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少年法の壁  作者: リンダ


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盾にされた未来



第39話 盾にされた未来


 言葉は、使い方によって刃にも壁にもなる。


 本来なら子どもを守るための言葉が、

 いつの間にか責任を曖昧にするための壁として積み上げられていく。


 その場に理人はいなかった。

 けれど、理人がいないからこそ、

 大人たちはもっと露骨に本音を出した。



 会議の場は、前回よりさらに限定されたものになっていた。


 学校側は校長の安西誠也、教頭、そして教育委員会から来た法務寄りの担当者。

 伊達家側は健斗、葵、弁護士の佐藤絵梨奈。

 高石正美も、学校の正式代表ではなく、あくまで事実経過を把握する担任として同席している。


 理人はいない。

 美羽もいない。


 守られるべき子どもたちが不在のまま、

 その未来をどう扱うのかを大人たちが決めようとしている。


 その構図自体が、佐藤にはすでに歪んで見えていた。



 最初に口を開いたのは、教育委員会担当者だった。


「本件については、非常にセンシティブな要素が多く含まれています」

「……」

「特に、相手方児童らは全員未成年であり、今後の成長や更生の可能性を十分踏まえた慎重な取り扱いが必要です」


 また、その言葉だった。


 慎重。

 未成年。

 更生可能性。


 安西校長も、それを引き取るように続ける。


「学校としても、教育の現場においては処罰的発想だけでなく、子どもたちがやり直していく道を残すことが重要だと考えています」

「……」

「少年法の精神に通じるような、人を断罪しすぎない視点も必要ではないかと」


 その“通じるような”という曖昧な言い方が、逆に意図をはっきりさせていた。


 直接の適用を言っているわけではない。

 だが、その精神を借りて

 責任追及を弱めたい

 ということだけは明白だった。


 葵は机の下で指を強く握りしめた。

 健斗も、安西の声をまっすぐ聞きながら、胸の奥の冷たさが増していくのを感じていた。



 そこで佐藤絵梨奈が、ゆっくりと資料を閉じた。


「確認します」

 と前置きして、安西を見た。

「今、校長先生がおっしゃっているのは、未成年であることを理由に、責任の所在を曖昧にしようということですか」


 安西は少しだけ眉を動かした。


「曖昧に、ではありません。教育的観点から――」


「教育的観点」

 佐藤が静かに繰り返す。

「では、その教育的観点とは、誰に向いていますか」


 誰もすぐには答えない。


 佐藤は止まらなかった。


「理人くんは学校を離れました」

「……」

「美羽さんも接触されています」

「……」

「過呼吸、長期欠席、明確な精神的疲弊、身体的被害、そして“消えたい”に近い心情の記録まであります」

「……」

「それでもなお、学校側が最初に語るのは加害児童の将来です」

「……」

「それは教育的配慮ではなく、責任回避です」


 教頭が声を硬くする。


「そのような決めつけは――」


「決めつけではありません」

 佐藤は即座に返した。

「録音記録、面談記録、発信者情報開示結果、学校側の対応経緯。これらを踏まえた評価です」



 高石正美は、そのやり取りを聞きながら、学校の中でずっと感じていた違和感が、初めて外の言葉で輪郭を持つのを感じていた。


 自分は教師だ。

 だからこそ、未成年のやり直しや成長の余地が大切だということ自体は分かる。

 でも今、学校側がやっているのは、それを

 被害の現実より先に置くこと

 だった。


 順番が違う。

 何度もそう感じてきた。


 高石は静かに口を開いた。


「校長先生」

「……何ですか」

「理人くんがいま、どの段階にいるかを、学校は本当に直視していますか」


 安西の表情が少しだけ硬くなる。


 高石は続ける。


「理人くんは、“学校へ戻るための調整対象”ではありません」

「……」

「まず守られるべき、被害を受けた子どもです」

「……」

「そこを外したまま、“向こうにも未来がある”を先に言うのは、理人くんをさらに消すことになります」


 会議室の空気が、また一段重くなった。



 安西は、なおも姿勢を崩さなかった。


「高石先生のお気持ちは理解します」

「……」

「しかし、学校は一人の子どもだけを見て判断するわけにはいきません」

「……」

「全体の秩序、他の児童の将来、学校運営、教育環境、それらを総合的に見なければならない」


 その瞬間、健斗が低く言った。


「つまり、組織の都合ですね」


 安西の目が、はっきりと健斗へ向く。


