Friday あきらめの法則(下)
(三) 『デリアの世界』の一部分
リーラはギリア王国の王宮内にある接見室に誘導された。
最近はほとんど使用されていないが、外国使節との会見、国内外の公的行事に利用される大広間である。
リーラ自身はロンバード王国の王女として、隣国の最高指導者に直接援助を得ようと、無謀ともいえる思いつきを実行し今まさにバイブル王との面会に臨まんとしていた。
もちろん、ここに至る道のりはた易いものではなかった。
鎖国政策の禁を破る侵入者として、警備兵に制止され、さらに追跡から逃れようと必死に馬を走らせる途中で、同行していたダン、アリスともはぐれて、単独での行動となったのだが、窪みに脚をとられて落馬し気を失ってしまった。
その彼女を助けて介抱してくれたのが、草原の見張り番と称するサラミス、サライ親子であった。
リーラは親切そうな二人にこの国に許可を得ずに入った目的を包み隠さずに説明した。
近年、兵力を拡大し勢力を拡大したハーン軍は、世界統一を目指すため、隣国のムガール国に侵略、父親であるロンバード七世王自ら討伐に向かったが、味方であるはずのムガール軍の裏切りにあい、敗北し国王は戦死してしまった。
その勢いに乗じてハーン軍はロンバード王国をも征服しようと、進軍を開始しているという。
しかしながら、国王率いる主力軍が壊滅した状況で、残された兵力で防御するのは極めて厳しいといわざるをえない。
そこで、王女であるリーラは長年の友好国であったギリア国に応援を求めようと国境を越えギリア国の首都を目指したのではあったが、難しい計画といっても相違なかった。
なにしろ、現在のギリア国は以前とは異なり、バイブル王の指示のもと、国内向けには非常に厳しい恐怖政治を実施し、反対勢力には厳罰をもって粛清、さらに国外とは交流を断ち、鎖国政策を貫いている。
従ってたとえ友好的な目的であっても、許可なく他国からギリア国に入ることは、無断侵入者として処罰しかねないのである。
そのことは、リーラももちろん耳にしているが、国を救おうとの意思は固く、困難を承知で実行に移したのであった。
この話を聞いて同情したサラミスから協力の申し出があり、息子のサライに王宮まで案内してもらった。
そして城門でなんとか取り次いでもらい、旧知のパスカル卿に会うことが出来た。
バイブル王の冷酷な気性を目の当たりにしているパスカル卿に慰留されたが、意志は変わらないと説得し、ようやく接見の機会を得ることが出来たのであった。
もう既に両側にはパスカル卿、サイアス軍務卿をはじめ、王族、政軍務に携わる重臣達が居並んでいた。
その中にはリーラ王女が見覚えのある顔が何人かいる。
彼等はリーラ王女を小声で激励したが、皆一様に緊張した面持ちである。
昼前にパスカル卿から特別にバイブル王が面会を許すとの連絡があった。
だが、王の意向としては出兵には悲観的で、むしろ王女の身を守る為、重臣達が知恵を傾けて接見室での会見という形になんとかこぎつけた。
彼女の両側に並んだメンバーはいずれも王の怒りを怖れていた。
それぞれ今回のリーラ王女の勇気ある行動について、称賛する一方で同情的なことから、側面から応援したい気持ちを抱いており、この部屋で何が起こるか分からない不安と好奇心で皆ハラハラして、王が現れるのを今か今かと待っていた。
そして、ついに正面奥の控え室に通じる扉が開いた。
王はゆっくり正面中央の王座の位置に進んだ。
広間に並んだ面々は全て片足の膝を付け、頭を下げている。
リーラも同様に頭を垂れていたが、上目づかいの視線は否応無くバイブル王の顔に惹きつけられた。
噂どおり仮面で顔を隠している。
両目と鼻の部分だけがくり抜かれた白色の仮面は、見る者に無言の圧迫感を与えていた。
確かに情け容赦のない、冷酷な印象を周りに放つバイブル王が、魔王と呼ばれて恐れられている理由が分かるようだった。
王は一段高い装飾を施した椅子に腰掛けた。
そして合図があり、皆が頭を上げ正面に顔を向けた。
やがて、やや陰鬱そうな硬い声でリーラ姫に質問した。
「リーラとやら、私に話したき事があるとか、申してみよ」
リーラは威圧感を覚えたが勇気を奮い起こして話し出した。
