに板の上に黒い線が多く、線の上に小さい印が密で、密な印は目を迷わせる。迷わせるのに、耳の線は迷わない。耳の線は一本になって、空の一点だけを硬くする。硬くされた一点があると、迷うほうが悪い気がして、胸の奥が変に軽くなる。軽いのに胃が縮む。縮むのに、口角が少しだけ上がりそうになる。上がりそうな形は、遊びで当たったときの形に似ている。
靴音が一直線に来て止まった。砂が沈む音。声が短く落ちる。
「おい、時間だ。こっちへ来い。ぐずぐずするな。」
腕を掴まれる。掴む力は強くない。強くないのに向きが決まっていて、決まった向きへ足が動く。縄の間を通るとき肩が勝手にすぼまる。すぼまった肩が呼吸を浅くする。浅い呼吸のまま縄の内側に入ると、砂の匂いの下に布と油が混じる。油の匂いが指先の記憶を引っ張り出して、握ったままの手が勝手にさらに固くなる。固くなった手の前に、今日は水筒が一つ置かれた。水筒の口が光る。光る口が近いのに、手が伸びない。伸ばす合図がないからだ。合図がないまま、横の兵士が短く言った。
「ほら、これを飲め。しっかり喉を潤しておけ。」
飲めと言われたから口をつける。水はぬるい。ぬるいのに、口の中の鉄の味が薄くなる。薄くなるだけで消えない。消えない鉄が舌の裏にまだ残る。残るのに、喉が少しだけ開く。開いた喉が、さっきより呼吸を入れる。入れた呼吸が揃っていく。揃っていくと、耳の線が一本になって、もう空の一点を硬くし始める。まだ音が来ていないのに硬くする。硬くするのが早い。早いと、胸の奥がまた軽い。軽いのに胃が縮む。縮むのに、今日は当たる気がする。昨日までより、当たる気がする。理由は出てこない。出てこないまま、指が板の端を押さえる形になる。
襟の立った服がいた。今日も襟に砂が付いていない。襟の角が折れていない。折れていない角が目に刺さって、視線がそこで止まる。止まった視線の前で、襟の立った服は紙を出さない。代わりに、影の中の厚い服が一つだけ前へ出た。厚い服の靴底は砂で白くない。白くない靴底がここでは変で、変なものが動くと耳の線が太くなる。太くなった線が板の上の印を一つだけ選ぶみたいに寄って、寄った先がまた空へ戻る。戻った先で、短い声が落ちる。
「いいか、今から空を見ろ。目標を捉えるんだ。」
命令が短い。短い命令は体に入りやすい。入りやすい命令のせいで、目が勝手に硬い一点へ貼りつく。
音が来た。遠い。遠いのに太い。太い音が一つじゃない。二つ、三つ、重なって厚くなる。厚くなると耳の線が二本になる。二本が交差する。交差が一つじゃなく、交差が増える。増えた交差の中で、体が勝手に一つだけ選ぶ。選んだ場所が硬くなる。硬くなった場所に目が貼りつく。貼りついた目の先で、薄い影が三つ、同じ高さで並ぶ。並ぶ影は遊びのときの「三人組」に似ている。似ているせいで、口角がまた少しだけ上がりそうになる。上がりそうになった瞬間、背中から短い声が落ちる。
「動くな。そのままの姿勢を維持しろ。絶対に目を逸らすなよ。」
動かない。動かないまま、目だけが選んだ影の少し前へずれる。ずれた場所が「そこだ」と体に決まる。決まった瞬間に口の中が鉄になる。鉄になった口のまま、砲のほうで布の端が上がる。上がった布の下から砲身の影が一瞬見える。見えた影は太い。太い影が、選んだ影に重なりそうで重ならない。重ならない距離があるのに、体の「ここだ」は揺れない。揺れないまま、砲声が来た。胸でぶるかる。腹が叩かれる。舌の根が跳ねる。白が目の前に広がり、白の中で選んだ影が一瞬だけ欠ける。欠けた影が戻らない。戻らない欠け方が、影の線を折って、折れた影が低い方へ落ちる。落ちる影は速い。速いのに落ちる角度ははっきり見える。見えている間、息が止まっていた。止まっていた息が戻って喉を擦る。擦れた喉が痛いのに、胸の奥が軽い。軽いから、口が勝手に開きそうになる。開いて「やった」と言いそうになる。言いそうになった瞬間、肩が強く掴まれた。掴まれた肩が骨に当たって痛い。痛いのに声は出ない。出ないまま、首の後ろが押されて視線が下へ落ちる。
下へ落ちた視線の先で、板の上の印が乱れている。乱れた印の横に、別の印が一つずれている。ずれた印の形が、落ちていく影の角度と同じ形に見えてしまう。見えてしまうと呼吸がまた揃う。揃った呼吸の中で、背中から短い声が落ちる。
