Saturday 空白だらけの日記(幼少期、小学、中学)
空白だらけの日記(幼少期、小学、中学)
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おうまさんみにいった そらにかみがとんでた
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こどもべやでさんどいちたべた おいしかった おかあちゃんがしろとくろをさわらはった どんぐりころころ もうわすれたわていわはった
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みんなでやさいやのおばちゃんちにいった りやかもおいてた かえりにうしのおちちのんだ すっぱかった
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どうとくの時間にだれかがおならをした。
いとう君がうんこたれんなよと言った。
先生はそんなこと言ってはだめですよとわらってた。
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今日の夕食はかしわで好物だったが食べられなかった。
だいぶ前に近所でヒヨコ売りが来ていて二ひき買ってもらった。
やさいやぬかを食べさせてどんどん大きくなった。
おばあちゃんがあのニワトリやでと言ったんでかわいそうに思った。
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家の前でとぎ屋のおじさんがいすに座ってほうちょうをといでいた。
その横におばさんもいて近所の人が持ってくるほうちょうや刃物を受け取っていた。
おばさんが、今日ははんじょうしてるでと喜んでいた。
ちんどん屋が通りかかった。
みんなはでな服着てラッパ、たてぶえ、たいこを鳴らしていた。
はなが赤いピエロのかっこうをした人がかんばんをかついでいた。
おばさんが、パチンコ屋の宣伝やなって言っていた。
太ったにいちゃんが近よってきた。
おじさんがほうちょうをといでるのをじっと見ていた。
なにかしゃべっていたがおじさんはもくもくとといでいた。
今度はぼくのほうに来て、おい元気かと言った。
ぼくが笑いながらうなづくとにいちゃんもうなづいた。
そのうち歩き出してはなれていったが、おばさんが、あの子くるくるぱーやでと言った。
ぼくは笑いながらうなづいた。
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クラスの掲示委員が僕の家の2階に集まった。
3カ月一度作る学級新聞の話し合いをするためだった。
遠足のこと、運動会、給食のことを大きな画用紙にマジックで書いた。
まだ空いてる部分もあったけど、一人がめんこを持ってきたため、みなで遊ぶことにした。
弟も部屋に入ってきたためにぎやかになった。
それからなん日かたって教室の掲示板に学級新聞がはりだされた。
左の下のほうに書いてあることを見てびっくりした。
野原君兄弟げんかと書いてあった。
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夏休みに臨海学校に行きました。
京都駅から山陰線に乗って天橋立に向かいます。
今まで何度か来ていますが途中でトンネルを抜けて保津川の景色を見るのが好きだった。
そして天橋立の駅に到着し、バスで集合場所に向かうと多くの小学生が集まっていた。
同じ学年のグループに入ったがみな知らない生徒ばかりで心細くなった。
多くの生徒は仲間どうしで来ているようでワイワイガヤガヤ楽しんでいたが、人見知りな自分には皆となかなかなじめなかった。
次の日に有名な海水浴場で泳ぐことになったが、友達のいない自分にはあまり楽しくなかった。
活発な生徒は思い切り海に入って元気に泳ぎまくっていたが、僕はあまり海に入らず一人で砂遊びをしていた。
早く終わらないかと時々思った。
その夜に宿に集まったが、多くの生徒が体のあちこちが痛いと言って寝ていた。
海の中でクラゲに刺されたようだ。
僕はあまり海に入らずだいじょうぶだった。
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講堂に僕たち卒業生が集まり椅子に座っています。
周りには学年が下の在校生や先生たち、保護者の人たちも腰掛け、立っている人もいました。静かに音楽も鳴っています。
確か音楽の時間に習った「新世界」です。
「遠き山に日は落ちて・・」と歌も頭に浮かびました。
司会の先生が卒業式を始めますと言われ、すぐに校歌斉唱になりました。
「きょうらくほくの柏野に・・」僕はこの歌が好きでみな覚えています。