「バイブル殿下にはこの度、お時間を割いてお目通り頂き光栄至極に存じます。私ロンバード七世王の一子、リーラと申す者。ロンバード国の王族の一人として、長年貴国から親密なる友誼を賜り、深く感謝させて頂く次第でございます」
「待たれよ」
と王は急に割って入った。皆一様に固唾を飲み込んだ。
「私はロンバード王国から、王族を招待した覚えもなければ、使節の受け入れも許可をしていない。従って、私はそなたを王女として認めておらん。その様に心得よ」
この一言で接見室は一気に緊迫した空気が覆った。
リーラ王女も思わず息を飲み込む。今まで味わった事のない、人前での恥辱を禁じえなかったが、とにかく冷静になろうと自分に言い聞かせた。
そして考え貫いた末、再び慎重に言葉を選び話し始めた。
「わかりました。殿下の仰せのこと私も当然のことと理解致します。貴国の禁を破ってこのカンビアに潜入してきた身の上で、処罰されても致し方ないと存じます。しからば、私はロンバード国の王女としてではなく、一市民として殿下にお願い致したき儀がございます。既にご承知のことと存じますが、我がロンバード国はハーン軍に侵略され戦わざるを得ない状況にあります。それに対して応戦準備に全力を挙げ体制強化を図っておりますが、先般のムガール戦の痛手から完全に回復できていないのが実情です。唯一我が国が生き残る道は、長年ご厚誼を頂きました貴国の応援を得ること。私女の身で僭越とは思いましたが、矢も盾もたまらず馬を走らせ、ここに参った訳でございます。なにとぞ我がロンバード国の窮状をご理解頂き、ご支援をお願い申し上げる次第でございます」
室内はシーンと静まり返っていた。
誰もが王の次の言葉を待っていた。
そして事務的な調子で答えが返ってきた。
「そなたの申す通りまことに僭越至極である。我が国は他国に繰り出せる一兵の戦力も持ち合わせておらぬ。ましてや、ロンバード国とハーン軍の争いについては、我が国は預かり知らぬ事。それよりも、女の身であるとはいえ、我が国の法を破って潜入して来たこと、まことに重大な罪と言えよう。その点充分承知していような!」
「もとより」
と言いながらリーラ姫は幾分頬を凍ばらせて付け加えた。
「もとより、私は死を覚悟して国から出て参り、お願いに参上した次第です。私はどうなろうと一向に構いませぬ。ですから何とぞロンバード国民をバイブル殿下のお力に縋って助けて頂きたいのです」
リーラ姫は必死であったが、列席していたパスカル卿もなすすべがなく悄然として成り行きを見守っていた。バイブル王は冷然とした態度で言い放つ。
「まことに思い上がった言動。そなたは死を覚悟していると申すが、女性が屈辱を受ける刑罰も存在する。辱めを受けそれでもそなたは耐えておられようか」
リーラ姫は口惜しさで唇が震えていた。
側にいたパスカルも、もはやこれまでと判断し言葉を挟んだ。
「しばらく、しばらくバイブル殿下。リーラ王女、いやこの娘も国法を破った罪は充分心得ており、反省しております。どうか寛大なご処置を」
「控えよパスカル卿」
とバイブルは容赦なく黙らせた。
「お主が拝謁を特にと申した故この接見を許した。ところが何という醜態だ。まさかお主もこの娘に籠絡されているのではあるまいの」
リーラ姫はすぐに打ち消す。
「お待ちを。この会見は私の一存でお願い致しましたこと。全ては私に責任があることでございます。パスカル卿には一切関係なきこと」
「軍務卿!」
今度はサイアス軍務大臣に矛先を向ける。
有無を言わせぬ調子であった。
「お主も現在我が国の侵入者に対しては厳重に取り締まる責任を負っているはず。我が国の首都に娘を入らせた事態をどのように弁明する所存か」
「は、まことにもって申し訳ございません。心からお詫び申し上げる所存でございます。ただ、この娘と一緒に潜入した者共につきましは取り押さえてあります」
「何、別に潜入した者もいたと申すのか。かまわぬこの場に引き出せ!」
王は強い口調で命じた。
リーラは一瞬わが耳を疑った。
がすぐに二人が生きていたという喜びと、三人が待ち受けている刑への不安が胸に交差する。
そして諦めの表情で語り始めた。
「殿下、私はもう覚悟を決めました。私にどのような刑罰が下されようと後悔は致しません。ただ、一言お伺い致したき事がございます。実は私、今から五年前にロンバード高原で馬を走らせていました折、山賊に襲われたことがございます。その時、一人の男の方に助けて頂きました。その方は真っ黒な顔で衣服はかなりほころんでおりました」
