第4話 名前のない魔女
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――エドワードの不可解な敵意よりも、フーティナが気にかけていたのは、数分前にヴェルナーが口にしなかった、ある名前だった。
「依頼の詳細について、ほかに質問はあるかね?」
フーティアは首を横に振ったが、フーティナは動かなかった。
ヴェルナーはしばらく待った。彼女がなかなか口を開かないのを見ると、目を伏せ、机の上の地図を畳み直して、数点の書類と一緒に封筒へ収めた。
「それでは、私は――」
「一つ、聞きたいことがあります」
ヴェルナーが顔を上げた。
「ただし、依頼とは関係ありません」
「どうぞ」
フーティナは背もたれに体を預け、ヴェルナーの向こうにある、閉ざされたドアへ目を向けた。
「私たちが魔女であることを、あまり気にしていないようですね」
ヴェルナーはかすかに笑った。
「それは質問かな?」
「エドワードという兵士は、ひとまず置いておきます。もう一人は何も言いませんでしたが、手が空くたびに右手をホルスターのそばへ戻していました」
フーティアは、茶色い髪の兵士が腰の脇に下ろしていた手を思い出す。
あのときは、軍人が立っているときの癖なのだとばかり思っていた。
『ずっとそこを見てたの?』
『あなたが身長のことで言い争っている間、私は何か別のことをしておかないとね』
『……あれは譲れない問題なの』
フーティナはそれ以上フーティアに取り合わず、言葉を続けた。
「彼らの反応のほうが自然です。少なくとも、この時代の人間にとっては。魔法を使い、魔女を名乗る二人が突然目の前に現れたら、あなたのように落ち着いてはいられないはずです」
書類を整理していたヴェルナーの手が、一瞬止まる。
フーティナは目を細めた。
「ですから、聞きたいのは――私たちより前に、ほかの魔女に会ったことがあるのでは?」
部屋が静まり返る。
フーティアも、余計なことを考えるのをやめた。
ヴェルナーは手元の封筒を見つめていた。しばらくしてから、静かに息を吐く。
「魔女には、そんなことまで見抜けるのかね?」
「魔女はそこまで便利なものではありません」
フーティナは視線をそらさなかった。
「それで、会ったことは?」
ヴェルナーは封筒を机に戻した。
「ある。魔女を名乗る心理療法士にね」
『本当にいたんだ!』
『静かに』
『声は出してないでしょ!』
フーティアの頭の中がすっかり騒がしくなっていることを、ヴェルナーは知らなかった。
「彼女は心理療法士で、しばらくこの軍営に滞在していた。我々に特別な装置も一つ残してくれてね。近くの魔力の流れを観測できるんだ」
フーティナの表情が、ようやく真剣になった。
『それで魔法の絨毯を見つけたの?』
『おそらくね。普通のレーダーが私の妨害魔法を突破できるはずがないもの』
『……その一言がいちばん言いたかったことだったりする?』
「先ほどは、君たちも不思議に思っただろう」
ヴェルナーは続けた。
「身を隠していたのに、なぜ私の部下たちがあそこで待ち構えていたのか――あの装置が異常を捉えたからだ」
フーティアは少しがっかりした。
運が悪かったわけではなく、フーティナ自慢の魔法が、本当に尻尾をつかまれていたのだ。
……待って。
フーティナをこっそりうかがう。さっきよりも表情が険しくなっているようだった。
『何か言いたいの?』
『別に』
『だったら、その面白がってる顔をやめなさい!』
フーティアはすぐに口を引き結んだ。けれど、しばらくすると、やはり我慢できずに一言つけ足した。
『次から、着陸前に確認することがまた一つ増えるんじゃない?』
フーティナは答えなかった。
フーティアはヴェルナーへ意識を戻す。
「その先生、何ていう名前なんですか?」
「彼女の名は……」
ヴェルナーの唇の動きが止まった。
あと少しで思い出せそうな顔で、眉を寄せる。
フーティアは急かさずに待った。
ところが次の瞬間、彼は手元の書類へ目を落とし、浮き上がっていた角を押さえた。
「彼女はしばらく、ここで暮らしていてね。当時、軍営では――」
「聞いてるのは、名前ですよ」
「名前?」
ヴェルナーが再び顔を上げた。
「ああ、そうだった。彼女の名は……」
また視線がそれた。今度は、机の隅にあるホーローのカップへ。
そこへゆっくり伸びていく手を見ているうちに、同族が見つかったというフーティアの高揚感も、ふっと静まった。
さっき、もう思い出してたんじゃないの?
どうして今度は、カップなんか気にしてるの?
