第18話 悪い人たちが来るから
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通りは妙に静かだった。
フーティアは通りの入口に立ち、思わず振り返って、道を間違えていないか確かめたほどだ。
ほとんどの店は扉を半分しか開けておらず、道端には誰も乗っていない車が数台、まばらに停まっていた。
時折、窓の向こうから誰かが外をうかがっては、すぐにカーテンを引いてしまう。
フーティアは昨日の飴の露店へ二歩ほど近づき、手を上げて挨拶しようとしたところで、壁際にはあの木箱しか残っていないことに気づいた。
ガラス瓶は出ておらず、アリスの姿もない。
上げていた手を下ろし、通りの両方向に目をやった。
「今日はどうして……こんなに静かなの?」
「さあね」
フーティナが、扉を半分だけ開けた店の前を通りかかった。
扉の向こうにいた人は、彼女を見るなり奥へ引っ込んだ。
フーティナは足を止めず、フーティアを自分のそばへ呼び戻した。
二人はそのまま先へ進んだ。
昨日の喫茶店を通りかかったとき、フーティアは何気なく窓越しに店内をのぞいた。
ヨーゼフがカウンターの奥に座り、何かを片づけている。
フーティアは足を止めた。
「……フーティナ」
「何?」
「昨日のこと……あの人、本当に何も覚えてないの?」
フーティナも立ち止まり、振り返って彼女を見た。
「私の魔法を疑ってるの? 馬鹿ね」
「そうじゃないよ……ただ、なんだか変な感じがするだけ」
フーティナは向き直り、店の入口へ歩き出した。
「あの人からすれば、私たちはよそから来た二人組で、一度お茶を飲みに寄っただけよ」
「それに、けっこう売り上げにも貢献したしね」
「あなたが食べたお菓子のうち、二皿はサービスでもらったものでしょう」
「……だからこそ、もっと顔を出さなきゃ。今日もね」
フーティアはへへっと笑い、あとを追った。
『スティグマを離れるつもりだから、その前にお別れの挨拶に来たことにするわよ』
『本当は話を聞き出しに来たのに……』
『それを口にしなければいいの』
『それくらいわかってるよ』
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入口の銅の鈴が、軽く二度鳴った。
ヨーゼフがカウンターの向こうから身を乗り出す。
「お二人とも、またお会いできましたね。いらっしゃいませ!」
「ヨーゼフさん、おはようございます!」
フーティアは笑顔で手を振った。
フーティナは彼に軽くうなずいた。
「おはようございます」
彼は片づけかけていたものを置き、窓際のテーブルを示す。
「昨日と同じお席で?」
「はい!」
二人は昨日と同じ席に座った。
ほどなくして、ヨーゼフが淹れたての紅茶を二杯運んでくる。
「ちょうど淹れたところです。私のおごりです」
「ありがとうございます!」
フーティアはさっそくカップを両手で持ち上げ、一口飲んだ。
「あつ、あつつつ……!」
慌ててカップを戻すと、底が受け皿に当たり、ちん、と音がした。
ヨーゼフが笑った。
「ゆっくりどうぞ。誰も取りませんよ」
「温度を確かめたかっただけです」
フーティナは、フーティアがぶつけてずれた受け皿を押さえた。
「舌で?」
「い、一番正確でしょ」
フーティナはそれ以上何も言わなかった。
カップから立ち上る湯気を息で散らし、紅茶を少し口に含む。
「昨日と変わらず、とてもおいしいです」
フーティアは顔を向け、彼女をちらりと見た。
ヨーゼフのほうは、嬉しそうだった。
「そうですか? それはよかった。お菓子もいかがですか?」
フーティナはテーブルのメニューを取り、さっと目を通す。
「クッキーを二人分、お願いします」
「かしこまりました」
ヨーゼフが背を向けてその場を離れても、フーティアはまだフーティナを見つめていた。
『私の顔に何かついてる?』
『なんでもない……』
『言いたいことがあるなら言って』
フーティアはカップを少し口元に近づけたが、さっき舌をやけどしたことを思い出し、手を止めた。
『なんだか、今日のフーティナはいつもより丁寧だなって』
『普段の私は失礼だってこと?』
『そうじゃないけど……』
フーティアは慌てて首を振った。
――もしかして、昨日あの人の記憶を数分ぶん奪ったから、ちょっと後ろめたいのかな?
