第9話 軍営の夜は意外と賑やか
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日が暮れようとしていた。
執務棟を出ると、エミールは二人を兵舎のある区画へ案内した。
遠くの訓練場では、人影が行き交っている。フーティアはしばらくそちらを眺め、知らず知らず歩みを緩めた。
『フーティナ』
『何?』
『ほかの兵士さんたちも……魔女が嫌いなのかな?』
『怖がる可能性はあるわね』
『嫌いかどうかって聞いてるの』
遠くを行き交う軍服姿を見ながら、フーティアはそっと歩幅を小さくした。
『毎日さっきみたいだったら、どうしよう』
うつむいて、手首の赤い紐をいじる。結び目を手首の横へずらし、それからゆっくりと元に戻した。
フーティナはそれを一瞥し、彼女を追い越す。
『お互いに干渉しなければいいのよ。友達を作りに来たわけじゃないんだから』
『でも、ここの軍営に泊まるのに、毎日にらまれるのはつらいよ……』
『なら、早く依頼を済ませて、早く出ていくことね』
『それはそうだけど……』
フーティアが顔を上げると、エミールも歩く速度を落としていた。
彼は彼女の手首の赤い紐を見て、追いついてくるのを待ってから口を開く。
「フーティアさん、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「き、緊張なんてしてませんよ……」
両手を背中に回す。
……隠すのが、ちょっと遅かったかも。
「……はい、少しだけ」
エミールは笑みを浮かべた。
「エドワードは、少し特別なんです」
さらに歩調を緩め、しばらく二人と並んで歩いた。
「確かに、皆、子供の頃から魔女についてよくない話をいろいろ聞いてきました。でも、本当に自分の目で魔女を見た者は、ほとんどいません」
そこで、少し間を置いた。
「私やエドワードのように、早い時期に入隊した者は、昔、敵国の『軍用魔女』と戦ったこともあります。ただ、今の隊にいる若い兵士たちは、大半が噂でしか知らないんです」
フーティアは顔を上げた。
軍用……魔女?
口を開きかけたが、エミールはすでに先を続けていた。
「ですから、怖がっているというより、今は興味のほうが強いと思いますよ」
それを聞いて、フーティアはほっと息をついた。
「ありがとうございます、エミールさん」
「いえ」
エミールは自分の胸を軽く叩いた。
「お二人は隊長がお招きしたお客さまです。物珍しいからといって、皆がお二人を取り囲んで騒ぐようなことはさせません」
彼は兵舎のほうを示した。
「もし誰かが失礼なことを言ったら、遠慮なく私に教えてください」
そう言うと、また先に立って歩き始める。
フーティアはその背中を眺め、ようやく少し気が楽になった。
けれど、さっきの話には、初めて聞く言葉が一つあった。
『フーティナ』
『どうしたの?』
『「軍用魔女」って、何?』
フーティナはすぐには答えなかった。
ずいぶん待って、聞こえなかったふりをするつもりなのかと思い始めた頃、ようやく心の中に声が響いた。
『戦争に使うための魔女よ』
『……武器みたいに?』
『似たようなものね』
フーティアは少し黙った。
『……聞いてるだけで、嫌な感じがする』
『もともと、気持ちのいいものではないから』
フーティアは、もう一つ聞きたかった――その魔女たちは、どうして逃げないのだろう。
けれど、その問いを送る前に、フーティナが体の脇に下ろした手を握りしめるのが見えた。
フーティアは結局、その疑問を自分の胸にしまっておいた。
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門をくぐる頃には、太陽はもう半分、遠くの山の向こうに沈んでいた。
昼間の訓練で舞い上がった土埃はまだ完全には収まっていなかったが、訓練場はすでに別のにぎわいを見せていた。
兵舎の前には洗いたての軍服が干され、厨房の半開きの扉からは、白い湯気が絶え間なく流れ出している。風が吹くたび、煮込み肉と焼きたてのパンの香りが営内いっぱいに広がった。