『フーティナ……』
返事はない。
『忘れちゃったのかな?』
フーティナは、じっとヴェルナーを見つめたままだった。
やがてヴェルナーは、苦笑を浮かべる。
「すまない。歳を取ると、時々記憶も当てにならなくてね」
ヴェルナーはカップを戻した。口調も、もう元どおりだった。
フーティアはもどかしさに、思わず手を伸ばした。
『フーティナ、これって歳のせいじゃないよね?』
『今は、それ以上聞かないで』
フーティナがそっと手首をつかんだ。
フーティアは彼女を見て、ようやく質問をのみ込む。
ヴェルナーは、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
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二人は、それ以上問い詰めなかった。
部屋を出て、背後でドアが閉まり、そこから十分に離れてから。
フーティアはようやく声をひそめた。
「フーティナ、どうしてさっき、私を止めたの?」
「彼はもう答えていたから」
「でも、名前はまだ――」
「名前のことじゃないわ」
フーティアはきょとんとした。
フーティナは、来たほうを一度振り返った。
「彼の記憶そのものに、はっきりした欠落はなかった。本当に誰かを忘れているなら、あんな反応にはならない」
フーティアの目が輝いた。
「もしかして……魔法?」
「ええ」
フーティナはきっぱりと答えた。
「彼に多くを語らせたくない誰かがいるのよ」
フーティアは、少し彼女に身を寄せた。
「こういう魔法、前にも見たことがあるの?」
「似たものならね。何百年も前の話だけど」
フーティナはそのまま歩き続けた。
フーティアは半歩遅れて、また隣に追いついた。
「……先週のことみたいに言うんだね」
名前まで、こんなふうに隠してしまうなんて。
その人は、どうしてそんなに見つかりたくないんだろう?
「でも、不思議だよね……魔女に会ったことはちゃんと覚えてるし、その人が心理療法士だったことも、あの装置のことも覚えてるのに……『その人は誰なのか』ってなると、急に――」
ちょうど前を兵士が通りかかり、フーティアは言葉の続きを胸の内に収めた。
片手を上げ、自分の頭の横でひらりと動かす。
『ひゅーって、どっか行っちゃうの』
『「ひゅーって、どっか行く」って何?』
『だから……もう少しで思い出せそうなのに、急にほかのことのほうが大事に思えてくる、みたいな』
フーティナが彼女をちらりと見た。
「だいたい合ってるわ」
「えっ? 私、当たってたの?」
「……まあ、そんなところよ」
フーティアは得意げに腰に手を当てかけて、もっと大事なことを思い出した。
「とにかく、つまり――」
フーティナの袖を、がしっとつかむ。
「スティグマには、本当にほかの魔女が来てたんだ!」
軍に捕まったことでまだ少し残っていた憂鬱も、その瞬間、どこかへ吹き飛んだ。
フーティアはフーティナの袖口をつかみ、いつの間にか足を速めていた。あっという間に、その隣から前へ回り込む。
そして両手を後ろに回し、フーティナと向き合いながら、軽やかな足取りで後ろ向きに歩き出した。
「しかも先生でしょ! 魔法の絨毯を見つけられる装置まで作れるんだよ! もしかしたら、今もここにいるんじゃない? 探しに行こうよ!」
「あまり期待しないことね」
「どうして?」
フーティナは歩みを止めなかった。
「わざわざ自分の正体を他人が口にできないようにする魔女が、見つけてほしがっていると思う?」
フーティアの足が一瞬止まった。
頭の中で、両腕を広げて迎えてくれようとしていた魔女まで、腕を引っ込めてしまったようだった。
「……ちょっと恥ずかしがり屋なだけかも?」
「あなた、魔女にいったいどんなおかしな幻想を抱いているの?」
「同族同士、仲良くするのは普通でしょ」
フーティナは手を伸ばし、彼女の体を前へ向け直した。
「前を見て歩きなさい。まずはヴェルナーの件を片づけるわよ」
「そのあとは?」
「そのとき考える」
フーティアは再び隣に並んだが、まだ袖口を離さなかった。
「言ったからね、約束だよ」
「フーティア」
「はいはい、もう余計なことは言いません……」
フーティアはおとなしく歩いた。
ただし、ほんの数歩だけ。
『でも、その魔女ってどんな姿なんだろう?』
フーティナが顔を向けた。
『それ、会うまで取っておけないの?』
『先に想像するくらい、いいでしょ』
フーティアは肩の前に滑り落ちた白い髪を後ろへ払い、改めて背筋を伸ばした。
本当に会えたら、きちんと自己紹介しなきゃ。
だって、私だってもう、一人前の魔女なんだから。
……少なくとも、そう見えるようにはしないと。