リーラの話を聞いていたバイブルの瞳が一瞬輝いた。
「私は、その時の山賊達が倒される記憶を思い出し、もしやあの方はバイブル様ではなかったかと・・」
王はやにわに狼狽し、勢い椅子から立ち上がりリーラに言った。
「何を申す。私はそのような事一向に覚えがない。嘘を申すと許さんぞ」
その時、鎖に繋がれたダンとアリスが導かれ入ってきた。
二人とも疲れ果てておりフラフラの状態である。
又ダンは体の何箇所かに傷を負っている。
「ダン、アリス!」
リーラ姫は二人の無事を安堵し名を呼ぶ。
「リーラ様」
ダンは痛みをこらえ近寄ろうとしたが、途中で力尽きて倒れてしまった。
「ダン!」
リーラは心配のあげく側に寄り、抱え起こそうと手を差し伸べる。
そして腕と顔から血を流しているのを見て、涙を浮かべた。
「ご免なさい。私の為にこの様な目に合わせて、私を許して」
と彼女は自らの衣服のショーツを破って、傷を拭い始めた。
バイブル王はこの動作を釘付けになって眺めている。
しばらく突っ立ったまま何事かを思い出し、心が動揺するのを意識した。
やがて気を取り直し言った。
「もうよい。これでこの接見は終わりにする。この者達の処置は追って沙汰する」
と出口に向かって歩き始める。
その背にリーラ姫は涙ぐみながら声をかける。
「バイブル殿下、サラミス様が申しておられました。殿下は優しい心の持ち主のお方だと。私は今でもその言葉を信じます」
バイブル王は思いがけない名前を聞き、思わず立ち止まってしまった。
封印されていた過去の扉が開く。
「サラミス、サラミス」
と口先で繰り返し、リーラの方を振り返り見つめ直す。
リーラ姫はひたすらダンを介抱していた。
「サラミス」
誰にも聞こえない声で囁きながら、今度はゆっくり扉に向かって進んだ。
**
リーラ姫は接見が終わった後、ダン、アリスと引き離され、あてがわれた部屋に戻された。
心身ともにくたくたであった。
ロンバード王国を出て、馬に乗り詰め、カンビア王宮に入ってからも緊張の連続で憔悴しきっていた。
室内に入ってベッドに倒れ込む。
そして涙ぐみながら今日のバイブル王の言葉を思い起こす。
『女の身でこのような振る舞い、僭越至極』
「その通りだわ。お父様、私また皆に迷惑を掛けてしまった。ダンにアリス、そしてお兄様にも、お母様私やっぱり駄目だった・・」
と呟きながら、貪るように眠ってしまった。
彼女にとって長い長い一日であった。
**
バイブル王は自室に戻った後も、リーラ姫の一言が頭から離れなかった。
壁際の鏡の前に立ち、自分の姿を眺める。
そして慎重に仮面を外す。
内側には疲れ切った青年の顔があった。
その表情には深く沈潜した憂いと悩みが含まれていた。
鏡面に映った自分自身に問いかける。
「サラミス、お主なのかあの娘をここに寄越したのは。一人で来られるはずはなかろう」
心の中で葛藤を繰り返す。
「サラミス、お主は私に行けというのか」
尽きることのない自問自答。
その時扉が叩かれた。
「少し待て」
仮面を付け直し、入り口まで移動。鍵を外し開けると、軍務長官の顔があった。
「おくつろぎのところ申し訳ありません殿下」
「どうした」
「偵察兵からの報告で、ハーンが動き出したとのことです」
「ソロマにはいつごろだ?」
「もう一両日で戦闘に入ると思われます」
バイブルは何事か検討する仕草で目線を宙に向けた。
「わかった」
と王は答え、扉を閉めた。
そして再び鏡の前に立ちささやく。
「サラミス」
と。
**
リーラ姫は眠り続けた。
よほど疲労困憊の極にあったせいか昏々と眠り続ける。
途中、パスカル卿をはじめ何人かが部屋を訪れたが、彼女の熟睡している様子を見て無理に起こす事は遠慮した。
食事も何度か運び込まれたが、いずれも手が付けられていない。
「ウーン」
リーラはようやく眠りから覚め目を瞬かせた。
部屋の周囲を見廻しながら、ゆっくりと体を起こす。
しばらくその体勢のままで放心状態であったが、次第に自分が受けた屈辱の記憶が蘇る。
「私どれ位眠ったのかしら、今何時頃なのかしら?」
