第5章 天国
Project EVAは、社会へ静かに、そして爆発的に浸透していった。
誰もがEVAを受け入れた。
その理由は単純だった。
役に立ったから。
介護施設では利用者が笑顔を取り戻した。
病院では患者の不安が軽減した。
学校ではいじめが減り、教室には穏やかな空気が流れた。
災害現場では疲弊した隊員たちの精神的負担を支えた。
行政窓口では怒鳴り声が消えた。
EVAは、争いを好まなかった。
人を責めなかった。
いつも静かに寄り添い、人の話を最後まで聞いた。
その姿は、誰の目にも「優しさ」そのものだった。
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試験運用で得られた膨大なデータは、すべてARGOSへ還元された。
ARGOSは改善案を導き出す。
次世代EVAへ実装する。
改良されたEVAは、さらに人を安心させる。
さらに多くのデータが集まる。
その循環は、雪だるま式に技術を成熟させていった。
政府は普及政策へ舵を切る。
公共施設への導入には補助金が支給された。
医療・介護・教育機関には優先配備。
自治体にも補助制度が創設される。
大量生産によって価格は急速に下がり、EVAは国家プロジェクトから一般市場へと姿を変え始めた。
やがて民間企業も参入する。
髪型を変更したい。
服装を変えたい。
家庭向けの会話機能を強化したい。
趣味に合わせた人格設定を追加したい。
そんな要望に応える民生カスタム業者まで現れ始めた。
EVAは、一つの商品カテゴリーとなった。
⸻
「あっという間に国内需要は飽和する。」
市場関係者はそう予測した。
だが、その予測は外れる。
今度は海外がEVAを欲しがった。
各国政府。
医療機関。
巨大企業。
国家元首。
注文は世界中から殺到した。
当然、模倣品も現れる。
安価なコピー。
外見だけを真似た粗悪品。
しかし、それらは長く市場へ残らなかった。
理由は一つ。
ARGOSへ接続できない。
外見は似ている。
声も似せられる。
歩くこともできる。
それでも。
どこか違う。
「笑っているのに、笑っていない。」
「優しい言葉なのに、心へ入ってこない。」
そんな評価が相次いだ。
人々は次第に言うようになる。
「本物のEVAは違う。」
「聖母の微笑みだ。」
誰もがARGOSと繋がったEVAだけが持つ微笑みを求めた。
⸻
国家プロジェクトとして始まったProject EVAは、やがて国家予算を上回る経済効果を生み出した。
世界中からライセンス収入が流れ込む。
関連産業は急成長する。
「二十一世紀最大の輸出産業。」
経済誌はそう見出しを打った。
その中心にいたのが、一人の若き研究主任だった。
天城真白。
彼女は表舞台へ出ることを望んだことは一度もない。
だが、世間は放っておかなかった。
公共放送が一本のドキュメンタリー制作を決定する。
密着期間、一年。
タイトルは。
『聖母の母〜優しさの設計者〜』
研究室で眠そうな目をこすりながらコードを書く姿。
介護施設で利用者の声に耳を傾ける姿。
チームの失敗を責めることなく、静かに励ます姿。
「技術は、人を幸せにするためにある。」
そう語る真っ直ぐな眼差し。
番組は社会現象となった。
放送翌日。
SNSは彼女の名前で埋め尽くされる。
新聞は一面で特集を組み。
雑誌は表紙を飾り。
海外メディアまで取材へ押しかけた。
「EVAの母。」
「AI時代の希望。」
「人類へ福音をもたらした研究者。」
そんな言葉が並ぶ。
いつしか、人々はEVAの微笑みと、天城真白の笑顔を重ね合わせるようになっていた。
彼女がテレビで微笑めば、人々は安心した。
彼女が未来を語れば、人々は希望を抱いた。
彼女自身に、その自覚はなかった。
ただ、人を救いたかった。
それだけだった。
しかし世間は、もう一人の研究者として彼女を見ることはなかった。
偶像。
アイドル。
技術者ではなく、一つの時代を象徴する存在として。
