第13話 明日の道は、明日歩こう
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「お日さま、山の向こうへ沈む――」
フーティナが一音も歌わないうちに、フーティアが先に歌い始めた。
そちらを見ると、笑みを含んだ瞳と目が合った。
『私が先じゃなかったの?』
『忘れちゃった』
フーティアは宙でつま先を軽く揺らし、フーティナのにらみなどまるで見えていないかのように、そのまま歌い続けた。
「夕風、旅人の背中を押す――」
青い光の玉がヴェルナーのグラスのそばを離れ、パンの皿を回り込んで、二つのグラスの間へ入り込んだ。
斜め向かいの兵士が首を伸ばし、光の玉を目で追う。隣の仲間に肘でつつかれて、ようやくフォークを宙に持ち上げたままだと気づいた。
歌い終えたフーティアは、隣に向かって軽く顎を上げた。
今度はそっちだよ。
フーティナは彼女を一目見て、とうとう次の一節を引き継いだ。
「おいで、おいで、腰かけて。明日の道は明日ゆこう――」
声はフーティアより少し低かったが、最後の音までぶれずに歌をつないだ。
光の玉を目で追っていた何人かが顔を上げ、手の動きもゆっくりになる。
一人だけ、歌を聴くどころではない者がいた。
光の玉は、彼の皿のそばで止まっていた。
その若い兵士はグラスを持ち上げ、そっと左へずれた。光の玉も少し左へ転がる。今度は右へ身を寄せてみる。
フーティアはこらえきれずに笑った。
最後の音が終わると、光の玉はぴたりと彼のグラスの底に寄り添った。
「一人目!」
隣の兵士ががしっと肩を抱き、それ以上逃げられなくした。
「もう止まったぞ。どこへ逃げるんだ?」
「ちょっと席を替えようと思っただけで……」
「覚えたよ!」
フーティアは指を一本立てる。
その兵士は観念してグラスを戻した。周囲の笑いが収まらないうちに、フーティアは先ほどの拍子に乗せて、次の節を歌い始めた。
「橋のたもとにパンの香り。お店の前で、まだ見てるのは誰――」
フーティナがこちらを見た。
フーティアは大まじめな顔で前を向いていた。
――誰のことを歌っているのか、本人にはよくわかっているはずだ。
青い光の玉が、さっきよりずっと軽やかに転がり始める。
グラスをどけて道を空ける者もいれば、触れられるか試そうと指を伸ばす者もいた。
光の玉はふわりと跳ね、その指先を飛び越える。
「よけるのか!」
「ちょっかい出すなよ――」
その先は笑い声に呑まれた。
フーティナが歌を引き継いだ。
「おいで、おいで、腰かけて。明日の道は明日ゆこう――」
テーブルを軽く叩く音が、二度響いた。
誰かが指で拍子を取り始め、一拍ずれると、仲間に手の甲をぺしりと叩かれる。それからまた、拍子を取り直す。
光の玉がエドワードの前を通った。
彼はそれを見下ろしたが、ほかの者のようにグラスを動かしたりはせず、皿を少し手元へ引き寄せただけだった。
光の玉は、もう通り過ぎていた。
そのまま先へ進ませようとしたフーティアは、ふと、指先につないでいた魔力がかすかにずれるのを感じた。
青い光が向きを変えた。
エドワードのグラスの後ろから回り込み、ゆっくりと半周して、彼の目の前でぴたりと止まる。
ちょうど歌声が途切れた。
エドワードが顔を上げる。
「わざとだろ」
「今度は本当に、私じゃないよ」
そう言って、フーティアはまず隣を見た。
フーティナは手を下ろしたまま、妙に澄ました顔をしていた。
「確かに、フーティアじゃないわ」
エドワードの視線がそちらへ移った。
「じゃあ――」
「次の節よ」
フーティナは目を上げ、フーティアを促す。
フーティアはもう、口元の緩みを抑えきれなかった。
『フーティナもこういうことするんだね』
『いいから歌って』
フーティアは口を引き結び、もう一度息を吸った。
「風がかまどの煙を屋根越しに運ぶ。家の戸口で誰かが待ってる――」
