謝罪の資格
第46話 謝罪の資格
謝る、ということは、
言葉を口にすれば済むことではない。
「ごめんなさい」と言うだけなら、子どもでもできる。
いや、子どもの方が、まだまっすぐに言えることもある。
難しいのは、その前に自分のしたことをちゃんと見ることだ。
何を壊したのか。
誰をどこまで追い詰めたのか。
その現実を、逃げずに受け取ることだ。
それができないままの謝罪は、ただの形でしかない。
そしてこの物語の中では、
その“形だけ”にすら、誰もまだたどり着けていなかった。
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七月の終わりが近づいていた。
横須賀では、加害者側の家庭がそれぞれ目に見えてぎしぎしと音を立て始めていた。
外からの追及。
保護者会での怒号。
発信者情報開示。
学校幹部と教育委員会の不誠実さが表に出たこと。
それらの圧力は、子どもたちだけでなく、その家へも確実に食い込んでいた。
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神谷莉央の家では、父親が珍しく早く帰ってきていた。
だが、そこで始まったのは家族の再建ではなく、責任の押しつけ合いだった。
「お前がもっとちゃんと見てれば、こんなことにはならなかったんじゃないのか」
父親が母へ言う。
母親は即座に言い返す。
「あなたがそんなこと言える立場?」
「……」
「家にいない人が、何を“ちゃんと見てれば”って言うのよ」
「話をすり替えるな」
「すり替えてるのはそっちでしょ!」
莉央はその言い争いを、部屋のドア越しに聞いていた。
そして、やがて居間へ出ていく。
「もう、やめたら?」
二人が同時に振り向く。
「……莉央」
「何」
莉央の声は冷えていた。
「私に謝れって言う前に」
「……」
「お互いに謝ったら?」
母親が顔を強ばらせる。
「何言ってるの」
「だってそうじゃん」
莉央は言う。
「お父さんはお母さんのこと裏切ってるし、お母さんはそれ分かってるのに、何もないふりしてた」
「……」
「そんな家で、私だけ真っすぐ育つと思った?」
父親も母親も、返す言葉を持たなかった。
「自分たちはめちゃくちゃなことして、ちゃんと謝らないくせに」
莉央は続ける。
「私には謝れって?」
「……」
「そんな資格、ないよ」
その一言が、家の空気を完全に止めた。
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江口駿の家でも、似たようなことが起きていた。
母親は泣きながら言った。
「何でこんなことしたの、駿」
「……」
「どれだけ大変なことか分かってるの?」
駿はしばらく黙っていたが、やがて低く言った。
「大変なのは、家もずっとだろ」
「え?」
「金ない、金ないって毎日言って」
「……」
「機嫌悪いと当たり散らして」
「……」
「塾代もったいない、結果出せって言うくせに、自分はパチンコで金溶かしてるじゃん」
母親の顔が、見る間に崩れていく。
「それで俺だけに、ちゃんとしろって?」
「……」
「何をどう信じろって言うんだよ」
母親は口元を押さえた。
でも、反論できない。
駿の言葉は乱暴だった。
でも、その乱暴さの中に、自分でも抱えきれなかった長年の怒りが溜まっていることは明らかだった。
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水田蓮の家では、父親が「謝れ」と何度も言った。
「まずはお前が謝るべきだ」
「……」
「ここまで騒ぎになって、家の名前まで傷つけて」
そのとき、蓮が初めて机を叩いた。
「家の名前って何だよ!」
父親が黙る。
「俺が苦しいのはどうでもよかったくせに」
「……」
「点数悪いときだけ怒鳴って」
「……」
「褒めるときだって、結局は順位が良かったときだけじゃん」
「……」
「そんな人に、“ちゃんと謝れ”って言われても、何も入ってこない」
父親は、その場で一気に老けたように見えた。
だがそれでも、謝るというところまでは行けなかった。
自分が子どもを追い詰めてきた事実を認めることは、
自分の父親としての失敗を正面から見ることになる。
それができない。
だから結局、黙るしかない。
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中島こころの家も同じだった。
母親は珍しく食卓に座り、
「こころ、ちゃんと向き合いたいの」
と言った。
こころは乾いた笑いを浮かべる。
「ちゃんと?」
「うん」
「今さら?」
その二文字だけで、母親はもう傷ついていた。
でも、それはこころが何年も感じてきたことのほんの一部でしかない。
「仕事で忙しかったのは分かるよ」
こころは言う。
「でもさ」
「……」
「いない人に、“人の気持ち考えなさい”って言われても、何を考えればいいか分からんのよ」
母親は、そこで初めて本当に言葉を失った。
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獅童の家では、もっと露骨だった。
父親は怒鳴りながら言った。
「謝って済む話じゃねえんだぞ!」
獅童は冷たく見返す。
「じゃあ、謝らなくていいよ」