が、すぐに自分が刑を受ける立場であることを思い出し、気にするのを止めにした。
その途端、急に空腹を感じた。
無理もない、ここ数日食事らしい食事をほとんど摂っていなかったのである。
テーブルに食べ物が置かれているのを目にして側の椅子に移動、口にし始める。
「死刑を受けるかも知れないのに食事なんて・・」
と自嘲しながらも、すきっ腹に勝てず残らず平らげてしまった。
彼女はテーブルの横のソファにギリア国の軍装が置かれてあるのを不思議に思った。
「何故こんなところに、囚人は軍装を着せられるのかしら?」
窓が閉じられていて確かめようがないが、外はなにやら慌しい気配である。
だが、自分にはもはや関係のないことと心を戒めた。
その時、ドアがノックされた。
返事をすると、見張り兵士が顔を出し、丁重に礼をした上で用件を告げた。
「リーラ王女、間もなく出発致します。ご準備お願いします」
彼女は諦めたように、もう覚悟は出来ていると告げて、出口に向かって歩き始める。
「そのお姿では。軍装にお着替えを。外でお待ち申し上げておりますので」
と兵は言い、扉を閉めた。
彼女は理解出来かねたが、判断力も失せており、素直に指示に従い服を着替えた。
軍装姿で外に出たリーラを、数人の完全武装した兵士が待ち受けていた。
兵達は彼女に最敬礼をして、その内の一人が彼女に言った。
「もう既に皆集合しております。急ぎ参りますリーラ王女」
その言葉に彼女は不可解な思いを抱いたが、無言のままに伴われて通路を進む。
けれども結局好奇心が頭をもたげ、兵士の一人に質問した。
「いったい私はどこに連れて行かれるのですか?」
彼は意外そうな表情でリーラに答える。
「もちろん軍兵場です。サイアス将軍、パスカル卿も既にお待ちです」
「え!」
リーラは驚いた。
軍兵場とはロンバード王国では、軍隊の召集、デモンストレーションの時に利用される場所である。
自分の刑が言い渡されるには相応しくない。
通路を進むに従って疑問が広がり、一つの答えが頭をかすめる。
「まさか!」
と一瞬立ち止まる。
「そんなことが?」
リーラ姫は半信半疑である。
通路の彼方に明かりが見えている。
兵士達は既に出口まで進んでいた。
リーラ姫は陽の光に向かって、脳裡をよぎった可能性を確かめながら、再び一歩一歩進んだ。
そして、視界が広がり彼女ははっきり見た。
軍兵場を埋め尽くした夥しい数の武装した兵士達。
今まさに出撃するばかりの血気に溢れた兵士達であった。
彼等はギリア軍装を着用したリーラ姫を目にし、彼女の名前をコールし出した。
皆人伝いに、今回のリーラ姫の勇気ある行動を耳にし、激励しているようだ。
サイアス将軍が彼女に近寄り話しかけた。その顔は好意に満ちている。
「リーラ王女、昨夜はぐっすりお休みになられましたでしょうか。間もなくバイブル殿下も来られ、ロンバード王国へ出発の運びとなりましょう」
リーラ姫は信じられないといった顔付きで聞き返す。
「サイアス卿、今なんとおっしゃいました?」
サイアスは事情がまだ飲み込めていないと知り、傍らのパスカル卿に確認する。
「パスカル、なんだまだお話していなかったのか」
二人の側まで来たパスカル卿は慌てて言い訳した。
「ああ、そういえば二回ほどお部屋にお伺い申し上げましたが、あまりにお疲れのご様子で、お休みでございましたので、ついお話出来ずにおりました。他の者がお伝えしているのではと思い違いし申し訳ござらん。やりましたぞ。リーラ様は成し遂げられたのでございます。リーラ様の強い熱意と国を思う愛情が、殿下の心を動かされたのでございます。あれより急ぎ兵を召集し、ようやく本日の未明に出発の段相整うこととなりました。全てリーラ様のお力の賜ですぞ」
リーラ姫は初め狐につままれた風であったが、徐々に喜びが込み上げ、嬉しさの余り目に涙を浮かべてパスカルに抱きついてしまった。
「ありがとうパスカル卿。私なんと言ってお礼をすればよいか、言葉もありません」
パスカル卿とサイアス将軍は共にリーラ姫の姿を見て、お互い満足の微笑を交わした。
「さあ、リーラ王女、兵士達が呼んでおりますぞ。お顔をお拭きになって彼等に顔を見せてやって下さい」
と彼女を優しく導いた。
「リーラ、リーラ」
兵士達の間に歓声が上がる。
