守られるのは誰か
第38話 守られるのは誰か
会議室の空気は、最初から張りつめていた。
横須賀市内の教育委員会に近い会議用スペース。
学校の中ではない。
だが、完全に外でもない。
その半端さが、今日の場の性質をよく表していた。
テーブルの片側には、伊達健斗、伊達葵、高石正美、そして弁護士の佐藤絵梨奈。
向かいには、校長の安西誠也、教頭、学校側の顧問的立場で同席した教育委員会担当者。
さらに少し離れた位置には、記録係として座る職員がいる。
形としては、
「事実関係の整理と今後の対応協議」。
だが、実際には違った。
これは、
守ると言いながら守らなかった学校
と、
壊されかけた子どもを守ろうとする側
の、真正面からの対決だった。
最初に口火を切ったのは佐藤絵梨奈だった。
机の上には、整理された資料が並んでいる。
録音データの文字起こし
SNS裏アカウントの発信者情報開示結果
机の落書き写真
あざの写真
理人本人の状態に関する記録
学校との面談記録
校長・教頭との録音書き起こし
佐藤は落ち着いた口調で言った。
「本日は感情論ではなく、事実と責任の整理のために来ています」
「……」
「まず確認したいのは、理人くんが長期欠席に至った原因について、学校側がどう認識しているかです」
安西校長は、姿勢を崩さずに答えた。
「学校としては、複数児童による不適切な言動が、理人くんの心理的負担を強めた可能性は重く受け止めています」
「可能性」
佐藤が繰り返す。
「まだ“可能性”という表現なんですね」
教頭がすぐに補足する。
「いえ、もちろん負担があったこと自体は否定しません。ただ、個々の児童の行為と理人くんの現状との間に、どこまで法的因果関係を見いだすかについては、慎重な検討が必要です」
その言い方に、葵の眉がぴくりと動く。
まただ。
また、言葉をきれいにしながら薄める。
健斗が低く言った。
「うちの息子は、学校へ行こうとしただけで過呼吸を起こしました」
「……」
「“消えたい”に近い言葉も出ています」
「……」
「それでもなお、“どこまで因果関係があるか慎重に”ですか」
教育委員会担当者が、できるだけ中立を装う声で入る。
「保護者のご心痛は理解します。しかし、学校としても未成年児童への対応には慎重さが求められます」
「慎重さ?」
葵が返す。
「何に対しての慎重さですか」
「……」
「被害を受けた子どもの命より、加害した側への配慮の方が先なんですか」
会議室の空気が一段重くなる。
ここで、安西校長がゆっくり口を開いた。
「誤解のないよう申し上げますが、学校は加害行為を容認しているわけではありません」
「……」
「ただし、相手は未成年です。少年法の趣旨にも通じる考え方として、未成熟な段階にある子どもたちの将来や更生可能性には、最大限の配慮が必要です」
それが、今日学校側が持ち出してきた最大の盾だった。
少年法。
正確には学校そのものに直接適用される話ではない。
だが校長は、その精神を盾にすることで、
“未成年の未来を守るため、過度な責任追及は避けるべきだ”
という方向へ会議を引っぱろうとしている。
安西は続ける。
「今回の件を、拙速に“加害者”“被害者”と固定し、特定児童の将来に重大な不利益を与える形で進めることには、学校として強い懸念があります」
「……」
「未成年の更生の機会を閉ざすような動きは、教育現場として慎重であるべきです」
その言葉に、佐藤絵梨奈がはっきり反応した。
「校長先生」
「はい」
「今、おっしゃっているのは、法の言葉を借りた責任回避です」
安西の表情がわずかに硬くなる。
佐藤は止まらなかった。
「少年法は、未成年者の更生可能性を踏まえた制度です」
「……」
「ですがそれは、“何をしても責任を問うな”という意味ではありません」
「……」
「まして学校が、自校内で起きた暴言や暴力、組織的排除への対応を鈍らせるための盾として使っていい論理ではありません」
教頭が言葉を挟もうとする。
「いえ、盾という表現は――」
「盾です」
佐藤はきっぱり言った。
「現に今、学校側は被害事実の重さより、加害児童の将来不利益の方を先に語っている」
「……」
「それが盾でなくて何ですか」
高石正美は、隣でそのやり取りを聞きながら、自分の学校が今どこへ立っているのかを改めて見せつけられていた。
校長と教頭は、理人を守る話をしていない。
加害した子どもたちの将来と、学校の責任が広がることを防ぐ話をしている。
高石は静かに口を開いた。
「校長先生」
安西が視線を向ける。
「理人くんは、もう“学校へ戻れるかどうか”の前に、“生きられるかどうか”のところまで追い込まれました」
「……」
「その子を前にして、未成熟だからとか、更生の余地があるからとか、そういう話を先に出すのは順番が違います」