「何?」
「お父さんも、今まで一回も謝ったことないじゃん」
「……」
「物投げても、怒鳴っても、“お前のためだ”で終わり」
「……」
「それで俺だけには謝れって、意味わかんねえ」
父親が拳を握る。
だが今ここで手を上げれば、もう何も言えなくなることくらいは分かっていたのだろう。
拳は震えたまま、下ろされた。
結局、ここでも謝罪には届かない。
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どの家庭でも、親たちは子どもに
「謝れ」
「反省しろ」
「なぜそんなことをした」
と問い詰める。
だがそのたびに返ってくるのは、
親自身の身勝手さ、
家庭内不和、
裏切り、
放置、
数字だけで見る愛情の欠如だった。
子どもたちのしたことは決して許されない。
だがその根の下に、壊れた大人の姿があったことも、もう否定できなくなっていた。
そして何より重いのは、
その親たちが、自分の歪みを認めた上で子どもに向き合うのではなく、
最後までどこかで
「それでも親としての立場は守りたい」
という顔を捨てきれないことだった。
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一方、飯山では、暮らしの輪郭が少しずつ形になっていた。
理人と美羽が通うことになる学校の資料が届く。
祖父が通学路を一緒に歩いてみようと言う。
祖母が「この部屋は二人で使う?」と布団の位置を考える。
葵が飯山での仕事候補について電話をする。
健斗が日産販売店の担当者と具体的な勤務条件を詰める。
全部がまだ途中だ。
でも、途中だからこそ現実味がある。
「ほんとに住むんだね」
と美羽が言う。
理人は、机の上に置かれた新しい学校の案内を見ながら答える。
「……うん」
「なんか不思議」
「俺も」
でもその“不思議”は、嫌な感じではなかった。
少なくとも横須賀へ戻る想像より、胸がつぶれる感じはない。
理人は少しずつ思い始めていた。
これは逃げるんじゃない。
帰る場所を選ぶって、こういうことなのかもしれない。
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光との時間も、前より自然に深くなっていた。
もう“好き”と言い合ったことを、ことさらに意識しすぎる段階ではない。
でも、その言葉があったからこそ、二人の間には前よりも確かな安心ができていた。
練習の帰り道。
土手に座る時間。
祖父母の家の前で別れるときの一言。
そういう何でもない時間の中で、光は理人の歩調や表情をちゃんと見ていたし、理人もまた、光がそばにいることの意味を前よりずっと深く感じていた。
「理人」
「ん」
「こっち来てから、ちょっとだけ声出るようになった」
「……そう?」
「うん」
「光がうるさいからじゃね」
「なんだと」
「冗談」
理人が小さく笑う。
光も笑う。
そういうやり取りが、今はとても大事だった。
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だが、横須賀の学校も、加害者側保護者も、
誰一人、理人や美羽へ本当の意味で謝ることはしなかった。
保護者会で追及されても、
外部から批判を受けても、
家の中で子どもたちから歪みを突きつけられても、
結局最後まで、
「申し訳ない」の前に
「でも」
がつく。
学校は学校の立場を守る。
親は親の立場を守る。
誰も、まっすぐ
あなたを傷つけました
とは言わない。
その現実は、あまりにも重かった。
でも同時に、理人たちにとってはもう、そこへ期待しすぎない段階にも入り始めていた。
謝らない人たちのいる場所に、自分の未来を預けなくていい。
そのことが、飯山での新しい生活をよりはっきりさせていく。
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そして、引っ越しの日を迎える。
横須賀の家では、最後の荷物が運び出されていく。
家具がなくなると、部屋は思った以上に広く、思った以上に空っぽだった。
健斗は最後に居間を見回す。
葵は台所に立ち、しばらく動けなかった。
ここで暮らした時間がなくなるわけではない。
でも、ここで苦しんだ時間もまた確かにあった。
誰一人謝らないまま、ここを出る。
学校も。
加害者側保護者も。
誰も、本当の意味で理人や美羽へ頭を下げない。
その不条理を抱えたまま、伊達家は横須賀を離れる。
けれどそれは、負けて去るのではない。
守るために選んだ移動だった。
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飯山では、そのころ理人が縁側で空を見ていた。
もうすぐ、父と母も本格的にこっちへ来る。
家族の暮らしが、ここで始まる。
理人は胸の奥で、まだ消えきらない痛みを感じていた。
謝られていないこと。
ちゃんと償われていないこと。
それは簡単には消えない。
でもそれでも、
ここで生きる、という形が少しずつ現実になっている。
帰る場所を、自分たちで選ぶ。
それが今の理人には、何より大きかった。
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