隊列を組んで訓練していた広場には、長いテーブルがいくつか並べられていた。
ホーローの皿を抱えた兵士が、食堂から出てくる。皿の縁が触れ合い、かちゃかちゃと鳴った。
フーティアは脇へよけ、ぐらぐらと揺れる皿の山を目で追ったが、厨房から漂う香りに誘われ、またそちらへ顔を向けた。
洗い場のそばでは、まだ髪も拭き終わらないうちに、仲間から木の腰掛けを押しつけられている者もいた。
「先にそれ、運んでくれ!」
その兵士は口では文句を言いながらも、タオルを肩にかけて言われたとおりにした。
軍営全体が活気にあふれていた。冷え冷えとして、皆が硬い表情で歩き回っている――フーティアの想像していた場所とは、まるで違う。
「夜は訓練しないんですか?」
思わず尋ねた。
「ヴェルナー隊長が、今夜だけ特別に休みにしてくださったんです」
エミールは振り返って笑った。
「最初は、お二人の歓迎の席を設けるだけの予定でした。ですが隊長が、今夜の追加訓練はなしにして、皆も息抜きに一緒に夕食を取ろうと」
「わ、私たちのために?」
フーティアはきょとんとした。
そのとき、近くでテーブルを運んでいた兵士たちも二人に気づいた。
手は止めないまま、視線だけが次々とこちらへ向けられる。
「あの二人か?」
「白い髪で、顔も同じだし、間違いないだろ」
「声が大きいって。こっち見たぞ」
実際、フーティアはそちらを振り向いていた。
木の腰掛けを抱えた兵士が慌てて目をそらし、危うく仲間の背中にぶつかりそうになる。
……緊張してたの、私だけじゃなかったんだ。
笑いをこらえ、彼らに手を振った。
まだ少し落ち着かなかったものの、しばらく聞いていると、皆、やたらと興味津々なだけで、本当に悪意はほとんどないようだった。
ずっとこわばっていた肩からも、いつの間にか力が抜けていた。
『……こういうの、意外と嫌いじゃないかも』
フーティナは答えなかった。
そのとき――
「ぐるる……」
よりによって、お腹が遠慮なく鳴った。
フーティアはうつむいてお腹を押さえ、すぐ近くの兵士たちを見る。
……今さら、誰か別の人のお腹が鳴ったことにするには、もう遅いよね。
そこでようやく思い出した。昼は茶店で菓子を食べただけで、まともな昼食は取っていなかったのだ。
さっきまではずっと気を張っていて、あまり空腹を感じなかった。
それが今、気が緩んだ途端――一度に押し寄せてくる。
エミールが振り返って彼女を見た。
フーティアは少し照れくさそうに頬をかいた。
「……ちょっと、お腹が空いちゃって」
「お二人は昼食を召し上がりましたか?」
「ヴェルナーさんに誘ってもらったんですけど、早く調べ終わろうと思って、それで……」
フーティアの声はだんだん小さくなる。
調査はちゃんとした。
地図も見たし、飴も買ったし、お菓子だって食べた。
どうして昼ご飯だけ抜けちゃったんだろう。
「それはいけませんね。夕食までは、まだ少しかかります」
エミールは厨房をちらりと見てから、二人へ向き直った。
「ここで少しお待ちください。料理長に声をかけてきます」
言い終わるなり、彼は足早に訓練場を横切っていった。
フーティアはその背中を見送った。
『……私たちより慌ててるね』
『さっきのお腹の音、軍営の半分に聞こえたからでしょう』
『そんなに大きくないよ!』
二人は訓練場の端へ寄り、テーブルを運ぶ兵士に道を譲った。
フーティアが足を止めた途端、今度は薪を一束抱えた人が目の前を通り過ぎた。
仕方なく、もう半歩脇へ下がる。
『私たち、どこにいても邪魔になってない?』
『だから、通り道に出ないで』
ほどなくして、さっき「勝手に離隊した」エミールがようやく戻ってきた。
白い調理服にコック帽をかぶった老人も一緒だった。
エミールについてきた老人は、白い服の袖を肘までまくっていた。
白髪交じりの短い髭はきれいに整えられ、何かを拭いている途中だったのか、手にはまだ布巾が握られていた。
老人は布巾を肩にかけ、二人を上から下まで眺めた。
「おやおや、お嬢ちゃんたち、ずいぶん痩せてるじゃないか」
