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少年法の壁  作者: リンダ


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答えのない問いの前で


第49話 答えのない問いの前で


 どうすればいいのか。


 高石にそう問うたとき、教室の中には答えが落ちてこなかった。


 それは意地悪ではなかった。

 むしろ逆だった。


 今まで六年一組の中では、答えが勝手に与えられていた。

 強い側にいること。

 笑う側にいること。

 見て見ぬふりをすること。

 逆らわないこと。


 それが“安全な答え”として、空気の中にもう用意されていた。


 でも今、その答えは壊れた。

 理人がいなくなり、学校の外から責任が問われ、親も教師も揺れ始めた中で、子どもたちは初めて、自分で考えなければならなくなった。


 それがどれほど怖いかを、六年一組はまだうまく言葉にできずにいた。



 相良拓斗は、その日家に帰ってからも高石の言葉を頭の中で繰り返していた。


 自分で考えてください。

 自分で答えを探してください。

 そして、自分たちで責任ある行動をしなさい。


 責任ある行動って何だろう。


 今さら理人に謝れば済むのか。

 でも理人はもうここにはいない。

 戻ってもこないかもしれない。

 じゃあ、自分たちに何ができるのか。


 相良はノートを開いたまま、何も書けずにいた。


 教室で見たこと。

 止めなかったこと。

 小さく味方したつもりで、結局は何も変えられなかったこと。


 その全部が、胸の奥で重たい石みたいになっていた。



 獅童たちの側も、前のようにはいられなかった。


 教室の中で誰かを小突けば、それが“笑い”で流れた時期は終わった。

 今は、ちょっとした視線やつぶやきまで、

 「また何かする気か」

 という目で見返される。


 神谷莉央も、前ほど余裕のある顔を作れなくなっていた。

 表面はまだ崩さない。

 でも、少し前なら軽く笑って流していたことに、今は反射的に周囲を確認するようになっている。


 親も学校も、前みたいに無条件には守ってくれない。

 守ろうとしても、もう外の目がある。


 そして何より、自分たちの書き込みや言葉が、

 「なかったことにはならない」

 と知ってしまった。


 それは加害者側の子どもたちにとっても、初めて味わう種類の怖さだった。



 そんな横須賀の空気とは別に、飯山では新しい季節が動き始めていた。


 八月も後半に入り、飯山の学校ではもう二学期が始まる。


 横須賀より少し早い新学期。

 朝の空気はまだ夏のままなのに、町の中には“学校が始まる感じ”が戻っていた。


 理人は前の日の夜、少しだけ眠りが浅かった。

 新しい学校。

 新しい教室。

 自己紹介。

 初日から全部がうまくいくはずはないと分かっている。


 でも、それでも今回は横須賀のときとは違った。


 嫌な記憶が先回りして胸を詰まらせる感じは、まだ少しある。

 それでも、

 ここではまだ何も始まっていない。

 そのことが理人を少しだけ支えていた。



 始業式の朝。


 新しい制服ではない。

 でも、新しい上履き。

 新しい学用品。

 美羽も少し緊張しているのか、朝ごはんのときはいつもより静かだった。


「緊張しとる?」

 と祖母が聞くと、

「ちょっとだけ」

 と美羽が答える。


 理人も同じだった。


 光が迎えに来る。


「よし、行くか」


 その一言が、妙に頼もしかった。


 理人と美羽は、祖父母の家から学校までの道を、光と一緒に歩く。

 山が見える。

 空は高い。

 足元にはまだ夏の熱が残っている。


 理人は心の中で何度も深呼吸した。


 大丈夫。

 怖くてもいい。

 でも、ここは横須賀じゃない。



 始業式のあと、理人はクラスで前へ立った。


 視線が集まる。

 それだけで少し喉が乾く。


「……伊達理人です」


 声は最初、少し硬かった。

 でも途中で、教室の空気が横須賀のそれとは違うことに気づき始める。


 誰も、値踏みする目で見ていない。

 誰も、“どんな弱みがあるか”を探す目をしていない。


 ただ、新しく来た子を見る目だ。


「……よろしくお願いします」


 理人がそう言って頭を下げると、

「よろしくー!」

 と何人かがすぐに返した。


 その速さに、理人は少しだけ驚いた。


 美羽のクラスでも同じだった。


「伊達美羽です!」

 と少し大きめの声で自己紹介すると、

 すぐに

「みうちゃんって呼んでいい?」

「どこから来たの?」

「休み時間なにして遊ぶ?」

 と、一気に話しかけられる。


 理人のクラスも、美羽のクラスも、

 引っ越してきた理由を執拗に聞いてくる子はいなかった。


 それよりも、

 休み時間に何するか。

 ドッジボールか。

 ミニサッカーか。

 校庭のどこが面白いか。

 そういうことの方が、よほど大事らしかった。


 その“おせっかいなくらいの普通さ”が、理人には少しまぶしかった。



 最初の休み時間。


 理人はどう動けばいいか分からず、少しだけ席で固まっていた。