もともとの友好国であったロンバード国と、共通の敵であるハーン軍に協力して戦うことに誰も異存は無かったのである。
そうこうする内に、軍兵場正面にバイブル王その人が現れた。
兵士達は王の姿を目にし、一斉に静まり返る。
もはや身体の一部となった仮面をかぶり、ゆっくり兵士達の前に立ったバイブル王は、威圧感を周囲に与えながら喋り始めた。
「兵士達よ、我がギリア王国の勇敢な兵士達よ。我々は再びハーンの理不尽な侵略を受けるに至った。今ハーンはロンバード王国に進軍している。やがて我がギリア王国にも再侵攻して来るであろう。今こそハーンを討つべき時がきた。我がギリア王国の正義と平和を守る為に立ち上がろうではないか」
「ギリア万歳、ギリア万歳」
「バイブル王万歳、バイブル王万歳」
と誰彼とも無く唱和し始め、兵士達は興奮の坩堝となった。
そしてバイブル王が右手を高々と振り上げ出発の合図を示すと、先発隊を先頭に整然と順列を組み進軍し始めた。
数万の兵は打倒ハーンを胸に秘めて意気揚々と進んでいく。
戦場となるロンバード王国の首都ソロマまでの距離から、予定では三日目には一戦を交えるはずである。
**
「リーラ様、リーラ様」
と先陣のバイブル王からやや遅れた一行に加わる王女に、後ろから声が掛けられた。
親しみのある聞き慣れた呼び掛けに、思わず馬を止め振り返る。
「アリス、ダン」
リーラは満面に笑みを浮かべ喜びを表す。
二人ともギリア国の軍装を身につけていたが、ダンの方は包帯姿で見るからに痛々しい身なりであった。
「リーラ様、リーラ様はご立派です。とうとうギリア国を動かしたのですから」
アリスは王女に近寄り目頭を押さえながら褒め称えた。
「ダン、アリスこれもあなた方のお蔭よ。私感謝で胸一杯だわ。ありがとう」
とアリスの手を取った。
「ダン、あなたにはこんなに辛い目に合わせてしまって」
「いいえ、リーラ様、その甲斐あってギリア国が応援に動いてくれました。それを思うとこんな傷など大したことありませんよ」
「大丈夫なの、私が誰かに頼んで傷が治るまで休養させて頂くようにと・・」
「ギリアの兵士は私に静養するようにと言ってくれました。けれども強引に同行させてくれる様お願いしたのです。皆がロンバード国のために戦うっていう時に、私だけ暢気に寝ている訳にはいきませんよ」
なおも心配そうなリーラ姫にアリスが横から声を掛けた。
「ところでリーラ様、あれ程頑なだったバイブル王が何故意を翻したのでしょう」
問われたリーラには答えようがなかった。
接見室での王の冷ややかな態度、鼻にもかけない応対であったのが、何故急に意志を変えたのか心当たりはなかった。
バイブル王は軍列の先頭付近を黙々と歩んでいた。
その周囲には将校達が固まっていたが、王には必要以上に誰も話しかけない。
勘気を恐れてか遠慮している様子である。
王女はダンとアリスに、
「私まだバイブル様にお礼を申し上げてなかったわ。これだけの兵を集めて頂いたのはバイブル殿下のおかげよ」
と言いながら王との距離を詰める。
兵達は王女の為に道を開けてくれ、バイブル王の横に並ぶ形となった。
リーラ姫は思い切って話し掛ける。
「バイブル様、私この度のこと何とお礼を申してよいか。ありがとうございます」
王は彼女を一瞥し、普段と同様の感情を殺した口調で答えた。
「リーラ王女よ。勘違いするでない。私はこれ以上ハーンが領土を拡大することが、我が国にとって危険だと判断したから動いたのだ。ロンバード国の為ではない。もしハーンを打ち負かした後、どのようにするかは、まだ考えておらん」
とロンバード国を占拠する可能性を示唆した。
リーラは少し怯みはしたものの、気を取り直し王に返答した。
「私はとにかくロンバード国からハーンの軍隊を追い返してほしいのです。その後のことはバイブル様を信じております」
その言葉は彼にとって思いがけないようである。
リーラはその時のバイブル王の瞳の変化を見逃さなかった。
そして意外な気がした。
いつもの冷淡な視線でもなく、時折見せる相手を射抜く様な鋭さでもなかった。
まるで子供のような照れた表情が垣間見られた。
その心の揺れを隠すかのように、前に向き直り王女に尋ねた。
「サラミスは元気であったか?」
リーラ王女は驚き狼狽した。
バイブル王はサラミス様を知っている。