厨房の入口から、アウグストが空の皿を持って出てきた。
階段の上でしばらく耳を傾けると、手のひらで皿の縁を軽く叩き、拍子を取り始める。
テーブルのあちこちでまばらに響いていた音も、次第にそれにそろっていく。
グラスの縁を叩く者、膝を叩く者。
さっき拍子を間違えた兵士は、いっそ手を下ろし、一緒に口ずさみ始めた。
エミールも耳を傾けている。
歌が「家の戸口」に差しかかったとき、彼の指がかすかに動いた。
「こっち、こっち!」
「副隊長がまだ当たってないぞ!」
エミールはグラスをテーブルに置いた。
「さっき、触るなって言ってたのは誰だ?」
「触ってませんよ」
伸びていた手は、たちまち一つ残らず引っ込む。けれど、顔に浮かぶ期待は少しも隠れていなかった。
フーティナの声が、再び響いた。
「おいで、おいで、腰かけて――」
今度は、下から続きが返ってきた。
「明日の道は明日ゆこう!」
彼女より半拍早く、けれど最後の音だけは、ひときわ長く伸ばして。
エミールが顔を上げた途端、光の玉がその目の前でゆっくりと止まり、青い光がグラスの底を照らす。
テーブルを囲む兵士たちから、一斉に拍手が起こった。
「副隊長!」
「今度は逃げられませんね!」
エミールは自分のグラスを眺め、次いで二人の少女を見上げると、とうとう両手を上げた。
「わかった。覚えておくよ」
フーティアは彼に向けて、三本目の指を立てた。
さらに何か言おうとしたところへ、先にフーティナの声が届く。
『数え間違えないでね』
『間違えないもん!』
そう返してから、フーティナのつま先も軽く拍子を取っていることに気づいた。
四番を歌い始めたフーティアの声は、さっきよりも明るく響いた。
「グラスを鳴らして、さあ話そう――」
フーティナが次の一節を引き継いだ。
光の玉が長テーブルに沿って転がっていく。
さっきまでそれをよけていた者たちも、今では逆にグラスを並べ、曲がりくねった道を空けてやっていた。
青い光は皿の縁を越え、袖口をかすめ、最後にヴェルナーの前へたどり着いた。
彼は一度それを見下ろすと、グラスを掲げて二人に合図した。
「隊長には、少しくらい優遇があってもいいんじゃないかな?」
フーティアは目をぱちりとさせ、答えなかった。
フーティナの手をぎゅっと握り、二人で最後の二行を歌い上げる。
「おいで、おいで、腰かけて――」
長テーブルの両側では、つられて立ち上がる者もいた。
「明日の道は――明日ゆこう!」
高く歌う者、半拍遅れる者。前半の歌詞をまるで覚えておらず、最後の一行だけ慌てて叫ぶ者もいた。
グラスが触れ合う音に、拍手と笑い声が重なって湧き上がる。
そのとき、青い光の玉がふわりと跳ね、ヴェルナーの掲げたグラスのすぐ上に浮かんだ。
彼はその光を見上げた。
そばの兵士が何人か、もうテーブルの縁に身を伏せて笑っていた。
「どうやら、ないらしい」
ヴェルナーもとうとう笑い出し、二人の少女に向けて、グラスを更に高く掲げた。
夜風に吹かれ、フーティアの頬はひんやりとしていた。それなのに、手のひらは熱くほてっていた。
フーティナへ顔を向ける。
彼女もこちらを見ていた。口元は、ずいぶん柔らかくなっている。
フーティアは思わず、つないだ手をもう一度揺らした。
二人はゆっくりと席のそばへ戻った。
椅子の脚が地面についたとき、テーブルではまだ名残惜しそうに歌を口ずさむ者がいた。
フーティアは光の玉を呼び戻して手のひらに載せ、改まった様子で四本の指を立てた。
「さて、幸運な皆さん――」
若い兵士の笑顔が、たちまち固まった。
エドワードは目をそらした。
エミールはすでにグラスへ手を伸ばしていたが、ヴェルナーはまだ悠然と座っている。
フーティアは全員を見渡し、小さな八重歯をのぞかせた。
「約束は、ちゃんと守ってもらいますからね」




