表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女と人形  作者: kanaeihi
PR
9/12

第8章 夜の山小屋

その日曜日の朝

関東地方・EVA生産工場。


普及型EVA後期モデル、最終確認試験。


最新型EVAは静かに立ち上がり、工場長へ一礼した。


「おはようございます。」


柔らかな声。


自然な笑み。


わずかな視線の揺らぎ。


歩幅。


呼吸を思わせる胸郭の動き。


真白はモニターのログを確認しながら、小さく頷く。


「問題ありません。」


「予定どおりリリースできます。」


工場長は腕を組み、満足そうに微笑んだ。


「いい仕上がりですねぇ、天城主任。」


「この工場でも随分とEVAを生産してきましたが。」


「仕上がりは、どんどん良くなってます。」


「自信があります。」


真白も笑顔を返す。


「ありがとうございます。」


「いつも本当に助けられています。今日だって休日なのに対応いただいて、ありがとうございます。」


「それに製造現場から上がってくる意見って、私には分からないことばかりで。」


「毎回、自分の勉強不足を痛感します。」


工場長は首を横に振った。


「いえなにも、主任が謙遜されることはありませんよ。」


「餅は餅屋。」


「機械は機械屋。」


「何でもできるスーパーマンじゃ、我々の価値がなくなっちまう。」


「産業も、プロジェクトも分担ですよ。」


「皆、それぞれの役回りです。」


少し笑う。


「もっとも。」


「染屋の衣は白いじゃ困っちまいますがね。」


真白も思わず吹き出した。


工場長は続ける。


「主任の場合は。」


「アイドルと研究員の二足の草鞋ですな。」


「それでいて、自分の仕事に手を抜いてない。」


「えらいもんです。」


「その歳で、本当に頭が下がります。」


そう言って、本当に帽子を取り、深々と頭を下げる。


現れた見事な禿頭に、真白は思わず笑ってしまう。


工場長も照れ笑いを浮かべた。


「おっと失礼。」


「見苦しいものをお見せしましたな。」


工場内に笑いが広がる。


和やかな空気だった。


「これで今日のお仕事は終わりですか?」


「東京へトンボ帰りで?」


「……ええ。」


「そうでしょうなぁ。」


「少しでも休めるといいんですが。」


そこで工場長は、不意に声を潜めた。


「ところで。」


真白も表情を改める。


工場長は周囲を確認してから、小さく言った。


「この後期モデルのEVA。」


「これまでで一番壊されてるってのは、ご存じですね。」


真白は静かに頷く。


「はい。」


「報告は受けています。」


「ええ、もちろんご存じでしょう。」


「……ですが。」


工場長は少し間を置く。


「実物をご覧になったことは?」


真白は首を横に振った。


「ありません。写真だけです。」


「そうでしょう。」


工場長はため息をついた。


「でもねぇ。」


「実は今。」


「あるんです。」


「壊されたEVAの実物が。」


真白は言葉を失う。


工場長は苦々しい表情で続けた。


「役職柄、お見せします。」


「ですがね。」


「正直、気分のいいもんじゃありません。」


「こんな綺麗で。」


「こんな優しいEVAに。」


「どうして、こんなことができるのか。」


「……うら若い乙女に。」


「残酷だぁねぇ。」


工場長は無言で歩き出した。


真白も後を追う。


工場の奥。


整備区画。


さらに奥。


重い防火扉を工場長が開く。


室内は静まり返っていた。


作業台が一つ。


その上に。


EVAが横たわっていた。


運ばれてきた、そのままの姿だった。


顔面は激しく損傷し。


頭髪は引きちぎられ。


腕は不自然な方向へ折れ曲がり。


胸部外装は何度も鈍器で叩かれたように陥没している。


白かった衣服は泥と油で汚れ。


無数の打撃痕が残っていた。


真白は足を止める。


写真では見ていた。


数字も知っている。


損傷報告も読んだ。


けれど。


実物は違った。


目の前に横たわるそれは。


機械だった。


機械のはずだった。


それなのに。


まるで。


ひどい暴行を受けて殺された、一人の女性の亡骸を見ているようだった。


胸が締め付けられる。


息が浅くなる。


(違う。)


(これは機械。)


(筐体。)


(私は誰より、それを知っている。)


