表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この妖狐、距離が近すぎる――契約俳優は逃げられない  作者: 熾星


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
74/103

ついに捕まえた

 監視カメラの映像は、あまりにも正常だった。


 スタッフが出入りし、照明班が機材を運び、車が止まっては去っていく。画面の中では、すべてがいつも通りに進んでいた。


 けれど蓮が探している人物は映らない。


 花を持ってきた人も、白銀清司も。


 蓮は心のどこかで、あの花が清司からのものだと信じたかった。朔は戻ってきたのに、清司だけが戻らないはずがない。そう思いたかった。


「蓮さん」


 横に立つ伊織が、沈んでいく蓮の顔色を見て声をかけた。


「大丈夫ですか?」


 蓮は深く息を吐いた。


「もういい。帰ろう」


 伊織はそれ以上聞かなかった。最近の蓮の周囲には、理解しきれないことが多すぎる。彼が誰を探しているのか、誰からの贈り物を追っているのか、伊織にはわからない。ただ、その相手が蓮を特別に想っていることだけは伝わっていた。


 車で公寓へ戻ると、蓮は後部座席から無言で外を見ていた。


「蓮さん、着きました」


「うん」


 車を降りた瞬間、蓮は少し離れた場所に朝倉周司を見つけた。


 周司は今日は青いシャツを着ていた。不思議なことに、蓮の服と色味が少し似ていて、まるで偶然のペアルックのようだった。


 周司は蓮に気づくと笑った。


「蓮さん、あの人は?」


 伊織がすぐに警戒する。マネージャーとして、急に蓮へ近づく人物を見過ごすわけにはいかなかった。


「新しい近所の人」


 蓮は答えた。


「悪い人じゃない。大丈夫」


 伊織はまだ少し不安そうだったが、蓮がそう言うなら、と頷いた。


「では、今日はこれで」


「運転、気をつけて」


 伊織の車が去ると、周司が紙袋を差し出してきた。


「たぶん、まだ何も食べていないと思って」


 彼は少し照れくさそうに髪をかいた。


「焼きたてのパンを少し。嫌じゃなければ」


 蓮は袋を開けた。中から湯気の残るパンの香りが広がる。


「これ、周司さんが作ったの?」


「うん」


 蓮は小さくちぎって口に入れた。


 香ばしい甘みが、口の中でほぐれていく。こんなにおいしいパンを、男の手作りで食べたことはなかった。


「すごくおいしい」


 周司の目がぱっと輝いた。


「本当?」


「うん」


「よかった」


 それだけで、周司は大切な仕事を終えたような顔をして背を向けた。


 蓮はその背中を見つめる。


 ゆっくりと、記憶の中の白い背中と重なっていく。


 そして、ひとつの大胆な疑いが胸の底から浮かび上がった。


「清司――」


 周司の足が止まった。


 体ごと、硬直したように動かない。


 世界が、一瞬音を失った。


 蓮の心臓が大きく跳ねた。


 次の瞬間、彼は駆け寄り、手にしていたパンの袋を周司の胸へ投げつけた。袋は彼の胸に当たり、地面へ落ちた。


「戻っていたんだ」


 蓮の声は震えていた。


「それなのに、黙っていた」


「どうして?」


 周司はゆっくり振り返った。


 その顔には、もう温和な近所の食堂主の表情はない。


「俺は……」


 蓮は彼を見た。


 清司が戻っていた。


 この男は本当に戻っていた。


 それなのに隣人のふりをし、店主のふりをし、ファンのふりをし、通りすがりの人間のふりをしていた。


 清司は一歩近づき、蓮をそっと抱き寄せた。懐かしい匂いが近づいた瞬間、蓮の体が強張る。


 何度も想像した光景だった。


 けれど、想像しただけで終わると思っていた。


 蓮は清司の腰に腕を回し、悔しさをぶつけるように口づけた。


 どれくらいそうしていたのか、清司が先に唇を離した。蓮の頬は熱い。


 また、この狐に流された。


 腹立たしい。


 どうしようもなく腹立たしい狐だ。


「答えて」


 蓮は清司を見上げた。


「贈り物は全部、君だったのか?」