フーティアがそっと目を向けると、ちょうどフーティナと目が合った。
『今度は何を考えてるの?』
『何でもないよ』
慌ててうつむき、お茶に息を吹きかける。
……もう、まだ何も言ってないのに。
不意に背中がむずむずした。誰かが指先で、軽く二度ほどくすぐったような感触。
フーティアは肩をすくめ、慌てて振り返った。
にこにこと笑う小さな顔が、触れそうなほど近くにあった。
「わあっ!」
フーティアは椅子から跳び上がりそうになり、女の子は口を押さえて笑い続けていた。
フーティアは二秒ほどぽかんとしてから、ようやく相手が誰なのかわかった。
「アリスちゃん?」
「うん!」
女の子はうなずきながら、後ろに隠していた手を差し出した。
その手のひらには、飴が一つ載っている。
「お姉ちゃんにあげる。びっくりさせたお詫び」
「あ、ありがとう」
フーティアはすぐに受け取った。
けれどアリスは立ち去らず、首をかしげて彼女を見つめている。
「お姉ちゃん、なんていう名前なの?」
「私?」
「うん。お姉ちゃんは私がアリスって知ってるのに、私はお姉ちゃんたちの名前、まだ知らないもん」
フーティアは胸元に落ちてきた白い髪を肩の後ろへ払い、少し背筋を伸ばした。
「私はフーティア」
それから、隣を指さす。
「そっちの、怖そうなほうがフーティナ」
「フーティア」
フーティナは視線を上げ、彼女を見た。
「子どもに変なことを教えないで」
「ちょっと個性的な紹介にしただけだよ」
アリスは目をぱちぱちさせながら、しばらく二人を見比べた。
「でも、どっちのお姉ちゃんも可愛いと思うよ」
フーティアはぴたりと固まった。
それから、アリスの小さな手をぎゅっと握った。
「アリスちゃん」
「なあに?」
「一生大好きでいるって決めた」
「え?」
アリスがきょとんとしているうちに、フーティアは彼女を抱きしめていた。
「やっぱり、世の中には私のことをわかってくれる人がいるんだ!」
「フーティアお姉ちゃん、くすぐったい……」
フーティナはじゃれ合う二人を見て、ため息をついた。
「子どもをいじめないの」
「いじめてないよ。ね、アリスちゃん?」
「うん! 私もフーティアお姉ちゃん、大好き」
フーティアはすぐさま、アリスをさらに強く抱きしめた。
ちょうどそこへ、ヨーゼフがクッキーを持って戻ってきた。
そばに立ってしばらく二人を眺め、思わず声を上げて笑った。
「もうすっかり仲よしですね」
「アリスちゃんは、見る目のある子なんです」
「そうなんですか?」
「もちろんです」
フーティナが何気なく付け加えた。
「子ども同士だから、気が合うんでしょう」
「フーティナだってそうでしょ?」
フーティアは振り向いたが、腕の中のアリスはもう、ヨーゼフが持っているクッキーに目を奪われていた。
フーティアもその視線を追った。
「……まずはおやつにして、アリスちゃんを可愛がるのはそのあとね」
「うん!」
ヨーゼフはその様子を見て、仕方なさそうに首を横に振った。
通りから、車輪が石畳を転がる音が聞こえてきた。
ヨーゼフは窓の外へ目をやった。皿を持つ手が少しの間止まり、それから彼は皿をテーブルに置く。
フーティアは腕をほどき、アリスを隣に座らせた。
「一緒に食べよう!」
ヨーゼフが笑顔で付け加えた。
「食べすぎちゃだめだよ、アリス」
「はーい」
フーティナは皿を二人の間へ少し押しやった。
「こういうところでは、やけに気が合うのね」
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今日は店にあまり客がいないからなのか、ヨーゼフはそのあとも、何種類かのお菓子を次々と持ってきてくれた。
フーティアは最初こそ、お金を払うと言い張っていた。ただし、それも三十秒ほどしか続かなかった。
『……どうしてそんな目で見るの?』
『別に』
フーティナはカップを持ち上げた。
『食べたら』
『さっき、絶対に私のこと見下してたでしょ』
『見下してない』
『絶対に見下してた』
フーティアはむくれて、クッキーを一枚手に取った。
半分ほど食べたところで、ふとテーブルの隅に置かれていた飴が目に入った――アリスがくれた、あの一粒だ。
「そういえば」
隣で一生懸命お菓子を食べているアリスへ顔を向ける。
「アリスちゃん、今日はどうして飴を売りに行かなかったの?」
アリスが顔を上げた。
フーティアは紙ナプキンを手に取り、アリスの口の端についたお菓子のくずを拭ってやる。
「悪い人たちが、この通りを見回りに来るから」
フーティアの手が、紙ナプキンを持ったままアリスの口元で止まった。
アリスは不思議そうに、自分から顔を寄せて紙ナプキンに口元をこすりつけた。
ヨーゼフが手にしていた皿を置いた。
「アリス」
アリスはすぐに彼を見上げた。
ヨーゼフはしゃがみ、片側にずれた襟を整えてやった。
「今日はお店の中にいてね。見回りのことは、おじさんからお姉ちゃんたちに話すよ」
「うん……」
アリスは二人に向き直り、小さな声で言った。
「じゃあ、先に宿題やってくるね。お姉ちゃんたちが食べ終わる前に、終わるかもしれないよ。それまでヨーゼフおじさんとお話ししてて!」
「うん、大丈夫だよ」
フーティアは笑って、彼女の髪をくしゃりと撫でる。