「余計なものを見るな。自分の持ち場に集中しろ。」
同じ言葉。短い。見るなと言われたから、目を板から外す。外した目が空へ戻りそうになるのを、体が止める。止めた体の中で耳の線がまだ太い。太い線が、落ちた影の場所を指し続ける。指し続ける先で、地面の向こうが一瞬だけ暗くなり、暗いまま煙が立つ。煙は細い。細いのに上へ伸びて途中で折れ、折れた煙が風に引かれて横へ伸びる。伸びる灰色を見ると、胸の奥がまた軽くなる。軽いのに胃が縮む。縮むのに、遊びの勝ちの形が口角に戻ってくる。戻ってきた口角の形を、硬い声の形が押し戻す。押し戻された口角が痛いわけじゃないのに、舌の裏の鉄だけが残る。
空には影がまだ二つ残っている。残っている影が高い方へ逃げる。逃げる影に、目が追いつきそうになる。追いつきそうになった瞬間、背中から短い声。
「動くな。まだ終わっていない。持ち場を離れるな。」
動かない。動かないまま、耳の線が二本に割れて、二つの影を同時に指しそうになって、指しきれない。指しきれない瞬間に喉が鳴る。鳴った喉が乾いて痛い。痛いのに、体の中の線が一つに戻らない。戻らないまま、砲は鳴らない。鳴らない空白が胸に落ちる。落ちた空白は重い。重い空白のせいで、さっき軽かった胸の奥が一気に沈む。沈んだ胸の奥で、胃が縮む。縮むのに、目はまだ空の硬い一点を探してしまう。探してしまう癖が、もう遊びの癖じゃない気がして、気がした瞬間に口の中がまた鉄になる。
「よし、今日の作業はここまでだ。元の場所へ戻れ。」
短い声。戻る足は縄の間を通る。通る足が勝手に遅くなる。遅くなると熱が足の裏から上がり、上がった熱が膝を溶かし、溶ける膝のまま外側へ押し出される。押し出された直後、靴音が増えた。増えた靴音が一斉に同じ方向へ向かう。向かう方向は煙の方角。煙の方角へ向かう背中は曲がらない。曲がらない背中が揃って遠ざかり、遠ざかる背中の間に布が担がれているのが見える。布の下に硬い形。形は長い。長い形が揺れないように手が多い。多い手が揃って動く。揃って動く手の間から、昨日見た裂けた尖りとは違う、丸いものが一瞬だけ覗いた。丸いものの縁が焦げた色で、焦げた色が砂より濃い。濃い色を見た瞬間、胸の奥が冷たくなる。冷たくなるのに、口角の勝ちの形が一瞬だけ戻る。戻った形が自分でも変で、変だと気づいた瞬間、口角が戻る。戻った口の中に鉄の味だけが残る。
昼、縄の内側は静かになった。静かなのに耳の線は太い。太い線が煙の方角を指し続ける。指し続けるせいで布の擦れる音が遠くなる。遠くなる代わりに、遠い足音が近くに聞こえる。近くに聞こえる足音が何度も戻り、戻るたびに砂を払う音が混ざり、払う音が乾いていて乾いた音ほど耳の線に刺さる。刺さる線が痛いわけじゃないのに、目の奥がじりじりする。じりじりする目の奥を押さえるみたいに、指が自分の手首の帯を握る。握るときつさが増える。増えたきつさが「ここにいる」を教える。教えるだけで、何が起きているかは教えない。
夕方、風が少し強くなって、煙の名残が薄く散った。散っても消えない灰色が空の端に残る。残る灰色の下で、命令が増える。増える命令は短い。短い命令に足が勝手に動く。動く足が縄の線を避ける。避ける歩幅が体に固定される。固定された歩幅は遊びの線じゃない。遊びじゃないのに、覚えるしかない。
夜、寝床に戻ると手首の帯がまだきつい。きつい帯が脈を押して、押された場所が熱い。熱いのに膝の横の空白は冷たい。冷たい空白を手が探して、探した指が空を掴む。掴んだ指がまた握る形になる。ほどくのに力がいる形のまま、耳の線が一本になって、今日欠けて落ちた影の角度を繰り返す。繰り返す角度の少し前に、体の中の「ここだ」が残る。残った「ここだ」は、さっき一つだけ選べたときの軽さを連れてくる。連れてくる軽さのせいで、また明日も当たる気がする。気がするだけで、理由は出てこない。出てこないまま、口の中の鉄の味が消えず、舌が上顎に貼りつき、貼りついた舌が痛いのに、目は閉じる。閉じた目の裏に、三つ並んだ影と、欠けて落ちた一つと、鳴らなかった空白が、同じ白の中に残っていた。




