第7話 ただの旅人です
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喫茶店は、フーティアが思っていたよりも少し小さかった。
通りに面した窓はきれいに磨かれ、壁沿いには木のテーブルがいくつか並んでいる。カウンターの奥には、茶葉の缶が整然と一列に並べられていた。
入り口には小さな銅の鈴が連なって下がり、隙間から風が吹き込むたび、触れ合って、ちりん、ちりんと小さく鳴った。
ただ、今の店内はひっそりとしていて、自分たちのほかに客はいなかった。
フーティアは窓際の席を選んで腰を下ろした。フーティナはいつものように、入り口とカウンターの両方が見える側に座る。
二人はこの土地のお茶を二杯と、菓子を一皿頼んだ。ほどなく、ヨーゼフが盆を手にやってきた。
陶器のカップが二つに、菓子が三皿。
フーティアは盆を二秒ほど見つめ、それから確認するようにテーブルへ目を落とした。
「あれ、一皿しか頼んでませんよ?」
「あとの二皿は、私からお二人に」
ヨーゼフは菓子の皿を一つずつ並べた。
「ご挨拶代わりということで」
フーティアの目がぱっと輝いた。
「わあ……ヨーゼフさん、私、もうあなたのことが好きになっちゃったかも」
「光栄だね」
隣でフーティナが小さく鼻を鳴らす。
「あなたの好意って、本当に安いのね」
「安くないよ。お菓子が二皿もあるんだから」
フーティアはもう、待ちきれずに一つ手に取っていた。
表面にはごく薄く砂糖衣がかかっていて、かじると、まずさくりと音がした。けれど中は、焼きたてのパンのように柔らかい。甘さは控えめで、ほのかに果物の香りがした。
何度か噛んで、幸せそうに目を細める。
「おいしい……」
続けてカップを持ち上げた。お茶の色はごく淡いのに、口にすると香りから想像したよりずっと濃く、かすかな苦みもある。
フーティアは思わず鼻にしわを寄せ、すかさずもう一つ菓子を口にした。
「これでちょうどいい」
フーティナが彼女をちらりと見た。
「お茶を飲んでるの? それとも、お菓子のお供にしてるだけ?」
「組み合わせを楽しんでるの」
「そう」
フーティナはうつむいて自分のお茶を一口飲むと、ほとんど手をつけていない菓子の皿を、さりげなく横へ押した。皿はちょうどフーティアの手元で止まった。
フーティアは残っている菓子を見てから、向かいへ顔を上げ、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「くれるの?」
「甘すぎるのは好きじゃないから」
……さっき私が食べすぎだって言ってたときは、そんなこと言わなかったくせに。
「食べないなら返して」
フーティアはすぐに皿を引き寄せた。
「食べる!」
すかさず、自分の前で皿をかばうように抱え込む。
カウンターの手前にいたヨーゼフは、そのやり取りを最初から最後まで見ていた。
空の盆を手元へ引き寄せ、二人を見比べる。
「仲がいいんだね」
「誤解です」
フーティナはカップを半回転させた。
「あとで私の皿をじっと見つめられても困るので」
「そんなことしないよ!」
まだ口に菓子が入っていて、フーティアの言葉はもごもごとくぐもった。
ヨーゼフは盆を手に、カウンターへ戻っていく。
店内は再び静かになった。
窓の外を時折人が通り過ぎ、風に揺られた銅の鈴が小さく鳴っている。
カウンターの上を片づけ終えたヨーゼフは、手を拭きながら、窓の外へ目を向けた。
しばらくして、ふとため息をついた。
「最近は……お二人のように、よそから来る人も少しずつ増えていてね」
フーティアは一瞬、噛むのをやめた。それから目を落としてお茶を一口飲み、口の中の菓子をのみ込む。
「ここに、すごくきれいな景色があるからですか?」
少し考えて、つけ加える。
「日の出とか」
「日の出?」
「はい」
フーティアはうなずいた。
「私たちが来るとき――」
『フーティア』
雲の高さを示そうとしていた手が、宙で止まった。
『ん?』
『その調子だと、途中で雲をいくつ見たかまで話すことになるわよ』
フーティアは手を引っ込め、うつむいてお茶を飲んだ。
フーティナが話を引き取る。
「ヨーゼフさん、先ほど、最近はよそから来る人が増えているとおっしゃいましたね?」
ヨーゼフの笑顔は変わらなかった。
「さっきも、そう話したと思うけれど?」
「旅行客のことを言っているのではありません」
喫茶店が一瞬、静まり返った。
菓子を持つフーティアの手も止まった。
フーティナはヨーゼフをまっすぐ見つめていた。
「最近、この辺りには身元のわからない人間が頻繁に出入りしていると聞きました」
ヨーゼフはすぐには答えなかった。
彼の手は、カウンターの縁に置かれていた。
その言葉を聞くと、指先がほんのわずかに曲がる。
「そうかい」
