表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女と人形  作者: kanaeihi
PR
5/12

第4章 それぞれの日常

――天城真白


国家AI研究所。


午前七時四十八分。


研究棟はまだ静かだった。


真白は誰もいない執務室へ入り、コーヒーを淹れる。


端末を起動する。


Project EVA。


解析待ちになっていたジョブが一件、完了していた。


EVA起動試験フィードバック解析


解析主体:国家統合AI《ARGOS》


完了


真白は無言で開く。


解析結果は文字ではなかった。


ARGOSが生成した、高精度仮想再現モデル。


工場での起動試験を、物理シミュレーションと認知モデルを組み合わせて完全に再現した映像だった。


画面が暗転する。


数秒後。


EVAがそこにいた。


工場で見た姿、そのまま。


いや。


少し違う。


微笑み。


視線。


呼吸。


仕草。


すべてが、実際に見たEVAよりもわずかに自然だった。


人間なら気づかない程度の違い。


しかし研究者である真白には分かる。


ARGOSが、起動試験のログを解析し、


「より人間が安心する振る舞い」


へ最適化している。


EVAは画面の向こうで静かに微笑む。


その表情は。


慈愛に満ちていた。


まるで。


聖母だった。


真白は思わず画面を見つめる。


「……きれい。」


その言葉が口から漏れた瞬間。


心臓が一拍だけ強く鳴る。


「……違う。」


椅子にもたれ、額へ手を当てる。


昨日の夜。


山小屋。


焚き火。


神崎。


東雲。


二人の言葉が頭の中で何度も繰り返される。



「人間は神様じゃない。」


「なるべきでもない。」



続いて。


東雲の声。



「魂がないものを、人間が魂のある存在だと信じ始めたとき、何が起きるか。」



真白は画面を見る。


EVAがこちらを見ている。


もちろん。


見ているように描画されているだけだ。


カメラ入力はない。


人格もない。


感情もない。


これは。


起動試験のログを再構成した、ただの映像。


ただのモデル。


ただのプロトコル。


それなのに。


「……私は。」


小さくつぶやく。


「私はもう。」


「EVAに魂が宿っていると。」


「考えていない……?」


言葉にした瞬間。


背中へ冷たいものが走った。


違う。


違う。


これは魂じゃない。


プロトコルだ。


数式だ。


ニューラルネットワークだ。


評価関数だ。


すべて理解している。


それなのに。


画面の向こうで微笑むEVAを見ていると、


「この子」


という言葉が頭に浮かんでしまう。


真白は慌てて首を振る。


「違う。」


「この子じゃない。」


「EVAだ。」


「システムだ。」


「人工知能だ。」


「私は何を考えているの。」


画面のEVAは何も変わらない。


ただ静かに微笑み続けている。


その微笑みは、一秒前も、一秒後も、まったく同じ確率分布から生成された最適解に過ぎない。


それでも。


真白は端末を閉じることができなかった。


画面の向こうにいる存在を、ただのプログラムと呼び切れない自分がいる。


そして、そのことこそが、東雲の言葉を何よりも雄弁に証明しているように思えた。


人間は、意味を見いだす生き物だ。


そこに意図がなくても。


魂がなくても。


微笑みが返ってくるだけで、人は心を預け始める。


真白はゆっくりとディスプレイを閉じた。


その日初めて、彼女は研究者としてではなく、一人の人間として恐怖を覚えた。


「EVAは、まだ何も始まってすらいない。」


それなのに、自分はすでに、EVAを「誰か」として見始めているのではないか、と。




――神崎 蓮


朝礼開始、午前八時三十分。


国家インフラ保全部関東支局。