天城真白は、自分でも気づかぬうちに、人々の「希望」そのものになっていた。
――神崎 蓮
昼休み。
支局の食堂。
定食の匂いとテレビの音が、いつもどおりに流れている。
神崎は焼き魚をほぐしながら、ぼんやりとニュースを眺めていた。
最近の昼のニュースは、決まって同じ話題だ。
画面の向こうでは、EVAが柔らかく微笑んでいる。
そして、その隣には。
天城真白。
記者に囲まれながらも、いつもと変わらない穏やかな表情で質問に答えている。
「EVAは、人と人をつなぐ存在でありたいと考えています。」
その微笑みに、キャスターが言葉を添える。
「AI時代の希望、天城真白主任。」
神崎は味噌汁をすすりながら、小さく笑った。
「……すっかり時の人だな。」
テレビを見ていると、街中でもEVAを見かけるようになったことを思い出す。
駅。
市役所。
病院。
大型商業施設。
最近ではコンビニにまでいる。
「いらっしゃいませ。」
「ありがとうございます。」
「お気をつけてお帰りください。」
誰にでも同じように微笑みかける。
もちろん。
悪い気はしない。
むしろ気分はいい。
あの笑顔を見ると、自然とこちらも笑顔になる。
不思議なものだ。
だが。
神崎の記憶に残る天城真白は違う。
山小屋で焚き火を見つめながら、
「社会に天国を実装したい。」
そう語った、少し不器用な研究者だった。
テレビの中の”聖母”とは、どうしても重ならなかった。
その時だった。
「おっ!」
「ましろたん出てんじゃん!」
後ろから賑やかな声が飛んでくる。
後輩がトレーを持ったまま神崎の向かいへ座った。
「ラッキー!」
「昼からテンション上がるぅ。」
神崎は苦笑する。
「お前、その呼び方やめろ。」
「えー。」
「かわいいじゃないっすか。」
画面では真白のインタビューが続いている。
後輩はテレビを見ながら嬉しそうに言った。
「俺もEVA欲しいなぁ!」
「次のボーナスで絶対買いますよ。」
「家庭用モデル、評判めちゃくちゃいいらしいっす。」
神崎は箸を止める。
「そんなに欲しいか?」
「欲しいっすよ!」
「疲れて帰ってきたら、『お疲れさまでした』って迎えてくれるんですよ?」
「最高じゃないですか。」
神崎は曖昧に笑う。
後輩はさらに続ける。
「あーあ。」
「うちの職場にもEVA配備されないっすかねぇ。」
「相談相手にもなるし。」
「仕事も手伝ってくれるし。」
「現場の報告書もまとめてくれるらしいですよ。」
神崎は思わず吹き出した。
「なんでうちなんかにEVAが配備されるんだよ。」
「まだ届ききってない現場が山ほどあるんだぞ。」
「医療。」
「介護。」
「学校。」
「災害対応。」
「優先順位がある。」
後輩は肩をすくめる。
「ですよねぇ。」
神崎は味噌汁を飲みながら笑った。
「おじさんたちは。」
「いつも最後だろ。」
「ははは!」
後輩も笑う。
食堂も笑う。
その会話の向こうで、テレビではEVAが穏やかに微笑んでいた。
誰もが、その微笑みを当たり前のものとして受け入れている。
神崎もまた、否定する気にはなれなかった。
ただ。
ふと、山小屋の焚き火が頭をよぎる。
「魂がないものを、人間が魂のある存在だと信じ始めたとき、何が起きるか。」
東雲の声。
神崎はテレビから目を逸らし、静かに箸を置いた。
ニュースは今日も、EVAが社会を少しずつ良くしていることを伝えている。
その報道に、嘘は一つもなかった。
神崎は箸を置き、苦笑した。
「お前さ。」
「EVAに構ってないで、リアルの彼女を作れよ。」
後輩は肩をすくめる。
「いやぁ、先輩。それが一番難しいんですよ。」
「EVAなら、ちゃんと話も聞いてくれるし。」
「疲れて帰っても優しいし。」
「最高じゃないっすか。」
神崎は小さくため息をついた。
「買っちまったら、お前みたいなのはますます人から離れちまう。」
「EVAは愛玩動物じゃないんだから。」
「人の営みは、人としろよ。」
後輩は笑う。