 健斗は続けた。


「全体の秩序」

「学校運営」

「教育環境」

「聞こえはいい」

「……」

「でも結局は、“学校の外へ問題が大きく出るのを避けたい”ということでしょう」


 教育委員会担当者が「それは飛躍です」と言いかける。

 だが健斗は止まらない。


「理人がいなくなってからも、教室では証言した子への圧力が続いている」

「……」

「教育委員会への報告も、“体調不良で在宅療養中”とだけ出そうとしていた」

「……」

「それのどこが、被害児童の保護を中心にした判断なんですか」


 教頭の顔色が変わる。

 その報告の文言まで把握されているとは思っていなかったのだろう。



 ここで佐藤絵梨奈が、さらに明確に言葉を置いた。


「法の観点から申し上げます」

 その声で、全員の意識が集まる。

「少年法は、未成年者の更生可能性を前提とした制度です」

「……」

「しかし、その趣旨は“責任を消すこと”ではありません」

「……」

「責任をあいまいにし、被害事実を小さく見せ、追及そのものを悪であるかのように扱うことは、法の趣旨の誤用です」


 安西が小さく息を吐く。


 佐藤は続ける。


「さらに言えば、学校は治外法権ではありません」

「……」

「学校という閉じた空間の中で起きたことだからといって、外の法や人権の視点が届かなくていい理由にはならない」

「……」

「むしろ、閉じた空間であるからこそ、外の視点が必要です」


 その言葉は、会議室の真ん中に重く落ちた。


 学校を治外法権にしてはいけない。


 それが、今日この場でのいちばん大きな命題だった。



 葵はその言葉を受けるように、静かにはっきり言った。


「守るのは、まず被害を受けた側の人権と未来です」


 誰も口を挟まない。


「理人は、今、生きていくこと自体がしんどくなるところまで追い込まれました」

「……」

「美羽も巻き込まれました」

「……」

「その子たちの人権と未来を守ることが最優先です」


 そして、一拍置いてから続ける。


「加害した子どもたちの人権や未来は、責任をきちんと果たした上で論じるべきです」

「……」

「順番を逆にしないでください」


 その言葉で、教頭は視線を伏せた。

 安西はまだ顔を上げていたが、その穏やかな表情の奥には、明らかな苛立ちが混じり始めていた。



 高石はその様子を見ながら、胸の中で静かに思っていた。


 学校は、ここまで来てもまだ“守る順番”を間違えている。

 理人がいなければ、なおさらそうだ。

 被害者がその場にいない会議では、加害者や組織の未来の話ばかりが先に出てくる。


 だからこそ、外へ持ち出すしかない。


 学校の中だけに任せれば、

 また“全体の秩序”や“教育的配慮”の言葉で、

 理人の苦しさは薄められる。



 会議の終盤、佐藤は最後にはっきり宣言した。


「こちらは、集めた証拠と記録をもとに、必要な外部機関へ順次提出を進めます」

「……」

「教育委員会だけでなく、必要に応じて法的手続きも含めて進めます」

「……」

「学校内部の論理だけで、この件を閉じるつもりはありません」


 安西が初めて、穏やかな声の中へ冷たさをにじませた。


「それは、学校としては極めて遺憾です」


 佐藤はまっすぐ見返した。


「遺憾で結構です」

「……」

「学校が閉じた空間であることを理由に、被害が曖昧にされる方が、私たちにとってはよほど深刻です」


 それで、会議は終わった。


 何かが丸く収まったわけではない。

 むしろ、立場の違いが決定的になっただけだった。


 けれど、それでよかった。


 もう曖昧なままではいられないところまで来ている。



 会議室を出たあと、健斗は静かに言った。


「外に持ち出す」


 その一言に、葵もうなずく。


「うん」


 高石も、短く言った。


「学校の中だけでは守れません」


 佐藤はファイルを閉じながら答える。


「ここからです」

「……」

「理人くんがいない場所で語られた“本音”は、全部意味を持ちます」

「……」

「大人たちの本質は、もう十分出ています」



 飯山の夜。

 理人は、そのことをまだ詳しくは知らない。


 でも、電話口で聞いた父と母の声に、前より少しだけ迷いが減っていることは感じていた。


 何かが決まったのだ。

 学校の中では終わらせない、という方向へ。


 理人は縁側に座って、夜空を見上げる。


 戻れない教室。

 でも、戻したいと大人たちが勝手に決める未来ではなく、

 自分の人権と未来を守るために動く人たちがいる。


 それだけが、今の理人には静かな支えだった。



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