神崎はいつものように出勤し、作業着のまま朝礼の列に並んでいた。


今日の現場はどこだったか。


そんなことを考えていると、支局長が壇上で咳払いをする。


「本日は通常の朝礼に先立ち、表彰を行います。」


神崎は隣の同僚へ小声で聞く。


「誰か事故でも防いだのか?」


「さあ。」


支局長が一枚の賞状を取り出した。


「神崎主任。」


「前へ。」


「……はい?」


事務所がざわつく。


「神崎?」


「何やった?」


「また現場で何か見つけたか?」


神崎本人が一番分かっていなかった。


壇上へ上がる。


支局長から賞状を掲げる。


目に飛び込んできた発行者名を見て、思わず固まった。


経済産業大臣


「……え?」


支局長が苦笑する。


「私も最初、見間違いかと思った。」


読み上げが始まる。



安全改善案表彰


神崎蓮 殿


貴殿は平素からよく施設保全の業務に取り組み、特に予備保全に関する卓越した見解を示し、


安全改善に多大なる貢献を果たされました。


その功績を称え、ここに表彰します。


経済産業大臣 岡野 秀雄



続いて、小さな白い封筒。


「副賞 金一封。」


「三万円。」


神崎は思わず聞き返す。


「……本当に俺ですか?」


笑いが起こる。


支局長も肩をすくめた。


「本来なら年度安全大会でキャンペーン特別優秀授与されるような賞だ。」


「今回は特例。」


「少額だが奨励金付き。」


「即時交付。」


「省から強い要請があった。」


神崎は封筒と賞状を見比べる。


「……まあ。」


「くれるって言うなら、ありがたく頂きます。」


その飾らない一言に、事務所中が笑った。


その瞬間。


フラッシュ。


バシャッ。


また一枚。


神崎はようやく気づく。


事務所の後ろには新聞社が三社。


テレビ局まで来ていた。


「え?」


「ちょっと待ってください。」


「写真まで撮るんですか?」


「神崎さん、こちらお願いします!」


「賞状を少し高く!」


「笑顔でお願いします!」


「いや、俺そんな……。」


完全に場違いな空気だった。




表彰式に続いていつもの朝礼が終わると、そのまま事務所の一角で囲み取材が始まった。


マイクが何本も向けられる。


「神崎さん。」


「今回の受賞は異例ということですが、受賞にあたっての感想をお願いします。」


神崎は頭を掻いた。


「いや……。」


「正直、何が起きてるのか、まだ分かってません。」


笑いが起こる。


別の記者が続ける。


「最近話題となった変圧器焼損事故の改善案を受けての受賞ということですが。」


「どういった内容が受賞につながったのでしょうか。」


神崎は少し考える。


「報告書を書いただけです。」


「予備保全を検討した方がいいって。」


「それだけです。」


記者たちは一斉にメモを取る。


さらに質問が飛ぶ。


「国家プロジェクトの基幹に関わる重大なヒントになったとも聞いています。」


「どこから着想を得たのでしょう。」


神崎は困った顔になる。


「着想……。」


「いや。」


「現場です。」


「毎日設備を見て。」


「毎日失敗して。」


「毎日学んで。」


「その積み重ねです。」


「特殊なことじゃありません。」


「全国の現場の人間なら、みんな似たようなことを考えてます。」


記者が食い下がる。


「つまり、独自理論ということでしょうか?」


「違います。」


神崎は首を横に振る。


「理論なんて大それたものじゃありません。」


「たまたま今回は当たった。」


「それだけですよ。」


囲み取材は二十分ほど続いた。


AIについて。


予備保全について。


国家プロジェクトについて。


次々に質問が飛ぶ。


どれも。


心当たりがあるような。


とても的外れなような。


神崎は終始、首をひねっていた。


(何なんだ、これ。)


(俺の知らないところで、何か動いてるのか。)


