第6話 飴一個、銅貨三枚
---
次の露店の前まで来たところで、フーティアが突然足を止めた。
フーティナはさらに数歩進んでから、隣が静かになったことに気づく。
振り返ると、白髪の頭が店主の手を追い、飴の入った赤い瓶から隣の黄色い瓶へと向きを変えていた。
「フーティア、仕入れに来たんじゃないのよ」
フーティアは飴の露店の前で、ぴたりと動かなくなっていた。
色とりどりの飴がガラス瓶に詰められ、陽射しを受けてきらきらと輝いている。
フーティアの魂は、もう先に瓶の中へ入り込んでしまったようだった。
けれど、店番をしているのは大人ではなかった。
フーティアより、さらにいくつか年下に見える女の子だ。
栗色の髪を後ろで簡単に束ね、見るからに一回り大きな古いエプロンをつけている。
まだ背が足りず、木箱に乗って客の相手をしていた。
エプロンのポケットには小銭と短い鉛筆が入り、傍らには途中まで解いた算数の練習帳が広げられている。
いつまでも飴を見つめるフーティアに、少女は思わず笑みをこぼした。
鉛筆を練習帳に挟み、木箱の上で背筋を伸ばす。
大きすぎるエプロンの肩紐がずり落ちていて、それを引き上げてから、こちらへ身を乗り出した。
「お姉ちゃん、食べたいの?」
「見てるだけだよ」
フーティアは大まじめな顔で嘘をついた――
よりによって、そのときお腹が鳴った。
フーティナは隣の果物の露店へ目を向け、さらに半歩、距離を取った。
……今さら他人のふりをしても、遅いんじゃない? 同じ顔をしてるんだから。
少女はぷっと吹き出すと、つま先立ちになり、小さな手で瓶から飴をいくつかつかんで、フーティアの前へ差し出した。
「あはは、食いしん坊なお姉ちゃんだね。これ、二人にあげる!」
「えっ、いいの? ありが――」
手を伸ばしかけたフーティアの視界の端に、フーティナが映った。
何も言わず、伸ばしかけたその手を、ただ静かに見つめている。
フーティアの動きが止まった。
『……何?』
『別に』
『その目、絶対何か言ってるでしょ』
『この子は店番をしているのよ』
『わ、わかってるよ』
『この飴の分、この子に自腹を切らせるつもり?』
フーティアは伸ばしかけた手を一瞬止め、そのまま自分のポケットへ向けた。
「……ありがとう。でも、やっぱりお金は払うね!」
少女はぱちぱちと目を瞬かせた。
「うん。一個、銅貨三枚だよ」
「三枚!?」
小銭を探していた手が、ポケットの中で止まった。
前にこういう飴を買ったときは、こんなに高くなかったのに。
少女はその声に、びくりとした。
「た、高いかな?」
少女は手の中の飴を見下ろし、それから少し慌てた様子で、エプロンのポケットの小銭を探り始めた。
「でも、お母さんが最近お砂糖がすごく高くなったって言ってたから、ほんのちょっとしか上げてないんだけど……」
フーティアはそこでようやく、まずいことを言ってしまったと気づいた。
「違うの、違うの。値段が高すぎるって言いたいんじゃなくて――」
少女は手の中の飴を見つめ、その手をゆっくりと瓶のほうへ引っ込めた。
「じゃあ……一枚少なくてもいいよ」
「安くしなくていいから!」
フーティアは慌てて手を伸ばしたものの、手が当たって飴を落としてしまいそうで、宙に浮かせたまま止めた。
「さっきは声が大きすぎただけなの。三枚で大丈夫。ちゃんと買うから、戻さないで」
おろおろと手を振る。
フーティアが説明すればするほど、少女は戸惑い、目の縁はかえって赤くなっていった。
うつむくと、しょんぼりと鼻をすすり始める。
『泣かせた人がなだめなさい』
フーティナは隣で、まるで他人事のように立っていた。
『あなたにも責任あるでしょ!』
『私は何も言ってないわ』
『くぅ……』
フーティアがいよいよどうしていいかわからなくなりかけたとき、背後から穏やかな男の声がした。
「アリス、その飴は私が買おう」
銅貨が数枚、店先に置かれた。
