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瀬戸内の春、君と閑《しずか》の谷から旅を始める【完結】  作者: ねねこ


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7 倉敷で思い出したことと初めてのパフェ

「じゃあ、そろそろ行こうか」


 私は車のキーを手に取った。

 椿は嬉しそうに頷く。


「はい。倉敷、とても楽しみです」


 家を出ると、春の空気は少しだけ暖かかった。

 そろそろ桜が咲くかもな……。

 毎年、桜が咲くのが早くなってきている気がする。

 あーーー、今年の夏も暑いのかなぁ……。電気代が高いってお母さんがまた嘆く夏になるのかな……。

 

 車に乗り込み、エンジンをかける。


 ナビに美観地区を入れると、到着までは一時間もかからない。

 平日だから道もそこまで混んでいないだろう。


「倉敷ってさ、今は観光地なんだよ。県内でも特に人気がある観光地」

「かんこうち……」

「そう金毘羅さんを見に来ていた人いっぱいいたでしょ?あんな感じ。昔の町並みが残ってて、県外からも異国からもいっぱい人が来る」

「まあ異国からも!?」

「うん。だから、見た目が日本人とは違う人も多いだろうけど、びっくりしないでね?」

「……は、はい」


 椿のいた時代は鎖国されていたころだろうから、外国の人に会うことなんてないよね……。それが当たり前だった時代なんだもんな……。

 

「昔の町並みを、わざわざほうぼうからそんなにたくさんの方が見に来るのですか?」

「うん。昔の建物とか景色って、今は逆に珍しいから」

 椿は少し考え込む。

「不思議ですね……」

「そう?」

「私の頃は、古いものは当たり前にそこにあるものでしたから」

 なるほど。

 確かにそうだ。

 昔の人にとって昔ながらなんて概念はない。

 それが普通なのだから。

「でも今は、高い建物とか便利なお店とか、そういうのが増えたからさ」

「では、倉敷は昔を残している場所なのですね」

「そういう感じ」

 