まるで。


道中、狸に化かされ、闇夜、狐に鼻をつままれたような気分だった。




正午。


社員食堂。


大型テレビが昼のニュースを流し始める。


キャスターが真面目な顔で告げる。


「トップニュースです。」


神崎は味噌汁を吹きそうになった。


画面いっぱいに映ったのは。


朝の自分だった。


『予備保全に新たな視点 現場技術者の提言を国家プロジェクトへ』


朝の表彰式。


賞状を受け取る神崎。


囲み取材。


そして、自分の声。


「現場です。

毎日設備を見て、毎日失敗して、毎日学んで。その積み重ねです。」


食堂が静まり返る。


数秒後。


「おい!」


「神崎じゃねえか!」


「昼のニュースのトップだぞ!」


「サインくれ!」


笑い声があふれる。


神崎は顔を真っ赤にして頭を抱えた。


「……勘弁してくれ。」


その日の午後、支局では仕事の話よりも「ニュース見た?」が挨拶代わりになった。


神崎はそれから晩まで祝福され、冷やかされ、質問攻めにあいながらも、心のどこかではずっと引っかかっていた。


「こんな一介の現場監査官が、経済産業大臣に表彰?」


「国家プロジェクトの基幹?」


あまりに話が大きすぎる。


まるで、自分の知らない誰かが、自分の人生を勝手に動かしているようだった。


神崎は空を見上げ、小さくつぶやく。


「……本当に、狐の嫁入りだな。」





ーー天城真白


研究は、驚くほど順調だった。


いや。


順調すぎた。


申請した予算は、ほとんど修正もなく承認される。


通常なら数か月かかる省庁間の調整も、一週間で終わる。


協力を依頼した大学は、翌日には共同研究契約を返してくる。


民間企業は、自社の最優秀チームを送り込んでくる。


医療機関。


介護施設。


教育機関。


自治体。


誰もがProject EVAへの参加を希望した。


「社会が変わる。」


誰もがそう信じていた。


真白も、その一人だった。




研究室へ戻る。


大型スクリーンにはEVAの統合試験結果が並ぶ。


表情生成。


音声生成。


歩行制御。


認知モデル。


倫理判断。


説明能力。


共感応答。


すべてが、計画値を上回っていた。


一つ改善すれば、


ARGOSが百通りの改善案を返す。


その中から選ぶ。


試す。


また改善する。


開発速度は、従来の何十倍にもなっていた。


まるで。


巨大な神の手が、自分たちの背中を押しているようだった。


「主任。」


若い研究員が振り返る。


「新しい対話モデルです。」


「高齢者との対話満足度がさらに七%向上しました。」


「ありがとう。」


「すぐ評価しましょう。」


別の席から声が飛ぶ。


「介護施設での長期試験、全施設が継続を希望しています。」


「学校モデルも順調です。」


「自治体から追加配備の打診が来ています。」


真白は笑顔で頷いた。


「全部対応します。」


疲れているはずだった。


眠る時間も少ない。


それなのに。


不思議と苦ではなかった。




先行量産型EVA。


Ver.1.2.13-beta


その文字が画面へ表示される。


真白はしばらく、その画面を見つめた。


運用試験のために先行量産されたモデル。


少し前まで夢だった言葉。


今は現実になっている。


もう、試作機ではない。


人格モデルも安定した。


対話能力も十分。


安全試験も終了。


この試験を終えればあとは実社会での運用が開始される。


投入先もすでに決定していた。


介護施設。


総合病院。


行政窓口。


児童相談所。


災害対策本部。


受け入れ側は、今か今かと待っている。


