彼女の隣にいた新しい男
「どう話すか、決めた?」
信号待ちのあいだ、蓮は助手席の伊織に聞いた。
伊織は一瞬、言葉の意味が入ってこなかったようだった。数秒後、硬く首を横に振る。
蓮はバックミラー越しに彼の顔を見た。
顔色が悪く、目の下の隈も濃い。おそらく仕事と家の問題で、ほとんど眠れていないのだろう。下班して琴音を迎えに行く約束だったのに、結局彼は撮影チームまで車を出してきた。
「いつ別れたの?」
言ってから、蓮は少し後悔した。
そもそも別れの原因が自分と伊織の誤解なら、最近の話に決まっている。
「半月前です」
青信号になり、蓮は車を発進させた。
「まだ好きなら、きちんと引き止めたほうがいい」
伊織が聞いているのかどうかはわからない。
車内はしばらく無言になった。
「僕も、よくわからないんです」
やがて伊織が口を開いた。
蓮は横目で見た。今の伊織では、琴音を前にしても良い状態で話せるとは思えない。
「最近、仕事が多すぎる?」
「処理することが多くて。蓮さんのスケジュールも削りましたし、広告もいくつか断りました。相手先から会社へ不満も来ています」
「伊織」
蓮は静かに言った。
「後悔してほしくない。今、琴音と向き合う余裕がないなら、僕から今日は延期すると伝える」
伊織は蓮の真剣な顔を見た。
蓮がここまでしてくれるだけで、もう十分すぎる。本質的には、二人は藝人と經紀人だ。その外側で友人であっても、ここまで巻き込むべきではなかった。
伊織は今日、会ったらもう終わりにしようと思っていた。
だが、もしそれを後で悔やむなら、もう取り返しがつかない。
「琴音が怒っても、僕が説明する」
蓮は続けた。
「もし本当に誰かが僕たちのことで変な話を吹き込んだなら、そこも確認しないと」
伊織は重くため息をついた。
「僕も会社の誰かが言ったんだと思いました。けれど彼女に聞いても、話を逸らすばかりで」
「追いかけていたとき、ほかに相手はいた?」
「わかりません。あの件は最初から何が起きているのか、彼女が話してくれませんでした」
蓮は眉を寄せた。
「何も?」
「はい。ただ、何があったかは自分の胸に聞いてみろ、と」
会社まではそれほど遠くなかった。
夜七時、二人は付近に車を停めた。約束は下班時間の七時半。しばらく待つしかない。
「蓮さん。あとで琴音が何か失礼なことを言っても、怒らないでください」
伊織の声に、蓮は横を見た。
失礼なこと。
その言い方で、事態が思っていた以上に歪んでいることがわかった。
半時間はあっという間に過ぎた。
蓮が車窓を少し下げ、会社の入口を見ていると、ようやく見覚えのある細い影が現れた。
ただし、彼女はひとりではなかった。
隣に、蓮も伊織も知らない男がいる。
二人は車の前まで来た。男は蓮を見ると、隠しきれない驚きを浮かべる。それから琴音の耳元で何か囁いた。
蓮はその近さを見て、だいたい理解した。
「琴音、その方は?」
琴音は少しだけ動きを止めた。
蓮に対して、彼女にはまだ敬意が残っている。以前、彼女はデザイナーを通じて蓮と知り合い、会社に残ったあとも、蓮は仕事のことを気にかけていた。裁員のときも、蓮が口を出して彼女を助けた。
「蓮さん」
琴音は小さく頭を下げた。
「私の彼氏です。林陽太といいます」
男は少し戸惑いながら挨拶した。
「は、初めまして」
「どうも」
蓮は淡く返しただけで、すぐに視線を戻した。
「琴音と少しだけ話してもいいですか」
陽太は蓮の後ろを見た。
そこには暗い車内しかない。
「佐伯さん、話すのはあなた一人ですか。それとも、あなたたちですか」
言い当てられても、蓮は怒らなかった。
「友人として話すだけです」
「友人としてなら、どうして一人じゃないんですか」
「バンッ」
助手席の扉が開いた。
伊織が車から降り、彼らの前へ歩いてくる。
「他意はありません」
彼の声は低かった。
「僕をどう思っても構いません」
「でも、関係のない人を巻き込まないでください」