 車は市街地へ入っていく。

 見慣れたチェーン店。

 大きな道路。

 信号待ちの車列。

 その景色を見ながら、椿がぽつりと呟いた。


「今の倉敷は、昔よりずっと大きな街なのですね」

「うん。イオンもあるし、昔に比べて区画整理もしっかりしてるから広い街になってるとは思う」

「いおん……?」

「めちゃくちゃ大きい店。休日に家族が買い物に集まる場所、みたいなとこかな」

「また未来のすごいものですね……」

 本当に何でも感動してくれる。

 私は少し笑いながらハンドルを切った。


 やがて、美観地区近くの駐車場へ入る。

 平日なのにやっぱりここは観光客が多い。

 県外ナンバーもかなり見える。


「うわ、やっぱ人多いなぁ」

「皆、倉敷へ来られるのですね」


 車を降りると、少し湿った川の空気が流れてきた。


 歩きながら白壁の方へ向かう。

 そして角を曲がった瞬間。


 椿が、ぴたりと足を止めた。


「……あ」


 白い壁。

 黒い瓦。

 柳が揺れる川沿い。

 ゆっくり進む川舟。


 観光客の姿や声はたくさんあるのに、不思議と景色は静かだった。


「ここが……倉敷……」


 椿は、息を呑むように呟く。


「どう?」

「……旦那様の仰っていた通りです」


 その声は、とても小さかった。


「蔵が並んでいて、人が多くて……賑やかな街だと」


 椿は、ゆっくり周囲を見回す。


「でも、思っていたより空が広いです」

「あー、川があるからかな」

「水辺の街なのですね」


 白壁へ春の日差しが反射している。

 川面もきらきら光っていた。


 その景色を見つめながら、椿は少しだけ目を細めた。


「旦那様も、この景色をご覧になっていたのでしょうか」


 私はすぐには答えられなかった。


 たぶん。

 今見ている景色とは少し違う。


 でもきっと。

 この川も。

 蔵も。

 行き交う人の賑わいも。


 昔から、この街にあったものなのだ。


「……かもね」


 そう答えると、椿は嬉しそうに笑った。


「なんだか、不思議です」

「ん?」

「生きていた時には行ったこともない場所なのに、少し懐かしい気持ちになります」


 その言葉を聞きながら。

 私は、この場所を椿に見せてよかったな、と思っていた。


「よし、じゃあ観光して回ろうか」

「はい!」


 一応、少し調べて来たんだ。


「まず、アイビースクエア!」

「あいびー……?」

「昔の代官所があった場所なんだって。椿の旦那様もそこにお仕事に来ていたんじゃない?」

「……!それはぜひとも行きたいです!」


 アイビースクエアへは、川沿いを歩いていけば着く。

 通りの店を少し覗きながら、まずアイビースクエアへと向かった。

 やがて赤い外観の建物が見えて、中に入ると、そこには事前に調べた通り、代官所の跡地が残っていた。


「ここみたい」

「……お義父様と旦那様はここでお仕事されていたのですね……」


 石碑や水堀、井戸など、今も江戸の名残がそこにはあった。

 椿が写真に撮った井戸や石碑を愛しそうに撫でていて、ここに仕事に来ていたであろう旦那様の息吹や痕跡を探しているようだった。


「どう?何か思い出した?」

「少しだけ……」

「どんなこと?」

「旦那様のお名前を」

「え、何て名前?」

「源三郎さまです……」


 まるで飴玉を転がすように甘い声だった。

 ああ、椿は本当に旦那様のことが好きだったんだなって分かる声。

 「源三郎さま、か」

 私はその名前を繰り返した。

 椿は少し照れたように笑う。

「はい。とても穏やかで優しい方でした」

 そう言いながら、椿は井戸を見つめている。

「旦那様は、武芸より本を読むことがお好きで」

「へえ」

「倉敷へ来られるたび、本や紙を買って帰ってきてくださいました」

「文化系だったんだ」

「ぶんかけい……?」

「あ、なんて言えばいいんだろ。頭を使うのが好きな人?」

「まあ、それはその通りです」

 椿はくすりと笑った。

「お義父様には武士らしくないとよく怒られておりました」

「なんか想像できるなぁ」

「でも自分は三男坊だからいいんだ、と」

「なるほど」

 私は周囲を見回す。


 白壁。

 赤煉瓦。

 古い石。

 水の匂い。

 今もたくさんの歴史を感じる場所。


 ここに、源三郎という人もいたのだろうか。

 今はもう誰も知らない名前。

 でも椿の中には、ちゃんと残っている。

「……思い出しました。旦那様が一度だけ、びいどろ細工をお土産に買ってきてくださったのです」

「何をもらったの?」

「びいどろの簪です」

「簪?」

「はい。初めて見るびいどろの美しさに驚きました」

 椿は少し懐かしそうに目を細める。

「長崎という異国との窓口があった街から来たびいどろ玉を使った簪だと聞きました。淡い青色で……光に透けると、とても綺麗でした。海の色のようで……」

「へえ……」

「私は普段、あまり華美なものを持ちませんでしたから、とても惹かれました」

「嬉しかった?」

 そう聞くと、椿は少し照れたように笑った。

「……はい。簪を差して何度も鏡を見ました」

「そっか」

「私がそれを髪に差すと、旦那様が良く似合うと笑ってくださったのです」


 うん、仲のいい夫婦だったんだな。


「じゃあさ」

「?」

「ガラス細工の店見に行こうか」

「あるのですか!?」

「あるよ。私も新しいアクセサリー欲しかったから、椿が何か選んでくれる?」

「わ、私で良ければ喜んで!」



 美観地区の通りのほうへ戻ると、最初に目についたガラス細工の店に入る。

 ブレスレットメインみたいだ。


「椿さん、これ見てください!」


 椿が見つけたのは、トンボ玉に猫耳をつけた可愛らしいトンボ玉だった。

 名前もそのままで「ねこ玉」と書いてある。


「なんて可愛らしいのでしょう……」

「気に入った?」

「はい」

「じゃあこれにしようかな。ピアスがいいんだよね」

「ぴあす……?」

「うん、こういうの」

 と、私が指したねこ玉のピアスが並ぶ商品棚を椿がじっと見る。

「あの、ではこれはいかがでしょうか……」

「どれ?」

「上から二段目の右端のものです」

 椿が選んだのは、海の色に似た深い青色のピアスだった。

 ピアスのキャッチ部分が猫の肉球になっているのが細工が細かくて可愛い。お値段もそんなに高くないからこれくらいなら買える。

「椿さんが見せてくれた海の色に似ています」

「じゃあこれにしようかな」

 そのピアスを手に取ると私はレジへ向かった。

 それを買ってくると、椿が嬉しそうに笑っていた。

 うん、友達にアクセサリー選んでもらうのっていいもんだな。

「よし、じゃあ次は今日の最大のお目当て。パフェ食べに行くよ!」

「ぱふぇ……とは……?」

「ものすごくおいしい甘味!」

 甘味、という言葉に、一気に椿の笑みが輝いた。うん、ほんと分かりやすい。



 