「高石先生」
安西が少し低い声になる。
「あなたは感情に寄りすぎています」
「違います」
高石は返す。
「現実に寄っています」
その一言で、教頭が小さく息をのむ。
高石は続ける。
「私は担任として、言葉が消えていく理人くんを見ました」
「……」
「怒る力も、泣く力も、なくしていく子どもを見ました」
「……」
「その現実より先に、加害した側の未来を語るなら、学校はもう教育の顔をしていないと思います」
会議室に、短くない沈黙が落ちた。
しかし、学校側はなおも崩れなかった。
教育委員会担当者が、資料へ目を落としながら言う。
「ただ、実務上の問題として、未成年児童の氏名や具体的行為の取り扱いについては、外部への展開には慎重である必要があります」
「……」
「特に、学校外での責任追及が強まれば、該当児童らがレッテルを貼られ、将来的な社会復帰や学校生活に重大な支障を来す可能性があります」
健斗がそこで、静かに言った。
「その“重大な支障”は、うちの息子にはもう出ています」
担当者が言葉を止める。
「理人は学校を離れました」
「……」
「妹の美羽まで接触されています」
「……」
「好きだったものを好きと言えなくなり、呼吸まで壊されています」
「……」
「それでもまだ、“向こうの将来に支障が出るかもしれない”を先に言うんですか」
葵も続けた。
「理人の未来は、もう今この瞬間に削られとるんです」
「……」
「削った側の未来だけを守るために、理人が黙って耐えろというなら、そんな話に応じる気はありません」
その声は怒鳴り声ではなかった。
でも、逃げ道を一切認めない重さがあった。
佐藤絵梨奈は、ここでさらに一歩踏み込んだ。
「確認ですが」
と前置きしてから、安西を見た。
「学校は今後も、“少年法の趣旨”を根拠として、加害児童への具体的責任追及を抑制する方針ですか」
安西は少し間を置く。
言葉を選んでいる。
だが、その選び方自体がもう録音されている。
「抑制、というよりは」
安西は答える。
「教育的配慮を最優先に考えたいということです」
「教育的配慮」
佐藤が繰り返す。
「被害児童の保護よりも、ですか」
「そのような単純な二項対立ではありません」
「では、理人くんの保護を最優先にした具体策を、今この場で示してください」
その問いに、安西は一瞬、答えを失った。
教頭が助け舟を出すように言う。
「学校としては、別室対応や段階的登校の可能性を――」
「それは“理人くんを学校へ合わせる策”です」
佐藤が即座に切る。
「私が聞いているのは、“学校が理人くんを守るために何を変えるか”です」
また、沈黙。
その沈黙が、学校側の不誠実さを何より雄弁に語っていた。
机の下で録音中のスマホは、静かにこの全部を拾っていた。
校長の穏やかな声。
教頭の言い換え。
教育委員会担当者の中立を装った抑制。
そして、“未来”という言葉で責任を薄めようとする論理。
全部、残っている。
健斗はそのことを思いながら、最後にはっきり言った。
「こちらは、加害した子どもたちの人生を潰したいわけではありません」
「……」
「でも、うちの息子と娘の人生がすでに潰されかけている」
「……」
「それを守るために動くことを、誰にも止める権利はない」
葵も、静かに続けた。
「理人と美羽の人権と未来を守るために、私たちはやるべきことをやります」
「……」
「それで“向こうの未来を奪うのか”と言うなら、奪ったのは誰かをまず見てください」
高石は隣で、深くうなずいた。
会議が終わったあと、外へ出た廊下でしばらく誰も口を開かなかった。
先に沈黙を破ったのは高石だった。
「……ここまでとは思ってましたが、やっぱり」
「うん」
健斗が短く返す。
葵は疲れた息を吐きながら言う。
「理人を守る話じゃなかった」
「加害者側と学校の未来を守る話だったな」
健斗が言う。
佐藤絵梨奈は手元のメモを閉じた。
「でも、十分です」
「……」
「今日の会話で、学校がどういう論理を使って責任をぼかそうとしているか、かなり明確になりました」
「録音もあります」
健斗が言う。
「はい」
佐藤はうなずく。
「これで外へ出す材料が一つ増えました」
その夜、飯山では光が理人へ「今日は元気ねえな」と言いながら、冷えた麦茶を差し出していた。
理人は縁側でそれを受け取り、少しだけ笑おうとして笑いきれない顔をする。
「……ちょっと、考えごと」
「横須賀のこと?」
「うん」
光は隣へ座った。
「まだ、しんどいよな」
「……うん」
「でも、ここでは息しててええよ」
理人は、その言葉に小さくうなずく。
横須賀では、校長たちが“未来”を盾にしていた。
でも飯山では、誰もそんな言葉で理人を責めない。
ただ、息してていいと言ってくれる。
その違いが、今の理人にはあまりにも大きかった。