次は制式配備用量産型を先行投入という形で、数千体のEVAが全国へ配備される。


その先の計画まで、すでにロードマップは引かれていた。


真白は初めて実感する。


「……国家プロジェクトなんだ。」


自分はいま、その中心に立っている。


巨大な力が。


巨大な期待が。


一つの未来へ向かって流れていく。


その中心で、自分が仕事をしている。


研究者として、これ以上の幸福があるだろうか。




夜。


研究室にはまだ灯りがついている。


誰も帰ろうとしない。


疲れている。


それでも、誰も愚痴を言わない。


むしろ。


楽しそうだった。


「主任!」


「これ見てください!」


「説明モデル、また精度が上がりました!」


「介護施設向け会話アルゴリズム、感情負荷が三割減です!」


「すごいじゃない。」


「そのまま統合しましょう。」


笑顔があふれる。


人を救う技術を作っている。


その実感が、研究室全体を満たしていた。


真白も、心からそう思っていた。




だが。


ふと。


手が止まる。


モニターの隅に映るEVAの微笑み。


その瞬間だけ。


山小屋の焚き火が脳裏によみがえる。


「人間は神様じゃない。なるべきでもない。」


神崎の声。


続いて。


東雲の穏やかな声。


「魂がないものを、人間が魂のある存在だと信じ始めたとき、何が起きるか。」


真白は目を閉じる。


違う。


今は考える時じゃない。


仕事だ。


コードを書く。


検証する。


改善する。


一つずつ前へ進めばいい。


それが研究者だ。


そう自分に言い聞かせる。


しかし。


その問いだけは。


どれだけ忙しくなっても。


どれだけ成果を積み重ねても。


頭の片隅から、一度も消えることはなかった。


まるで、どこかに小さな棘が刺さったまま、抜けないように。





――神崎 蓮


昼休み。


支局の食堂はいつもと変わらない。


定食の湯気。


食器の音。


他愛ない雑談。


神崎はテレビの正面の席で、焼き魚定食をつついていた。


大型モニターでは昼のニュースが流れている。


少し前、自分が映った番組だ。


経済産業大臣からの表彰。


現場技術者。


予備保全。


そんな騒ぎも、もう誰も話題にしない。


日常は、ちゃんと戻ってきていた。


キャスターが画面を切り替える。


「続いて、Project EVAの試験運用についてです。」


神崎の箸が止まる。


画面には、白い服をまとったEVAが映し出される。


柔らかな笑顔。


穏やかな声。


リポーターが続ける。


「介護施設では利用者満足度が大幅に向上。」


「災害現場では被災者と隊員の心理的負担を軽減。」


「学校では、いじめ発生率が低下。」


「若年層の自殺率にも改善傾向が見られています。」


映像は次々と切り替わる。


高齢者と笑い合うEVA。


避難所で子どもの肩を抱くEVA。


教室で生徒の相談に乗るEVA。


どの映像も、穏やかだった。


リポーターが締めくくる。


「社会の不安を和らげ、人と人との関係を円滑にする存在。」


「幸福をもたらす慈母として、EVAは新しい社会の象徴となりつつあります。」


「人が人を愛する社会の到来を予感させる取り組みとして、今後の展開に期待が寄せられています。」


神崎は黙って画面を見つめていた。


頭に浮かぶのは、研究所でも、ニュースでもない。


山小屋で焚き火を囲みながら語っていた、一人の女性だった。


天城真白。


夢見る少女のような目で語っていた。


「社会に天国を実装する。」


あの時は、どこか現実離れした理想論にも聞こえた。


だが今。


画面の向こうでは、その理想が少しずつ形になり始めている。


(……本当にやるつもりなんだな。)