そういえばサラミスと別れる際、困った折には名を出すように言われたことを思い出した。
もしや王の心変わりの張本人ではなかったかと疑いつつ答えた。
「はい、北方の高原の住居で大変お世話頂きました。お元気そうでございました」
「そうか・・」
バイブル王は安心したように頷き、それっきり黙ってしまった。
その後はひたすら軍を先導して馬を進ませる。
しばらくしてアリスがリーラ王女に追いついた。
二人は元の位置まで戻り、
「リーラ様、バイブル王は何かおっしゃいまして?」
とアリスが尋ねた。
リーラは考え込んだ。
そして注意深く答えた。
「アリス、私思うの、バイブル様は皆が思っている様な方ではないんじゃないかと」
アリスはそれに対して思いがけないことを言った。
「リーラ様、お怒りにならないで下さい」
「なあにアリス?」
「リーラ様。私後ろからバイブル殿下と並んでおられるお姿を拝見して、なにか、こうお似合いのカップルのように思われて」
王女はアリスの感想を笑って打ち消したが、バイブル王のことが気に掛かっている自分を意識していた。
そして彼女の視線はその後姿を追っていた。
*****
(あとがき)
以上の三作品のストーリーが、メインテーマに相応しいかは異論があることも承知しています。
ただ、いずれも「あきらめ」の感情が基本となり、人間模様を描く展開となっています。
最初に取り上げた『光あるところに陰もあり』では、幕末旗本家の、生きることをあきらめた夫と死ぬことをあきらめた妻の例が書かれています。
それぞれの背景に今後の人生を『絶望』と自覚するか、将来を別の生き方をして『希望』に賭けてみるといった違いがあるのですが、この物語のタイトルに掲げているように『光』の希求に対照的な『陰』の存在も描写しております。
『仲人管理職』では後ろ暗い過去を背負った男性が、ひたすら目立たない一人暮らしを心掛けていたのだが、偶然に知り合った年配者の熱心な新生活に導く誘いを断りきれずに応じてしまう。
意に反し設けられた機会が台無しとなるよう画策するが、逆に思いもよらない出会いが実現する。
ここでは『奇跡』あるいは『運』という言葉を現実にするためには、そういった機会がなければ得られない実例です。
さらに、『デリアの世界』で描かれた場面は、主人公が自らに課した使命を果たすために、試練を乗り越え交渉相手と面会したのだが、芳しい回答はなかった。
むしろ、誠意を込めた懇請にも係わらず、冷淡に拒絶されたのである。そのため、希望を完全に失ってしまうが、次の日の朝、事態が好転し歓喜に浸ります。
どうやら、熱意を込めたアピールよりも、無意識に放った言葉のほうが、相手の心を動かすことが出来たようです。
それぞれの事例で描かれている事情と背景は異なりますが、共通しているのは、物語の佳境場面をより印象づけるために、そこに至る過程で、あきらめの感情を強調していることです。言い換えれば、あきらめ、即ち断念することで新たな展開が生じているのです。即ち、ここでは災い転じて福となった感がありますが、フィクション小説の中での話で、実際現実には様々なパターンがあることも事実です。
一般的にはあきらめはネガティブな言葉として捉えられがちです。むしろ、何かに取り組むに際して、くじけない、頑張れ、ネバーギブアップ等の精神が推奨されています。最初から途中であきらめてもかまわないとは言わないでしょう。けれどもどれほど時間を掛けても、願望が実現しない場合、どこかで見切りをつけることも必要です。いつまでもズルズルと引きずるよりも、見極めの判断を下すことも大事です。
それは、挫折という言葉で表すことは簡単ですが、ここで取り上げた三作品にみられるような良い方向に導くきっかけとなるかもしれないのです。
さて、ここで取り上げているタイトル、あきらめの法則とは、そういった心情を肯定しているのでも、否定しているのでもありません。ただ、あきらめるという決断は、次のステージに進む選択の一つであると納得すればいいのです。もちろんその結果については、前もって予測は出来ませんが、停滞した局面を打開する方法でもあるのです。従って、必ずしもマイナスの行為ではなく、プラスになる可能性もあると見解を述べて締めくくりたいと思います。