男は腕に抱えた紙袋を持ち直し、フーティアにもうなずいてみせた。
「今の飴の値段を初めて聞いたら、驚くのも無理はないよ」
少女はすぐに顔を上げた。
「ヨーゼフおじさん」
男は茶葉とパンがいっぱいに入った紙袋を抱え、歳は三十前後に見えた。
濃い茶色の髪は少し癖があり、ごく普通の淡い色のシャツを着て、袖を肘まで無造作にまくっている。
細いフレームの眼鏡をかけ、笑うと目尻がわずかに下がる。
彼はアリスの頭を優しく撫でた。
「あ、ありがとうございます!」
フーティアは両手を合わせ、心を込めて礼を言った。それから、木箱の上の少女へ視線を落とした。
「さっきはびっくりさせちゃって、ごめんね」
アリスはようやく、飴を改めて紙袋に詰めた。
「お姉ちゃん、今度は本当に持っていっていいよ」
「ありがとう!」
ようやく念願の飴を手に入れたフーティアは、さっそく飴を一つ包みから出し、口へ放り込んだ。
すぐに、頬がぷくりと膨らんだ。
ヨーゼフはそんな彼女を見て、思わず笑みをこぼした。それから、フーティナへ目を向ける。
「お二人は……双子の姉妹かな?」
何気ない口調だった。
「この辺りの人には見えないね」
フーティアは飴を噛みながら、こくこくとうなずいた。
「うん、私とフーティナは――」
「外国から来た旅人です」
フーティナがごく自然に言葉を引き取った。フーティアは隣を向いた。
『私の台詞、取った』
『口に飴が入ってるでしょう』
『飴があっても話せるよ』
『失礼よ』
ヨーゼフは二人の小さなやり取りには気づかなかったらしく、笑顔でうなずいただけだった。
「なるほど」
彼は目を落とし、紙袋を反対の手に持ち替えた。
「近頃のスティグマは、あまり落ち着いていなくてね。旅の途中で立ち寄っただけなら、あまり長居はしないほうがいいと思うよ」
フーティナが彼を見た。
「戦争になるかもしれないからですか?」
ヨーゼフの笑顔は消えなかった。
「戦争で暮らしが楽になることはないからね」
ヨーゼフは紙袋を反対の手に持ち替え、通りの脇へ軽く顎をしゃくる。
「少なくとも、物の値段はもう上がり始めてる。砂糖に、お茶に、小麦粉……この調子じゃ、そのうち愚痴をこぼすのにもお金を取られそうだ」
隣で果物の露店を片づけていた男が、それを聞いて笑いながら軽口を返した。
「そうなったら、真っ先に潰れるのはあんたの店だな」
ヨーゼフも笑った。
「だから、本当に戦争にならないよう、毎日祈ってるんだよ」
そう言って、二人へ向き直った。
「でも、もう何日か滞在すると決めているなら――」
少し体を横に向け、通りの反対側を指さす。
そこには、湯気の立つティーカップが描かれた、目立たない木の看板が掛かっていた。
「せめて、お腹を空かせたまま歩き回らないことだね」
フーティアはすぐに、手元の飴へ目を落とした。
「ちゃんと食べてます」
「飴はご飯のうちに入らないよ」
「……」
『この人、あなたに似てる』
『どこが?』
『人が何を食べるか、いちいち口を出すところ』
『あなたのせいで私まで恥をかかないようにしてるのよ』
ヨーゼフは穏やかに笑っていた。
「すぐそこが私の店なんだ。少し座っていかないかい?」
ティーカップの看板をもう一度指さしてから、思い出したようにつけ加えた。
「そうだ、私はヨーゼフ」
フーティアの目が、わかりやすく輝く。
「はい! ヨーゼフさん! お店にはお菓子もありますか?」
フーティナは額を押さえた。ヨーゼフは一瞬きょとんとして、それから声を上げて笑った。
「あるよ」
「じゃあ、行きましょう!」
フーティアはもう看板へ向かって歩き出していた。
フーティナもそちらをちらりと見た。通りに面した窓の向こうには、空いたテーブルがいくつか並んでいる。あそこに座れば、行き交う人々の様子がよく見える。
彼女は視線を戻した。
「私はフーティナです。もう先に行ってしまったのが、フーティア」
「よろしく」




