第12話 今夜の戦場は食卓です
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フーティアは数歩下がり、スカートの裾を軽くつまむと、もったいぶって一礼した。
仕草はなかなか様になっていた。
ついさっきまで年齢のことで言い争っていたことに目をつぶれば、貴族のお嬢様らしい雰囲気がある。
周囲からは、ちゃんと拍手が返ってきた。
フーティアはこほんと咳払いをし、片手を上げて静かにするよう促す。
「世界でいちばん可愛い魔女として、お見せする魔法も、当然、優雅で品のあるものでなくてはなりません」
軽く二度、手を打つ。
指の間から、淡い青色の光がこぼれ落ちた。
最初に反応したのは、テーブルの上のピーナッツだった。
一粒、二粒……続いて、あちこちの皿に散らばっていたピーナッツが、ふいに眠りから覚めたように次々と浮かび上がった。驚きの声が上がる中、くねくねと曲がった一列に並んでいく。
ピーナッツたちは、長テーブルの周りをゆっくり一周した。
時折、二粒がぶつかって、宙でくるりと回る。
フーティアが指を軽く曲げるだけで、一粒は列の最後尾へ回り、もう一粒は慌てて前の仲間に追いついた。
フーティアは腰に手を当てた。
「どうです!」
再び拍手が起こった。
そのとき、横から少しばかり場違いな一言が聞こえた。
「……それだけか?」
フーティアの得意顔が固まった。
ゆっくりと顔を向けると、エドワードはうつむいて皿の肉を切り続け、目も上げなかった。
「どういう意味よ!」
「別に」
「私の魔法なんて大したことないって思ってるんでしょ!」
「そんなことは言ってない」
「言い方で全部伝わってるから!」
近くで、こらえきれない笑い声が上がった。
エミールは片手を額に当て、もう片方の手でエドワードの肩を軽く叩く。
「エドワード……」
「本当のことを言っただけだ」
フーティアは足を一度、強く踏み鳴らした。
先ほどまでの貴族のお嬢様らしい気品は、跡形もなく消え失せた。
「よし!」
エドワードを指さす。
「よく見てて!」
言い終わると同時に、青い魔力の光が彼女の足元から広がった。円形の魔法陣が地面に沿って瞬く間に展開し、細かな紋様が足元から訓練場全体を埋め尽くしていく。
エドワードが、ようやく顔を上げた。
次の瞬間――テーブルの脚が地面を離れる。
「え?」
思わず下を向いた者が、そこで初めて気づいた。浮いているのは長テーブルだけではない。
椅子も、皿も、酒の入ったグラスも、そして椅子に座った兵士たちまでもが、ふわりと重さを失ったような感覚とともに、ゆっくりと浮かび上がっていた。
「おおお――!」
「俺、飛んでるぞ!」
「動くな! 酒がこぼれる!」
「どうなってるんだ、これ!?」
興奮のあまり椅子から立ち上がりかけたものの、足が地面に届かず、慌ててテーブルの縁にしがみつく兵士もいた。周囲からどっと笑いが起こる。
フーティアは満足げにうなずいた。
――そうそう、その反応だよ。
わざわざエドワードのほうを見てやる。
彼も椅子ごと宙に浮いていたが、テーブルの縁に手を添え、不服そうな顔でこちらを見ているだけだった。
フーティアは彼に向かって顎を上げる。
――まだ負けを認めないの? じゃあ、もうひと押し!