「どうして戻ったのに、すぐ来なかった?」


 清司は珍しく狼狽した。


 会いたくなかったわけではない。


 ただ、怖かったのだ。


 蓮がもう会いたくないと思っていたらどうする。


 自分が戻ることで、蓮を困らせるだけだったらどうする。


 清司はわずかに目を伏せた。その自信なさげな仕草は、普段の誇り高い彼とはまるで違っていた。


「怖かった」


「お前が、俺に会いたくないと思っていたらどうしようって」


 蓮は笑いそうになった。というより、怒りすぎて笑うしかなかった。


 どれだけ会いたかったと思っているのか、この狐は何もわかっていない。


「中に入って」


 蓮はわざと不機嫌な声で言った。


「うん」


 清司は素直に頷いた。


 蓮が前を歩き、清司が後ろについてくる。その姿は、まるで叱られた子どもだった。


 部屋の明かりをつけ、蓮はソファに座る。清司はその前に立ったままだ。


「話して」


 蓮は腕を組んだ。


「何がそんなに怖かったの?」


「お前に、いらないと言われること」


「戻ってきたのに、お前が俺に会いたくないと思っていること」


「それでずっと隠れていたの?」


 蓮は呆れたように言った。


「贈り物をして、隣人になって、食堂の店主になって、時々僕の生活に紛れ込んで」


 清司は蓮の目を見た。


「俺は、俺の人を追いかけていただけだ」


 彼は少し間を置き、妙に堂々と言う。


「他人じゃない」


 蓮が反論する前に、清司は隣に座って蓮の腰を抱いた。勢いよく引き寄せられ、蓮は息を詰める。


「蓮」


 清司の目が、ひどく明るい。


「俺の伴侶になってくれるか?」


 伴侶。


 蓮はもちろん、なりたかった。


 けれど、妖は老いない。人間の命はあまりに短い。いつか清司だけを残していく未来を、考えないわけにはいかなかった。


 清司は蓮の頬に手を添え、まっすぐ見つめさせる。


「俺は本気だ」


「蓮、答えて」


 蓮は静かに目を伏せた。


「僕がどう思っているかくらい、君にはわかるだろう」


「ただ、何十年もあとで、君ひとりを残したくない」


 清司の目が一瞬で明るくなった。


 蓮が拒んでいないことを、彼は理解した。


 寿命の問題、生と死の距離。今はまだ答えがない。けれど探せばいい。朔にも聞く。ほかの方法だって探す。


「なら、結婚しよう」


 清司は突然言った。


「結婚?」


 蓮は固まった。


 男同士でスーツを着て、誰かの前で式を挙げるのか。自分は俳優で、最近の騒動もやっと落ち着きかけているところだ。現実をまったく無視することはできない。


「清司」


 蓮は軽く彼の胸を押した。


「それは、あとで考えよう」


 清司の目に少しだけ落胆が浮かぶ。


 だが次の瞬間、彼は何かを思いついたように九尾を広げた。金色の妖力が尾の先から流れ出し、音もなく燃える炎のように部屋を満たす。


 蓮が反応するより早く、清司は彼へ顔を近づけた。


 金色の力がふたりの間から広がり、細かな紋のように蓮の胸元へ染み込んでいく。蓮の瞳が一瞬、同じ金色を帯びた。


 契約は一度だけではなかったのか。


 けれど今回の感覚は、前とは違う。短くつながるのではなく、何かが骨と血の奥へ落ちていくようだった。


 金色の光の中で、清司は狐らしい狡い笑みを見せた。


「今度は終生契約だ」


「蓮、もう俺を捨てられない」


「君……」


 蓮は言葉を失った。


 清司はその手を取り、指先へ口づける。蓮は目を見開いたが、拒まなかった。


 この契約は、前のものとは違う。


 前の契約は、人間が死ねば自然に解けた。だが今回は共生の契約だ。蓮が死ねば、清司も共に消える。


 妖は人間のようには死なない。


 けれど魂魄は大地へ還り、二度と転生できない。


 人間の言葉で言えば――魂が砕け散る。


 蓮はその代償を、ぼんやりと感じ取った。


 けれど意識は金色の光と清司の気配にゆっくり沈んでいく。最後に見えたのは、悪びれもなく笑う狐の顔だった。


 そのあとのことは、何も覚えていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