そう言い聞かせる。


それでも。


視線を逸らせなかった。


そして真白は気づく。


自分が、想像以上に動揺していることに。


工場長はその様子を見かねたように、慌てて声を上げた。


「ああ、いけねぇ!」


「終わりです、主任!」


「さ、出て、出て!」


「細かいことは我々に任せて。必要なら報告書で見りゃいい話で。」


「私は反対したんですがね。」


破壊されたEVAを視線から切るように、工場長は真白を部屋から連れ出した。


「どうしても上が、主任に見せろって。」


廊下に出て、工場長は頭を振る。


「上は分かってねぇんですよ。」


「こんなの。」


「どうしたって、ひどいもんだ。」


「女ん子に見せるもんでねぇって。」


動揺したのか、言葉には強く方言が混じっていた。


廊下に出て扉を閉じると、工場長は申し訳なさそうに頭を下げる。


「ああ……あい、すんません。」


「ごめんねぇ。」


「気分、悪くしたねぇ。」


「荷物はお持ちで?」


「ええ。」


「タクシーを玄関まで呼んであります。」


真白は小さく頷いた。


「……ありがとうございました。」


その声は、自分でも驚くほど小さかった。




車内で、天城真白が語った顛末は、おおよそ以上のようなものだった。


「帰りの新幹線で師匠から電話を受けて、デッキから折り返したんです。」


真白の独白のような形になった話は終わり、エンジンの低い唸りだけが、車内を満たしている。


日はとうに落ちていた。


フロントガラスの向こうには、街灯もほとんどない山道が続く。


神崎はハンドルを握ったまま、何も言わずに車を走らせていた。


バックミラーには、後部座席の真白が映る。


窓の外を見つめたまま、表情は暗く沈んでいる。


東雲もまた、助手席で腕を組み、目を閉じていた。


誰もが、それぞれに考えていた。


工場で見た、破壊されたEVA。


あまりにも人の亡骸に似てしまった機械。


そして、その姿に心を痛めた真白自身のことを。


やがて舗装道路を離れ、車は細い私道へ入る。


砂利を踏む音も静かな山へ吸い込まれていく。


ガタゴト、と車体が揺れる。


神崎は小さく呟く。


「もうじき着きます。」


その一言だけだった。


ガタゴト、と車体が揺れる。


木々の間から、山小屋が見え始める。


闇の中に静かに佇む、小さな木造トタン張の小屋。


窓に明かりはない。


人を待つように、ただ静かにそこにあるだけだった。


神崎はゆっくりと車を止める。


エンジンを切る。


山の静寂が、一気に三人を包み込んだ。




三人は無言のまま車を降りた。


山の夜は早い。


東雲は慣れた手つきで山小屋の鍵を開けると、炊事場の明かりを点け、そのまま薪ストーブへ向かった。


薪を組み。


乾いた杉の落ち葉を着火剤代わりに詰める。


火を起こす準備を始める。


その間、神崎は立ち尽くしたままの真白へ歩み寄った。


「……さ。」


「中へ。」


自然に手を差し出す。


手が触れた瞬間だった。


真白は反射的に、その手を払いのけた。


ぱしり、と乾いた音がする。


すぐに自分の手を胸へ抱き寄せる。


「あっ……。」


真白の顔から血の気が引いた。


「ご、ごめんなさいっ。」


「そんな……つもりじゃ……。」


最後の言葉は、闇へ溶けるように小さかった。


神崎は一瞬驚いたものの、すぐに軽く頭を振る。


「いや。」


「こっちこそ、ごめん。」


「配慮が足りなかった。」


無理に笑ってみせる。


「ほら。」


「座って。」


それ以上は何も言わない。


真白も小さく頷くだけだった。


一部始終を見ていた東雲は、何も口を挟まなかった。


乾いた杉の落ち葉へ火を近づける。


ふわり、と炎が立ち上る。


ぱちぱち、と小さな音を立てながら燃え広がり、杉特有の尖った香りが小屋の中へ広がっていく。


橙色の光が、三人の顔を静かに照らした。


東雲は火から目を離さないまま、穏やかに言った。


「お嬢。」


「火が入る。」


少しだけ振り返る。


「火のそばへ。」


その一言には、技術者でも師匠でもない、一人の年長者としての優しさが込められていた。


東雲は薪を一本、火の中へ静かにくべた。


炎が一段高く立ち上がる。


三人の間を、薪の爆ぜる音だけが流れた。


やがて東雲が口を開く。


「……お嬢。」


「大変だったな。」


真白は俯いたまま、小さく頷く。


東雲は続ける。


「お前の大変さは、俺には替わってやれん。」


「俺は引退した、ただのジジイだからな。」


少し笑う。


「だから、お前の代わりもできんし、世間の期待も背負ってやれん。」


「その重さは、お前だけのものだ。」


真白は火を見つめたまま、黙って聞いている。


東雲は一呼吸置いた。


「それで。」


その声だけが少し低くなる。


「“殺されたEVA”を見て。」


「お前は、どう思ったんだ。」


真白の肩がぴくりと震えた。


すぐには答えない。


焚き火だけが、ぱちり、と音を立てる。


東雲は急かさない。


答えを誘導もしない。


ただ、待つ。