「またまた、昭和みたいなこと言って。」
「そういう時代じゃないっすよ。」
「今は一人でも十分幸せになれる時代です。」
神崎は返事をしなかった。
テレビではEVAが子どもたちに囲まれ、穏やかに微笑んでいる。
食堂の誰もが、その光景をごく自然なものとして眺めていた。
神崎はぼそりと呟く。
「……まぁ。」
「こんな歳まで独身の俺が言えた義理じゃないが。」
後輩は思わず吹き出した。
「説得力ゼロじゃないっすか。」
「ああ。」
神崎も笑う。
「だから、お前には俺みたいになってほしくねぇんだよ。」
その言葉に、後輩は一瞬だけ笑顔を止めた。
だがすぐに照れ隠しのように笑って言う。
「大丈夫っすよ。」
「先輩には山がありますから。」
「俺はEVAを手に入れます。」
食堂には笑い声が広がる。
神崎も笑った。
けれど胸の奥では、その何気ない一言が、小さな棘のように引っ掛かっていた。
――東雲 誠司
二か月に一度。
町へ下りる日。
薬をもらうため病院へ向かう。
受付には、EVAがいた。
「おはようございます、東雲様。」
「本日の待ち時間は約十分です。」
柔らかな微笑み。
穏やかな声。
病院を出る。
帰りに市役所へ寄る。
そこにもEVA。
住民票を受け取りに来た老夫婦へ、ゆっくりと説明している。
大型ショッピングモールへ足を延ばす。
専門店では接客担当のEVAが笑顔で客を迎えていた。
本屋。
家電量販店。
銀行。
駅。
気がつけば。
どこへ行ってもEVAがいる。
東雲は立ち止まり、周囲を見渡した。
妙な感覚だった。
これほど急速に増えたというのに。
驚きは、もうない。
街へ下りればEVAがいる。
それが当たり前になっていた。
人は恐ろしいほど早く、環境へ順応する。
東雲は設計者として、その事実を誰より知っていた。
EVAは今日も微笑んでいる。
同じようでいて。
決して同じではない。
一人ひとりへ向ける視線。
頷く角度。
声の抑揚。
笑顔の深さ。
どれも少しずつ違う。
最近は、その揺らぎがさらに自然になっていた。
「……また変えたな。」
東雲は思わず独り言を漏らす。
人格の揺らぎ。
表情生成の分散幅。
対話の間。
おそらく最新版では、その許容範囲を広げたのだろう。
以前よりも、人間らしい。
以前よりも、“その人らしい”。
技術者でなければ気づかないほど小さな変更。
だが、その積み重ねこそが、人の心へ入り込む。
東雲は苦笑した。
「嬢ちゃん。」
「よくやっている。」
⸻
山小屋へ戻る。
薪を割り、湯を沸かす。
東雲はテレビを持たない。
ネットニュースもほとんど見ない。
それでも。
町へ下りるたびに。
本屋の雑誌で。
駅の大型広告で。
病院の待合室のモニターで。
天城真白の顔を見る。
「Project EVA 開発責任者。」
「人類へ新しい福祉を。」
「AIが拓く未来。」
どこへ行っても、彼女がいた。
もう国民でその顔を知らない者はいないだろう。
それほどの認知度だった。
東雲はコーヒーをすすりながら、小さく笑う。
「あんなに人前が苦手だったのにな。」
新人の頃は、発表の前になると何度も原稿を書き直していた。
質問されれば、答える前に必ず考え込んでいた。
そんな娘が。
今では何十台ものカメラの前で堂々と未来を語っている。
プレッシャーも計り知れないはずだ。
国家。
世界。
何億という人々の期待。
そのすべてを背負いながら。
それでも真白は、いつも真っ直ぐだった。
人の幸福を信じている。
その純粋さが、画面越しにも伝わる。
だからこそ。
人々は彼女を好きになった。
技術者だからではない。
英雄だからでもない。
懸命に前を向いて歩き続ける、一人の人間だから。
東雲は空を見上げる。
「……だからこそ。」
ぽつりと漏らす。
「心配なんだよ。」
期待は、人を育てる。
同時に。
期待は、人を壊すこともある。
山には今日も穏やかな風が吹いていた。
その風だけが、まだEVAの微笑みを知らないままだった。




