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この妖狐、距離が近すぎる――契約俳優は逃げられない  作者: 熾星


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狐と大鵬の食卓

 飛鳥は蓮を見つめ、目を揺らした。


 彼は蓮に自分を引き止めてほしかった。けれど清司がいるこの場は、あまりにも危険だった。


 蓮は玄関先で睨み合う二匹の妖怪を見て、ただ気まずくなる。


「とりあえず、中で話したら?」


「玄関に立ったままはよくない」


 清司と飛鳥は数秒見合い、結局どちらも室内へ入った。


 客間では、二人が左右に分かれて座った。互いに見つめ合い、何も言わない。


 むしろ、蓮の方が落ち着かなくなった。


 先に口を開いたのは飛鳥だった。


 彼は蓮をまっすぐ見た。


「あなたは彼が好きですか?」


「もし好きではないなら、僕がすぐ連れていきます」


 清司の顔色が一気に沈む。


 明らかな挑発だった。


「蓮」


 清司は陰のある声で言った。


「この大鵬とは関わるな」


「ろくな妖怪じゃない」


「昔、人肉を食っている」


 蓮は反射的に飛鳥を見た。


 飛鳥は薄く笑い、否定しなかった。


「確かに、昔は食べました」


「でも戦乱の時代です」


「食べたのは死者で、生きている人間ではありません」


「それに、もうずっと前のことです」


 蓮の胸に、わずかな衝撃が走った。


 妖怪の世界は、やはり人間とは違う。


 清司は冷笑した。


「蓮の肉を食うために近づいたのではないと、誰が証明する?」


 飛鳥は普段、温厚でほとんど人と争わない。だが今日だけは違った。この狐に、自分をそんなものとして語らせるわけにはいかない。


「狐」


 飛鳥は清司を見る。


「発言には根拠が必要です」


「僕が彼を食べたいなら、機会はいくらでもありました」


「それに、蓮は僕と付き合ってもいいと言いました」


「彼はあなたの所有物ではありません」


 その言葉は、清司の胸に重く突き刺さった。


 反論できない。


 あの時のことは、たしかに自分が悪かった。急に離れたりせず、蓮に事情を話していれば、その後のすべては違っていたかもしれない。


 彼が蓮の気持ちを見落とし、二人の関係を対立へ追い込んだのだ。


 蓮は、消された記憶の中で何があったのか、ますます知りたくなった。


 それが良い記憶ではないことは、何となく分かる。だからこそ、自分の記憶なら知るべきだと思った。


「清司」


 蓮は彼を見た。


「記憶を戻して」


 清司は即座に拒んだ。


「駄目だ」


 あの記憶はつらすぎる。蓮にもう一度思い出させたくない。


 飛鳥も珍しく清司側に立った。


「蓮」


「あの記憶は良くありません」


「思い出さない方がいい」


 これが、清司と飛鳥が初めて意見を一致させた瞬間だった。


 ただし、飛鳥が清司のために言ったのではない。彼は蓮がもう一度傷つくことを恐れていた。


 蓮はため息をついた。


 自分の記憶なのに、知る権利すらない。腹立たしいにもほどがある。


 清司は立ち上がった。


「何か作る」


 そして飛鳥を見た。


「大鵬、お前も手伝え」


 飛鳥は断らなかった。


 蓮だけが客間に残され、二匹の妖怪は台所へ入る。


 扉が閉まると、清司の顔から柔らかさが消えた。彼は一歩ずつ飛鳥へ近づき、強い妖気を放つ。


「警告しておく」


「蓮に近づくのは許してやる。だが、あいつを奪うつもりなら容赦しない」


 飛鳥は恐れなかった。彼の妖気もまた強い。ただ普段はうまく抑えているだけだ。


「口を開けば、俺の蓮、ですか」


 飛鳥は冷笑した。


「蓮がそう認めていますか?」


「僕があなたに協力するのは、あなたのためではありません」


「蓮が傷つくのを見たくないだけです」


 清司は言葉を詰まらせた。


 飛鳥は続ける。


「蓮の痛みの多くは、あなたが与えたものです」


「なぜ彼を解放できないんですか?」


「あなたから離れた方が、彼は楽になるかもしれません」


 清司は黙った。


 長い時間、自分は蓮の生活をかき乱してきただけなのかもしれない。


 それでも、蓮を失うことだけはできなかった。


「図星ですか?」


 飛鳥は彼を見た。


「狐。本当に蓮が好きなら、手放すことも考えてください」


「僕なら、大事にします」


 清司は答えなかった。


 しばらくして、食卓には豪華な昼食が並んだ。


 蓮はすっかり空腹だった。清司は優しく彼へ料理を取る。


「好きなら、もっと食べろ」


 蓮は、清司が台所から戻ってきてから少し様子が違うと感じた。けれど何が違うのかは分からない。


「清司」


 蓮は彼を見て、ふと口を開く。


「考えすぎるなよ」


「俺は君から離れない」


 飛鳥が軽く咳払いした。


「何か忘れていませんか?」


 蓮は途端に気まずくなった。飛鳥との間に何があったのかは覚えていないが、どうやらこちらも厄介な相手らしい。


 飛鳥も蓮に肉を一切れ取った。


「少しでも食べてください」


 蓮はさらに困った。


 飛鳥とは、今の彼にとってまだよく知らない相手だ。その相手に料理を取られて、食べるべきか、断るべきか分からない。


「二人とも、自分で食べて」


「俺のことはいいから」


 昼食は、終始ぎこちなかった。


 食後、蓮は伊織へ電話をかけた。


 電話の向こうは騒がしく、天羽莉央の声も聞こえた。おそらく、蓮がどうして来ないのか聞いているのだろう。伊織が必死に説明している気配がした。


「蓮、やっと電話してくれましたね」


 伊織の声には疲労が滲んでいた。


「こっちはもう大混乱です」


「何があった?」


「この前の件ですよ」


 伊織は息をついた。


「遠藤監督が一度は降板を言っていたでしょう」


「今度は白銀社長が戻ってきて、また戻ってきてほしいって」


「蓮が来ないので、みんな俺のところに来ています」


 蓮は視線を落とし、長く黙った。


「白銀社長は……しばらく失踪していたんですか?」


 伊織は固まった。


 今日の蓮は、どこかおかしい。だが具体的に何がおかしいのか、説明できない。


「蓮」


「とにかく、早めに来た方がいいです」



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