それは師匠としてでも、研究者としてでもない。


一人の技術者が、もう一人の技術者へ投げ掛けた問いだった。




真白は、しばらく炎を見つめていた。


薪が崩れ、小さな火の粉が舞う。


ようやく唇が動いた。


「……怖かった。」


その声は、今にも消え入りそうだった。


「怖かった、です。」


誰も口を挟まない。


「明らかな暴力でした。」


「それも、すぐ分かったんです。」


真白は両手を膝の上で強く握りしめる。


「男性です。」


「力任せに、何度も。」


「……あんなふうに壊れるまで。」


言葉が途切れる。


一度目を閉じ、大きく息を吸った。


「でも。」


「見ていて思ったんです。」


「その人は、きっと。」


「このEVAが、大好きだったんだろうって。」


神崎が静かに顔を上げる。


真白は炎から目を離さなかった。


「なんで。」


「なんで、こんなことをするの。」


そう思う気持ちと。


「きっと。」


「何かが、溢れてしまった。」


「魔が差した、としか言いようのない瞬間があって。」


「どうにもならなくなって。」


「ああするしか、できなかったんじゃないかって。」


真白は小さく首を振る。


「そんなこと。」


「報告書には、書けません。」


「根拠なんて、ありません。」


「でも。」


「そう思ってしまったんです。」


「……あのEVAを見た瞬間に。」


真白は少しだけ笑った。


その笑顔は、どこか泣きそうだった。


「工場長は……。」


「とても優しくしてくださいました。」


「本当は私に見せたくなかったって。」


「『女ん子に見せるもんじゃねぇ』って。」


「何度も謝ってくださいました。」


真白は炎を見つめたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。


「それで……。」


「この気持ちを抱えたまま、東京へ帰れなくて。」


「一人でいるのも、怖くて。」


小さく息をつく。


「でも。」


「男の人も、怖かったんです。」


神崎は何も言わない。


真白も視線を上げなかった。


「女性の知り合いは、この辺りにはいませんし。」


「家にも……帰りたくなくて。」


「研究所へ戻れば仕事があります。」


「家へ帰っても、一人です。」


「だから。」


少しだけ苦笑する。


「もう、どうしようもないから。」


「このまま実家へ帰っちゃうしかないのかなって。」


「そう思っていました。」


炎が薪を包み込み、静かに揺れる。


「そしたら。」


真白はようやく東雲を見た。


「師匠から電話があって。」


目元が少し潤む。


「師匠なら。神崎さんもいるって。」


「ここなら、大丈夫って。」


「そう思えたんです。」


声が少し震える。


「急に袋小路に立っていて。いきなり迷子になったんだって思いました。」


「師匠の電話をみたとき……この山小屋のこと思い出しました。」


真白は小さく笑った。


東雲は何も言わない。


ただ静かに薪を一本、火の中へくべた。


炎がふわりと大きくなり、山小屋を優しい橙色に照らした。




東雲はしばらく黙って真白を見つめていた。


やがて、小さく頷く。


「……怖かったな。」


焚き火が静かに爆ぜる。


「よく言えたな。」


真白は俯いたまま、小さく息をついた。


東雲は立ち上がり、やかんへ手を伸ばす。


「今は食事は無理かもしれん。」


「白湯だけ飲め。」


湯気の立つ湯飲みを真白の前へ静かに置く。


「それで、もう寝てしまえ。」


「明日は明日だ。」


真白は湯飲みを両手で包み込むように持った。


東雲は穏やかな声で続ける。


「大丈夫。」


「お前は、よく働いてる。」


「一日くらい休んだって、誰もお前を責めんよ。」


「少なくとも。」


「ここでは、誰も急かさん。」


焚き火の炎だけが、小屋の中を静かに照らしていた。


真白は湯飲みを両手で受け取った。


手のひらへ、じんわりと温もりが伝わる。


しばらくそのまま湯気を見つめていたが、やがてそっと口をつけた。


白湯が喉をゆっくりと通っていく。


冷え切っていた身体へ、少しずつ熱が戻ってくるようだった。


真白は小さく息を吐き、東雲を見た。


「……はい、師匠。」


かすかに微笑む。


「ありがとうございます。」


東雲は「うん」とだけ答え、小さく頷いた。


東雲も、神崎も、それぞれ白湯へ口をつけた。


誰も話さない。


言葉の代わりに、湯飲みから立ちのぼる湯気だけが三人の間をゆっくりと漂う。


薪ストーブの火は安定し、小屋の冷えた空気も少しずつ温まってきた。


ぱちり。


薪が小さく爆ぜる。


東雲は立ち上がると、押し入れを開けた。


客用の毛布を一枚取り出す。


何も言わず、真白の肩へそっと掛けた。


真白も何も言わない。


ただ、毛布の端を両手で握り、小さく頷いた。


言葉はなかった。


それでも、その温もりは、どんな慰めの言葉よりも優しく真白を包んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