 すると、前の席の男子が振り向いて言う。


「伊達、外いく?」

「え」


「ドッジボールやるんだって」

「……あ」

「無理ならいいけど」


 その聞き方にも、押しつけがなかった。


 理人が少し迷っていると、別の子が横から言う。


「いや、最初はミニサッカーの方が楽しいかも」

「えー、ドッジだろ」

「どっちでもいいじゃん、伊達が決めれば」


 その軽さが、理人には不思議だった。


 “新しく来た子を輪の中へ入れる”ことが、ここでは特別な配慮ではなく、普通の流れになっている。


 理人は少しだけ笑って言った。


「……じゃあ、見ててもいい?」

「いいよ!」

「そのうち入りたくなったら入ればいいし」

「ボール当てないようにするから」


 その返しに、理人はまた少し驚いた。


 横須賀では、輪の中に入ることは試されることだった。

 でもここでは、入っても入らなくても、とりあえず声をかける。


 その違いが、理人の肩から少しだけ力を抜いた。



 美羽の方はもっと早かった。


「みうちゃん、ドッジやる?」

「やる!」

「足速そう!」

「速いよ!」

「ほんとに?」

「ほんと!」


 そんなやり取りをしているうちに、もう輪の中へ入っていく。


 理人は校庭の端からそれを見て、少しだけ安心した。


 美羽もまた、ここなら前を向けるかもしれない。



 二学期の予定も、すぐに子どもたちの話題に上った。


 運動会。

 修学旅行。

 文化祭。


「修学旅行、日光なんだよ」

 と隣の席の子が言う。

「上野までは新幹線で、そこからJRと東武で行くらしい」

「東武日光まで?」

 理人が思わず聞く。

「そうそう! 知ってる?」

「……少し」

「鉄道好き?」

「……うん、ちょっと」


 その“鉄道好き?”に悪意がなかった。


 理人はそれだけで、胸の奥が少し熱くなる。


 好きなものを口にしても、すぐ笑われない。

 ここでは、それがまだ当たり前にできるらしい。



 一方で、横須賀ではついに民事裁判が始まった。


 横須賀市を被告とする、安全配慮義務違反と対応の不適切性に関する責任追及。

 佐藤絵梨奈が原告側代理人として立ち、学校側も市側も弁護士をつけて対抗する。


 だが、法廷や準備書面のやり取りの中で、学校側の説明は次第に苦しくなっていった。


 「適切に対応した」

 「教育的配慮を尽くした」

 「未成年児童への慎重な対応が必要だった」


 そうした抽象的な言葉は並ぶ。

 しかし佐藤が具体を問うと、答えが細くなる。


「では、なぜ長期欠席理由を“体調不良による在宅療養中”としか整理しなかったのですか」

「……学校としては、当時把握していた情報の範囲で」

「どの範囲ですか。音声データ提出後ですか、前ですか」

「……」

「“関わるな”という通達は、誰の判断ですか」

「……」

「被害児童を保護するために、学校が具体的に何を変えましたか」


 きちんとした答えが出せない。


 答えようとすると矛盾が出る。

 逃げようとすると、前の録音や書面と食い違う。


 法の場では、“雰囲気”で押し切ることはできなかった。



 その様子を、健斗と葵は静かに見つめていた。


 ここまで来ても、怒りは消えていない。

 理人が受けたものも、美羽が巻き込まれたことも、戻らない。

 でも少なくとも今は、曖昧な言葉で隠そうとする側へ、きちんと問いが返されている。


 それだけは、前へ進んでいるのだと思えた。


 高石もまた、証人として呼ばれる可能性を視野に入れながら、学校の内部資料や自分の記録を整理し続けていた。

 もう後戻りはしない。

 伊達家をここまで追い詰めた現実に、学校の中から証言する役目を自分が負うと決めている。



 放課後、飯山の空はまだ明るかった。


 理人はその日、帰ってきてから美羽と一緒に祖父母の家の縁側に座っていた。


「どうだった?」

 と光が聞く。


 美羽が先に答える。


「めっちゃ話しかけられた!」

「だろうな」

「ドッジボールもした!」

「早すぎるだろ」

「私、順応力高いから」


 そのやり取りに、理人も少し笑った。


「理人は?」

 光が聞く。


 理人は少し考えてから言った。


「……まだ、緊張した」

「うん」

「でも」

「……」

「嫌じゃなかった」


 その一言を聞いて、光の顔がやわらぐ。


「そっか」

「うん」

「それで十分だ」


 理人はそう言われて、少しだけ肩の力を抜いた。


 “平気だった”じゃなくていい。

 “楽しかった”まで行かなくてもいい。

 嫌じゃなかった。

 その小さな言葉を、そのまま受け取ってもらえることがありがたかった。



 夜、理人は一人でノートを開いた。


 横須賀で苦しみの言葉を書きつけたあのノートとは別の、新しいノートだった。


 そこへ、今日は短く書く。


 新しい学校は、まだこわい。

 でも、最初の日は思ったより息ができた。


 それを書いたあと、少し迷って、もう一行付け足す。


 ここでなら、生きていけるかもしれない。


 その言葉は、まだ希望というほど強くはない。

 でも、確かに昨日までの自分より前へ出ていた。



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