「ご存じありませんか?」
「この辺りには、毎日知らない人が来るからね」
ヨーゼフはかすかに笑った。
「商売をしていると、一人ひとり素性を確かめるわけにもいかないんだよ」
フーティナは何も言わなかった。
フーティアも黙った。
さっきまで居心地のよかった喫茶店が、急に静まり返った。時折、窓辺の銅の鈴が小さく鳴るだけだった。
ヨーゼフは、変わらずそこに立っていた。
口調も、笑顔も、そのままで。
『フーティナ』
『ええ』
フーティアは菓子を持つ指に、そっと力を込めた。
『どうする?』
フーティナはカップを持ち上げ、ゆっくりとお茶を一口飲んだ。
『このまま聞くわ』
『警戒されない?』
『もうされてる』
『……それもそうだね』
『だったら、遠回しに聞く必要もないでしょう』
フーティナはカップを置いた。
「では、聞き方を変えます」
ヨーゼフは彼女を見た。
「この辺りには、毎日知らない人が来る」
「その人たちは、このお店にもよく来るのですか?」
ヨーゼフの手は、カウンターに置かれたままだ。
「お二人は、いったい何を知りたいのかな?」
「ここに、敵国のスパイが潜んでいるのではないかと疑っています」
ヨーゼフはカップに布を当てたまま、手を止めた。
「スパイ? 外では、もうそんな話になっているのか……」
彼はカップを棚へ戻さず、まず通りに面した窓へ目をやった。
「それで?」
カウンターに手をつき、ヨーゼフは初めて、遠慮のない視線でフーティナをまっすぐ見据えた。
「お二人は、いったい何者なんだ?」
フーティアの手にした菓子が、口元で止まった。
『ちょっと……聞きすぎたみたい』
『ええ』
『どうするの?』
『もう十分よ』
フーティアは目を瞬かせた。
『何が十分なの?』
『私たちが何を聞いているのか、彼はわかっている』
フーティアはカウンターへ目を向けた。
ヨーゼフはまだ、拭きかけのカップを握っている。
フーティナはティーカップを持ち上げ、顔を少し下げて、水面に浮かぶ茶葉へ軽く息を吹きかけた。
「ただの旅人です」
「旅人は、こんなところへスパイのことを聞きに来たりしない」
「それもそうですね」
フーティナは意外なほどあっさりとうなずいた。
ヨーゼフがわずかに眉をひそめる。
「それなら――」
「でも、先ほどの質問には、もう答えていただきました」
「私は何も言っていないよ」
「ええ」
フーティナは目を上げた。
「何も」
二人の視線が、一瞬ぶつかった。
ヨーゼフは何かに気づいたように、カウンターに置いていた手をゆっくりと引く。
「お二人とも、今日のところは――」
テーブルの下で、フーティナがそっと指を曲げた。
ヨーゼフの言葉が途中で止まる。
フーティアは、彼の視線が自分たちの顔からそれて、手元のカップへ落ちるのを見た。
彼はしばらくそれを見下ろし、すでに拭いた縁を、また布で拭く。
「すまない。今、少しぼんやりしていたかな?」
ヨーゼフはこめかみを揉んだ。
「少しだけ」
フーティナは何食わぬ顔でお茶を一口飲む。フーティアは、そんな彼女をじっと見つめていた。
『何をしたの?』
『さっきの数分を取り除いたの』
『……取り除いた?』
『ほかにどうしろと? 素性のわからない少女が二人、この辺りを調べているって、ほかの人に知らせに行かせるの?』
フーティアはヨーゼフを見た。
彼はもうカウンターのカップを並べ直し始めていて、表情も最初の穏やかなものに戻っている。
口の中の菓子が、さっきほど甘くない気がした。
『でも……お菓子を二皿もくれたのに』
『だから?』
フーティアは目を落とし、皿の縁に残った菓子のくずを見つめた。
『こういうのって……すごく失礼な気がする』
『だったら、お菓子を返してきなさい』
フーティアは目を落とした。皿はもう空だった。
『……また、このお店に来ようね』
『行くわよ』
そう言って、フーティナは立ち上がった。
それを見たヨーゼフは、すぐに作業の手を止め、二人のほうへやってくる。
フーティアはもう、小銭の入った袋を取り出していた。
「お茶二杯と、最初に頼んだお菓子一皿……全部でいくらですか?」
ヨーゼフが金額を告げた。
フーティアは銅貨を一枚ずつテーブルに置き、変わらず穏やかな礼の言葉を聞く。
店のドアを押し開けると、通りは変わらずにぎわっていた。
少し先の飴の露店では、アリスがまだ木箱に足を乗せて座り、受け取ったばかりの銅貨を夢中で数えていた。
フーティアは最後の飴を口に含んだまま、喫茶店を振り返った。
「フーティナ」
「何?」
「ここって、本当に敵国のスパイが隠れてるような場所なのかな?」
フーティナはポケットから地図を取り出し、その一角を広げた。
ヴェルナーの描いた丸の中には、細い通りが何本もひしめいている。
彼女は答えず、古い折り目に沿って地図を畳み、しまい直した。