体の前で、そっと両手を合わせる。
さっきまで列を作っていたピーナッツが、一斉に散らばった。
テーブルの上の夕食まで、にぎやかになり始めた。
丸ごと一匹の焼き魚が、ふらふらと皿を離れる。その隣では、切り分けられた鴨のローストも二切れ浮かび上がり、それぞれ大まじめに宙で直立した。
フーティアが軽く手を振ると、数粒のブドウがその前へ飛んでいった。
焼き魚が勢いよく尾を振る――もちろん、今のそれに動く尾などない。
そこで魚は丸ごと半回転し、ブドウを一粒、弾き飛ばした。
ブドウがころころと転がるように突っ込んでいくと、鴨肉が逆さに置かれた空のグラスの後ろへ、頭から倒れ込んだ。
「うまくよけた!」
「どう見ても転んだだけだろ!」
続いて、もう一切れの鴨肉も、頭にピーナッツの「直撃」を受けた。
「攻撃を受けたぞ!」
「反撃だ!」
「魚のほうが負けそうだぞ!」
兵士たちはたちまち、自分たちがただの観客だったことを忘れた。
まだ手をつけていないブドウを、自分の皿から差し出す者までいた。
「これを使え!」
「待て、それは俺が食うんだよ!」
フーティアが指をくるりと回すと、ブドウはすぐに引き返し、その兵士の皿へ戻った。
「じゃあ、ピーナッツを少し借りますね」
数粒のピーナッツが、さっそく戦いに投入された。
とはいえ、本当に食べ物をあちこちへ投げ散らかしていたわけではない。
「攻撃」といっても、軽くぶつけるだけ。そのあとは、どの食べ物も元の皿へそっと戻していた。
たまにピーナッツが弾き飛ばされても、地面に落ちる前にくるりと曲がり、おとなしく小皿へ帰っていく。
あっという間に、長テーブルの上空は、ごちゃごちゃと入り乱れる小さな戦場になっていた。
焼き魚が数粒のピーナッツを率いて突撃する。
鴨肉は逆さに置かれた空のグラスの陰で「防戦」。
数粒のブドウは両陣営の間をころころ行き来し、いつの間にか誰もが奪い合う「戦利品」になっていた。
「左だ! 左!」
「魚、よけろ!」
「俺のブドウを奪ったのは誰だ!」
「さっき食わないって言ってただろ!」
長テーブルは、すっかり大騒ぎになった。
数分前までフーティアにおそるおそる接していた兵士まで、今ではテーブルに身を乗り出し、何切れかの肉に声援を送っていた。
隣の兵士に引っ張られたエミールは、いっそ自分もと、手にしたフォークを右へ向けた。
「行け、あれにぶつかれ」
「副隊長、ずるいぞ!」
「フーティアさんが参加させてくれたんだから、いいだろう」
「指揮していいとは言ってませんよ!」
フーティアがそう言う間にも、そのピーナッツはすでに飛び出していた。
エドワードは相変わらず黙っていた。
エミールが手を伸ばし、彼を軽く押すまでは。
「お前もやれよ」
「興味ない」
エドワードはグラスをテーブルに戻した。
ちょうどそのとき、エミールの指揮するピーナッツが空のグラスを回り込み、向こう側へ突っ込もうとしていた。
「そっちへ行ったら落ちる――」
言葉が途切れた。
ピーナッツは、彼の言葉に従うように急旋回し、引き返していた。
フーティアはエドワードを見た。
「こう?」
エドワードは眉をひそめる。
「……さっきよりはましだ」
フーティアは目を細めて笑った。
――まだまだ、これからだよ。
この文句の多い人に、私の魔法はすごいって、自分の口で認めさせなくちゃ。
もっとすごいことをしてやろうとした、そのとき――
「パン!」
突撃の途中だったピーナッツが宙で止まり、焼き魚もグラスの上に浮かんだまま、動かなくなった。
「なんで止まったんだ?」
いちばん近くの兵士が振り向くと、周囲の声も次第に小さくなった。
フーティナは手を下ろした。
「そこまで」
悠然と口元を拭う。
「食べ物で遊ぶのは、これでおしまい」
言い終わると、宙に浮いていたテーブルと椅子がゆっくりと下り始めた。
グラスは揺らぐことなくテーブルへ戻る。
焼き魚も鴨肉も、ブドウもピーナッツも、それぞれ元の皿へ飛んでいき、ぶつかって乱れた配置さえ、ほぼ元どおりになる。
再び地面に足がついても、名残惜しそうに脚をぶらぶらさせる兵士が何人かいた。
「ええ――」
「もう終わりかよ?」
「俺の魚、もう少しで勝てたのに!」
「それは俺の魚だ!」
フーティアも不満げに頬を膨らませた。
「フーティナ! 勝手に魔法を止めないでよ」