「……」

「椿?どうかした?」

「……これは、本当に一人分なのでしょうか」


 テーブルに置かれたパフェを見て、椿が真顔で呟く。


 背の高い硝子の器。

 山のように盛られたソフトクリーム。

 その上の山盛りのイチゴ。

 アイス二種類。

 きらきらした飴細工。

 クッキー。

 ヨーグルトにジャムにグラノーラが器の底を彩っている。


 どう見ても、今まで椿が食べて来た菓子の量ではない。

「うん。これで一人分」

「……嘘でしょう?」

「本当だよ。大丈夫、美味しいから全部食べられるよ」

 パフェの写真を撮ると、スマホの中の椿の前にそのままパフェが現れる。

「未来の甘味、恐ろしいですね……」

「まあ食べてみてよ。この長いスプーンを使ってこうすくうの」

 食べ方の見本を見せると、恐る恐る椿もパフェのてっぺん部分のソフトクリームとイチゴをスプーンにすくって一口食べる。

 みるみるうちに顔全体で「美味しい」の笑顔になっていくのが本当に可愛い。


「椿さん……」

「うん、何?」

「このように……このように甘く美味なものを普通に食べられる未来を私はとても羨ましく思います……!!この冷たく甘いものはなんですか!?」

「ソフトクリームっていって、牛の乳から作られた氷菓子、かな」

「これが牛の乳から……」


 椿は肩を震わせて、パフェに涙を流してる。


「ね、美味しいでしょ?」

「ええ……!」

「イチゴのパフェも美味しいけど、桃のパフェも美味しいんだよ。その季節はソフトクリームも桃だし」

「もも……?あの小さくて渋い実ですか?」

「……ああ、そうか。椿の頃の桃ってそうなんだね。今の桃は大きくて甘くてジューシー、じゃ分からないか。果汁たっぷりですごくおいしい果物なんだよ」

「まあ……!」

「夏になるころには出回ると思うからまた食べに来ようね」

「はい!」

 それからゆっくりとパフェを食べて、最後の一口を食べる椿はとても残念そうだった。

「そんな顔しなくても、また来ればいいじゃん」

 そう言うと、椿は少し驚いたようにこちらを見る。

「……また」

「うん。季節変わったら、今度は桃パフェ」

 すると椿は、ふわりと笑った。

「未来とは、本当に良い時代ですね」

 桃のパフェが出るころにはだいぶ暑くなってるんだろうなぁ……。

 それだけは憂鬱だわ。




 それからもう少し美観地区を観光し、椿は道行く外国人に「金毘羅様で最初に見た時は少し驚きましたが、異国の方でもやはり同じ人間ですね」と笑っていた。

「なにが?」と聞いたら「目があり、鼻があり、口があり、言葉を話す。同じ人間です」と笑っていた。

 私は少しだけ目を丸くした。

 もっと驚くかと思っていた。

 でも椿は、まるで当たり前みたいに笑っている。

 同じ人間。

 うん、そうだね。私や椿と同じ人間だ。

「そっか」

「はい。服も言葉も違いますが、同じように笑っておられました」

 椿は穏やかに言う。

「なら、きっと同じです」

 ああ、そういう考え方は好きだな。


 昔の人だから、もっと異国の人を恐れるのかと思っていた。


 でも椿は違った。


 知らないものを見れば驚く。

 けれど、そこで拒絶はしない。


 まず「知りたい」と思う。


 きっと、だから。

 こうして未来の世界にも馴染めているんだろう。


「椿ってさ」

「はい?」

「結構、度胸あるよね」

「どきょう?」

「知らないもの見ても、ちゃんと受け入れるっていうか」


 椿は少し考えてから、困ったように笑った。


「……そうしなければ、怖くなってしまう気がするのです」

「怖く?」

「はい。私はもう、自分の知っていた時代へは帰れません」


 その言葉に、少しだけ胸が詰まった。

 椿は静かに続ける。


「ですから、せめて知らないことを恐れないようにしたいのです」


 春の風が、白壁の町並みを抜けていく。

 川沿いの柳が揺れていた。


「……そっか」


 私はそれ以上、何も言えなかった。


 でも。

 たぶん椿は、ずっと頑張っている。


 知らない時代で。

 知らない景色を見て。

 知らない食べ物を食べて。

 知らない言葉を覚えて。


 それでも笑っている。

 そのことを、私はちゃんと覚えておきたいと思った。


「よし」

 私は少し明るい声を出す。

「そろそろ帰ろっか。帰りに映画見に行きたいんだけどいい?」

「えいが……?とは……?」

「今の時代の娯楽の一つ。大きな紙芝居、みたいなもの?」

「かみ……しばい……?」

あー紙芝居じゃ分からないか。

「絵巻物ならわかる?」

「分かります」

「動く絵巻物、って感じの娯楽だよ」

「絵が動く……ですか?すみません、分からないです……」

「うん、だったら知りに行こう」

「……はい!」

 椿はまた嬉しそうに笑った。

「椿さん」

「ん?」

「倉敷に連れてきてくださってありがとうございます。ここにいた旦那様に会えたような気持ちになりました」

「……」

「今も美しいですが、きっと昔も美しい街だったのでしょうね」


 そう言って。

 椿は、少しだけ懐かしそうに蔵の並ぶ街並みをを見つめていた。

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