そのあと校長先生のお話、PTA会長さんのお話があり、代表の生徒が卒業証書をもらうのを僕たちは見ていました。
そして、5年生の送辞、卒業生の答辞があり、最後にあおげば尊しの歌を皆で歌いました。
「あおげば尊しわがしの恩教えの庭にもはやいくとせ・・」
そのあと教室に戻り、先生からクラスの全員が卒業証書をもらいました。
そして、先生が言われていたように、小学校生活が終了し新たな一歩を踏み出すこととなりました。
校門を出て家への帰り道、これから、中学校に入るまで何をしようかなって考えながらいつも通った道を歩きました。
ちょうど今はやっている歌でスーダラ節「ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒・・」を口づさんでいました。
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小学校の6年間はすべて女の先生が担任でしたが、中学1年で初めて男の先生が担任になりました。
とはいっても教科ごとに教える先生が異なるため、ホームルームや担当科目以外は教室に顔出しされることはありません。
また科目も少し変わりました。国語、理科、社会、音楽は変わらなかったのですが、算数は数学に、体育が保健体育、工作が美術、技術家庭へと名称が変り、そして新たに英語が加わりました。
成績は今までと同じくらいで普通だったのですが、新科目の英語が良い点を取ることができました。
これにはわけがあり、小学校のころ、これからの時代は英語ができるのと出来ないのでは大きくなって評価に差が出ると親が考え、英語を習うことになったのです。
同じ町内に天理教の家があり、そこでは時々小学生が集まり、皆で色々娯楽することがあるのですが、そこのお兄さんが個人的に英語を教えてくれるのです。
初めは兄が通いましたが、僕も6年生になってから行くことになりました。
外国にも行ったことがあるそうで、特に発音には熱心で、口の動き、のどや舌の使い方を何度も繰り返し教えてもらいました。
日本語に比べて少しオーバーな気がしながら学んでいました。
そして、そこで使っていた本が中学校で使用する教科書と同じだったのです。
ですから、最初の頃は試験も割合簡単に答えを書くことができたのです。
また発音もそんなにうるさく言わないため、身を入れて勉強することはありませんでした。
そのうち、2学期の後半から試験の成績が落ちてしまいました。
なぜなら、天理教のお兄さんに習ったのは、教科書の途中までだったからです。
そして、発音より文法の方が重点となったため、分からないことが多くなってしまいました。
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中学校の入り口は正門だけで、真っすぐに伸びた道路の右側が広いグラウンドになっており、その後ろと左側に校舎が立っています。
さらに奥はというと樹木の生い茂った山が、学校を取り囲んでおり抜け道はありません。
中学校になり給食がなくなったので、弁当か校内販売の食べ物を買って昼休みに食べていました。
同じクラスの生徒から裏山から外に抜ける方法を教えてもらい昼休みに一緒に外に出て、すぐ近くにある大学の食堂ですうどんを食べたことがあります。
安かったのですが味はいまひとつ。
その途中に大きなグラウンドがあり、野球部が練習したりしているのですが、その周囲には狭い堀が巡らしてあります。
実はその水中に生き物が住み着いており、学校が休みの日に窪みに隠れているザリガニを、買ってきたスルメを餌にして捕っていました。
多少スリルもあり面白い遊びです。
夏場にはカブト、ボウズ、クワガタの採集にも興味があります。
もちろん簡単に捕れるわけでなく、特別な穴場があります。
一か所は大文字山の麓に一般には入れない西洋風で階段状の墓地があり、その下手に小川が奥の茂みから流れていて、源を辿る藪径の一帯がジャングルと呼ばれています。
途中笹に覆われたトンネルがあったり、曲がりくねった湿地でヒルにトカゲ、時には全長1mくらいのヘビも出現し、探検している気分になります。
そこを抜けると山の中腹で樹木が立っており、カブト虫などがいそうな木を探して運が良ければ見つけることが出来ます。
根の付近の落ち葉を掻き分けると隠れていることがありますが、今まで見たことのない大ガエルが飛び出してきたこともありました。
もう一か所はシャテキと呼ばれている森林です。
その場所に入っていくと、幹に樹液で濡れている木があり、クワガタ、ブンブンがへばりついていることがありますが、同時に蝶だけでなく、スズメバチもいることがありますので注意が必要です。
奥に入り地面を見ると割れた皿が落ちていますが、昔近くの訓練場から鉄砲で飛び皿を打ち落としていた名残です。