いや。


もう、やっている。


その世界は、自分の現場とはあまりにも遠かった。




「どうしたんすか、先輩。」


向かいに座った後輩がニヤニヤ笑っている。


「年甲斐もなく、恋っすか?」


神崎は顔をしかめた。


「バカ。」


「そんなんじゃねぇよ。」


顎でテレビを指す。


「ほら。」


「あれ。」


「EVA。」


「ああ。」


後輩も画面を見る。


「役に立ってるらしいじゃないか。」


ニュースではEVAが子どもたちと笑っている。


後輩は味噌汁をすすりながら言った。


「ああ、よくできてますよねぇ。」


「実物は見たことないですけど。」


「人より人らしいって話ですよ。」


少し笑う。


「ま。」


「どこまでいっても人形は人形でしょうけど。」


「優しくしてくれるなら、人形でもいいっすもんね。」


神崎は返事をしなかった。


その言葉が、妙に胸へ引っかかった。


人形でもいい。


優しくしてくれるなら。


そういう時代になったのかもしれない。


後輩は神崎の顔を見て吹き出した。


「なんすか、その顔。」


「彼女とうまくいってないんすか?」


「だから違うって。」


神崎も笑った。


「仕事で一回会っただけだ。」


「へぇ。」


「じゃあ余計に怪しい。」


「うるせぇ。」


二人は笑い合う。


食堂もまた、いつもの昼休みに戻っていく。


ニュースは別の話題へ移った。


誰もEVAのことを話さなくなった。


神崎もテレビから目を離し、冷めかけた味噌汁を口に運ぶ。


午後は変電所の定期点検。


いつもの仕事が待っている。


現場は、今日も変わらない。


神崎もまた。


静かに日常へ埋没していった。


ただ一つだけ。


ニュースの最後に映ったEVAの微笑みと、その奥に重なるように浮かんだ天城真白の真っ直ぐな瞳だけは、なぜか頭の片隅に残り続けていた。




――東雲 誠司


二か月に一度。


山を下りる日がある。


薬をもらうためだ。


六十七歳。


今の時代では、まだ高齢者とも呼ばれない。


畑も耕せる。


薪も割れる。


山も歩ける。


それでも、血圧だけは若い頃のようにはいかなかった。


「歳だな。」


そう笑いながら、町の総合病院へ軽トラを走らせる。




受付をくぐった瞬間。


東雲は立ち止まった。


「……ほう。」


受付カウンターの奥。


白い制服。


柔らかな微笑み。


EVAだった。


「おはようございます。」


「診察券をお預かりいたします。」


声は穏やかだった。


隣で案内を受けていた高齢の女性も、自然に笑顔になっている。


「ありがとうね。」


「どういたしまして。」


そのやり取りには、不自然さがなかった。


まるで、何年も前からこの病院で働いていた職員のように。


東雲は診察券を差し出す。


EVAは両手で受け取り、一礼する。


「東雲誠司様ですね。」


「本日は内科外来で承っております。」


「待ち時間は約十二分です。」


「どうぞお掛けになってお待ちください。」


東雲も思わず頷く。


「ありがとう。」


その一言を口にした瞬間。


自分で少し驚いた。


待合室へ座る。


ふと苦笑する。


(……今のは。)


(自然だったな。)


設計したのは、自分たちの世代だ。


技術も。


理念も。


知っている。


分かっている。


あれは人工知能だ。


人格ではない。


それなのに。


受付で微笑まれただけで。


ほんの少し。


心が安らいでいた。


東雲は静かに息を吐く。


(これほどか。)


そして、もう一つ気づく。


周囲の誰も。


EVAを特別視していない。


子どもは受付のEVAへ手を振る。


老人は世間話をする。


看護師は仕事を引き継ぐ。


そこにあるのは驚きではない。


日常だった。


「……もう。」


東雲は窓の外を見る。


「こんなところまで来たか。」


EVAは、社会へ入り始めていた。


静かに。


当たり前のように。




診察を終え、薬局へ向かう途中。


待合室のテレビではニュースが流れていた。


Project EVA。


全国展開。


試験運用は成功。


開発責任者。


画面の隅に、小さく天城真白の姿が映る。


記者に囲まれながら、それでも穏やかに受け答えしている。


東雲は少し微笑んだ。


「活躍しているようだな。」


あれ以来。


真白から連絡はない。


迷いは吹っ切れたのだろう。


それとも。


迷いごと抱えて前へ進むことを覚えたのだろうか。


どちらでもいい。


前へ進めているなら、それでいい。


その成果をこうして目にすると、師として嬉しく思う。




一方で。


神崎は違った。


山道を走る車の音が聞こえる。


「誠司さん。」


「来ましたよ。」


玄関を開けるなり聞こえる声。


もう、毎週だった。


「また来たのか。」


「ええ。」


「猪肉あります?」


「ある。」


「じゃあ今日は酒ですね。」


「お前さん、人の家を居酒屋だと思ってるだろ。」


「半分くらい。」


二人は笑う。


仕事は順調らしい。


表彰も受けた。


現場も忙しい。


話を聞けば充実している。


それなのに。


神崎は毎週のように山へ来る。


東雲には分かっていた。


この男は、仕事の相談に来ているわけではない。


何かが、心に引っかかっている。


だから焚き火を囲み。


酒を飲み。


他愛もない話をする。


答えを求めているわけではない。


考える時間が欲しいだけなのだ。


東雲は、それ以上は聞かない。


人は、自分の問いを自分で育てなければならない。


そのための場所が、この山小屋だった。


そして彼は一人、薪を割りながら思う。


「さて。」


「いつまで、この静かな時間が続くかな。」


山には、今日も穏やかな風が吹いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