フーティアは自分の体を見下ろした。
「ええと……褒めてます?」
老人は声を上げて笑った。
「飯を食えって言ってるんだよ」
……そっか。料理人にとっては、少女のほっそりした体つきも、長所にはならないらしい。
老人の笑い声は、さらに大きくなった。エミールもこらえきれず、横を向いて二度咳払いをした。
「お二人とも、こちらは第二支隊の料理長、アウグストさんです」
「初めまして、フーティアです~」
「フーティナです」
「はいはい、堅苦しい挨拶はなしだ」
アウグストは大きく手を振った。
「今エミールに聞いたんだが、昼飯を食ってないんだって?」
「そうなんですけど……」
「そりゃいかん!」
フーティアはきょとんとした。アウグストを見て、それからエミールを見る。
「さっき、エミールさんもまったく同じこと言ってましたよ」
「そりゃ、こいつが正しいってことだ」
アウグストは、さも当然といった顔だった。
そして振り返り、少し離れた天幕のほうへ手招きした。
「おい、あれを持ってきてくれ!」
一人の兵士が皿を持ってやってきた。
アウグストはそれを受け取り、二人の前へ差し出した。
淡い黄色のクッキーが、皿の縁に沿ってぐるりと並んでいる。
フーティアの視線は、たちまち皿に吸い寄せられた。
「クッキー……」
「アルク島からの輸入品だ」
アウグストは得意げに腹を叩いた。
「ヴェルナーのやつが、午後にわざわざ送ってきたんだ。二人の小さなお客さんに出してくれってな。夕飯まではもう少しかかるから、先にこれで腹の足しにしなさい」
フーティアには、もうその皿しか見えていなかった。
さっそく手を伸ばそうとした、そのとき――
『毒はないわ』
手が止まった。
『クッキーにまでむやみに魔法を使わないでよ、フーティナ!』
フーティアは両手に一枚ずつ取り、待ちきれずにかじった。バターの香りがふわっと広がる。
幸せそうに目を細めた。
「おいしい……」
アウグストはにこにこと彼女を見ていた。
「ゆっくり食べなさい。誰も取ったりせんよ」
フーティアは慌てて飲み込んだ。
「ありがとうございます、アウグストおじいちゃん」
「ははは、いい子だ」
そう言うと、今度はフーティナのほうへ皿を差し出した。
「こっちのお嬢ちゃんは?」
「私は結構です。ありがとうございます」
フーティナはアウグストに軽く会釈したが、視線は訓練場に向けたままだった。
アウグストは彼女を見てから、不思議そうにエミールへ目を向けた。エミールは肩をすくめた。
『フーティナ、本当においしいよ』
『ずいぶん人の心をつかむのが上手ね』
『え? 急に何の話? 誰が?』
『ヴェルナーよ』
フーティナは、目の前のにぎやかな営内を見やった。
『ヴェルナー。まずエドワードに謝らせて、今度はわざわざ夜の訓練を休みにして、私たちの歓迎会。あなたに出すお菓子まで、わざわざあなたの故郷のものを用意してる』
『いいことじゃない?』
『私たちとこの部隊の距離を縮めようとしてるって、気づいてないの?』
『気づいてるよ』
フーティナが振り向いた。
『だったら――』
言いかけたフーティナの口元に、クッキーが一枚差し出された。
彼女は大きく目を見開いた。
少し身を引く。
フーティアもそれに合わせて手を動かし、大まじめな顔で彼女を見つめていた。
『用心するのはいいことだよ』
フーティアは頬を膨らませていた。
『でも、ずっとそうしてたら疲れちゃうよ、フーティナ』
『……先にその手をどけて』
『一口食べたらね』
フーティナは二秒ほど彼女を見つめ、ようやく顔を下げて一口かじった。
『おいしい?』
『……おいしい』
フーティアが得意顔になるより先に、残りの半分はフーティナの手に収まっていた。
アウグストは、彼女の前へもう少し皿を寄せた。
「まだあるぞ。ゆっくり食べなさい」
フーティナは口の中のクッキーを飲み込み、少し間を置いてから、もう一枚取った。
フーティアはそれを見ていたが、珍しく何も言わなかった。
……余計なことを言ったら、たぶん怒られるよね?