ただ、以前に茂みに入り込んだ時、手を毒虫と思われるものに刺されてグローブのように膨れ上がったことがあり、帰ってから医者に行き注射をうってもらいました。
そして氷室池にはフナなどの魚がいて釣っている人がいるのですが、狙いはザリガニです。
スルメがない時は、周りの田圃にいるカエルを捕まえ、地面に叩きつけて気絶させ、そのあと皮をめくってヒモに引掛けます。
そして隠れていそうな場所に垂らしますと食いついてくるのです。
少し可哀そうですが、ザリガニ等の好物のようで収穫があります。
そして捕ってきたザリガニ、コエビ以外にもアメンボ、ミズスマシを家に置いてあるたらいで飼うことにしました。
砂や石、水草を入れて水を張り詰めてその中に入れておきました。
餌も用意して観察しようと思いました。
ところが、翌日になってたらいには一匹も見当たりません。
いったいどうなったのかと思いましたが、母からどうやら家に出入りしているノラネコに食われてしまったようだと言われました。
ガッカリでした。
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僕は三人男兄弟の真ん中で、俗に言われるように大人しく素直な性格のようです。
ですから子供のときから頼まれごとにも嫌と言えず引き受けていましたし、争いは好まず何ごとも消極的でした。
だからといって家の中にいるより外で遊ぶほうが好みで、自分から人を誘うことはありませんでしたが、気の合ったグループに入って楽しく過ごすことを望んでいました。
趣味は特にありませんでしたが、スポーツには関心があって、野球は巨人、相撲は大鵬が強かったのですが、むしろ弱者側の阪神、柏戸を応援していました。
判官びいきなのでしょうが、自分ですることはなく小中学校ともに運動クラブに参加することはありませんでした。
学校ではクラス替えで様々な生徒と同級になるのですが、皆性格が異なります。
僕と同じ男の子だけに関していえば、勉強の出来る子、そうでない子、活発か大人しいか、家庭が裕福、貧乏によっても違いがあり、それぞれの趣味も異なりますし、朝鮮学級に入っている子もいて一様ではありません。
そして、真面目な生徒ばかりでなく、やんちゃな子もいるのです。
毎日先生のいない時に、子供どうしで接しているとお互い意見が合わない時や、面白半分に相手をからかったりすると喧嘩に発展することもありました。
僕自身は自己主張があまりないため、そういったことはおこらないのですが、ただ、クラス内には他の人をいじめることによって、満足する子もいるのです。
ということはいじめられ易い子もいるということです。
僕は従順で素直な性格であるため、そういったタイプに当てはまります。
また、遊び仲間と楽しむことは日頃望んではいましたが、特に親しい友達はいませんでした。
どうしてもいじめっ子の標的になりがちでした。
それは、中学校に入っても続きます。
さらに輪をかけて乱暴な問題児もいて、周りからも先生からも睨まれていました。
そのうちの一人であるO君とはお互い奇妙な関係になりました。
僕は周りから関心を得ることを望んでいましたし、O君は退屈な気分を発散できる相手を探していました。思いは一致し、学校の休み時間にO君は何かと干渉するようになりました。
もともとがやんちゃな性格のため、格闘の真似事をするようになりました。
僕自身は抵抗することはありませんでしたが、もっぱら校内を逃げ回って近づかないようしました。
要するにいじめにあっている感覚になり相手にならないほうがいいと思い、校内にある体育館の物置に隠れたこともあります。
けれども徐々にエスカレートし乱暴な振る舞いが続きます。
ある時、とうとう堪忍袋が切れ、誰も見ていないところに誘い、置いてあった棒片で叩き合うことにしました。
まともに当たればケガをします。
O君からすれば、まさか僕が本気で撃ちかかってくると思わなかったのでしょう。
二、三度撃ち合った末に、O君からやめようと言い出しました。
そして、棒片を放り投げその場を離れて行きます。
僕は対等に戦った満足感はなく、気まずい思いに囚われました。
何しろ今まで面白くないことがあっても、反抗した経験がなかったからです。
その後、O君は僕に対してからかったり、手出しすることはなくなりました。
見ているとなんだか寂しそうでクラス内で浮いているように思えます。
多くの生徒がO君とは距離を置き、係わらないようにしています。
あまり家庭環境が良くないため、鬱憤がたまり外や学校で発散しているとの噂を耳にしました。
もともとは正直で明るい子供だったそうです。
そう聞くと可哀そうに思えて、また校内を走り回っても構わないと言おうと思いましたが、やめておきました。
もう卒業まで数カ月しかありませんし、K君、Y君という気の合う仲間ができたこともその理由です。