「夕食を救っただけよ」
「べ、別に無駄にしてたわけじゃないもん!」
「でも、今また別の魔法を使おうとしてたでしょう」
まだ立てていた二本の指を、フーティアはゆっくりと握り込んだ。
「……ほんのちょっとだけ」
フーティナがその手をちらりと見る。
フーティアはすぐにその手を背中に隠した。
けれど、周りはまだまだ物足りなさそうだった。
さっきの勝負は結局どちらが勝ったのかと言い合う者もいれば、皿におとなしく戻ったピーナッツを、諦めきれずにつつく者もいる。中には、こんな声を上げる者もいた。
「フーティアさん、もう一つ!」
「そうだ!」
「食べ物を使わなくてもいいから!」
フーティアは左右を見回した。
そして、フーティナに目を留める。
ふと、ある考えが浮かんだ。
『フーティナ』
『何?』
『たまには……フーティナもくつろいだら?』
『今も十分くつろいでるわ』
『じゃあ、ちょうどいいね』
フーティナの椅子が、ふわりと地面を離れた。
「……フーティア?」
『さっき、私が魔法を見せるって返事したのは誰だっけ?』
フーティアも彼女の前まで浮かび上がり、手を差し出した。
『今度は私に付き合ってよ』
二人は少し高さをずらして長テーブルの中央まで漂い、やがて宙で向かい合って止まった。
下から、さっそくはやし立てる声が上がる。
エミールは椅子の背にもたれ、二人がよく見えるように身を引いた。
遠くのヴェルナーもグラスを置いた。
フーティアは長テーブルを見渡し、エドワードのナイフとフォークが皿の縁に置かれているのを見つけた。
――よし。今度はあの人も、始まるのを待ってる。
けれどフーティナは、目の前の、やけに楽しそうな笑顔をじっと見つめているだけだった。
「何をするつもり?」
フーティアは答えなかった。
下の長テーブルへ向き直り、もったいぶって片手を上げる。
「続いては――」
心得たように拍手が起こった。
「魔法を使った、ちょっとしたゲームです!」
フーティアが手を振った。
拳ほどの大きさの青い光の玉が、傍らに現れる。
光の玉はふらりと揺れたあと、見えないレールに乗ったようにテーブルへ下り、皿やグラスの間をころころと転がり始めた。
フーティアが指さすと、光の玉はすぐに向きを変え、ヴェルナーの前まで転がっていった。
「どうやら、私が見本かな?」
「正解です!」
フーティアは指を一本立てた。
「ルールはとっても簡単です」
今度は、自分とフーティナを指さした。
「これから、私とフーティナが交代で歌います」
フーティナの眉が、ぴくりと動いた。
「その間、この光の玉をテーブルに沿って動かします。ひと節歌い終わるたびに、一度止まります」
フーティアはぱんと手を合わせた。
「誰の前で止まったかをまず覚えておいて、歌が全部終わったら、その人たちに選んでもらいます――質問に答えるか、一杯飲むか!」
長テーブルから一斉に賛同の声が上がった。
酒のグラスを脇へよける者もいれば、光の玉が次に通る場所を手振りで示す者もいた。
「副隊長の前で止まっても、同じですよね?」
「もちろんです!」
フーティアは迷わず答えた。
ただ一人、異議を唱えた者がいた。
「どうして私が歌うの!?」
フーティナが珍しく声を張る。
フーティアは振り向き、二秒ほどこらえたが、結局吹き出してしまった。
「フーティナと一緒に歌うの、好きなんだもん」
「あなた――そんなの、理由になってないでしょう!」
フーティナは口を開き、まだ何か言おうとした。
フーティアは変わらず、笑顔で彼女を見つめている。
下では誰かが「一曲!」と声を上げ始めていたが、フーティナはそちらを見なかった。
「……私の分まで、ずいぶん手回しがいいのね」
フーティナはゆっくりと目を閉じた。
深く息を吸い、長く吐き出す。
「先に言っておくけれど」
腕を組み、顎を少し上げた。
「あとで気分が悪くなっても、『魔女の歌声』のせいだなんて言って、私に責任を押しつけないでくださいね」
「もちろんです!」
「フーティナさん、頑張れ!」
フーティナは再び目を開け、下ではしゃぎすぎている兵士たちを見渡したあと、フーティアへ視線を戻す。
フーティアは、相変わらず期待に満ちた顔をしていた。
『先に歌い始めてね』
フーティナはうなずき、ようやく組んでいた腕をほどいた。
そして、深く息を吸った――




