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この妖狐、距離が近すぎる――契約俳優は逃げられない  作者: 熾星


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水辺に落ちたヴェド


「ヴェド! 大丈夫? どこか壊れてない?」


 撮影場で、莉央が蓮の胸へ飛び込んだ。


 蓮が演じるヴェドは半跪きになっている。戦闘の傷跡として、人工皮膚皮膚の一部が裂け、中から銀白色の機械骨格が見えていた。


 彼は胸にしがみつく小さな少女を見下ろし、まるでデータを読み上げるように平坦な声で言う。


「私の内部エネルギーは、損傷後の自己修復を一万回まで可能にします」


「これは六十二回目にすぎません」


「最後の電池残量だけでも、百三十年の稼働が可能です」


 人間の寿命の多くは、百三十年に届かない。


 蓮は一瞬だけ間を置き、その言葉を飲み込んだ。


「うう……」


 莉央が泣きながら衣装をつかむ。


「いなくならないで」


 蓮は手を上げ、そっと彼女の髪を撫でた。


 その顔に、機械にはまだ早すぎるはずの憐れみが浮かぶ。


「この世界がこれからどう変わっても」


「私は、ずっとあなたのそばにいます」


「カット!」


 遠藤の声が響いた。


 蓮は胸の上にいる莉央を見て、優しく笑う。


「莉央ちゃん?」


 少女は目をこすり、顔を上げた。


 蓮は少し驚いた。


 彼女は、本当に泣いていた。


 次の瞬間、莉央は無理に笑おうとする。蓮もつられて笑った。


「とてもよかったよ」


 蓮が頭を軽く撫でると、莉央は一瞬固まり、頬を赤くした。


「ありがとう」


 小さな声でそう言って、彼女は立ち上がった。


 蓮も肩をすくめ、遠藤のもとへ向かう。


 監督の顔は赤く、明らかに興奮していた。


「監督、どうしました?」


 横のスタッフが目を輝かせる。


「佐伯さん、監督は今の芝居がすごくよかったって」


「そうですか……」


 蓮は曖昧に頷き、水を飲みに休憩所へ向かった。


「蓮さん、さっきの芝居、本当にすごかったです」


 奏介もすぐに近づいてきた。


 蓮は少し戸惑った。こういうときは、余計なことを言わないに限る。


「そういえば」


 奏介は隣に座る。


「昨日、大きな贈り物を受け取ったって聞きました」


 蓮は顔を上げた。


「その話、どこまで広まってる?」


「見つけたの、俺ですから」


「なら聞きたい。届けた人を見た? 会社名とか、運送業者とか」


「見てません。俺が見たときには、もう車がありました。最初は誰かがプロポーズでもするのかと思いましたよ」


 蓮は苦笑するしかなかった。


「誰からかわかったら返す。あれは普通の贈り物じゃない」


「でも、たぶん簡単にはわかりませんよ。あんなものを置いて、誰にも見られないんですから。わざとわからないようにしているんでしょう」


「じゃあ販売会社に問い合わせるしかない?」


「海外の会社らしいです。顧客情報なんて簡単に教えないと思います」


 奏介は蓮の苛立ちを見て、慰めるように言った。


「まあ、そのレベルのものを贈れる人なら、いずれ自分から会いに来るかもしれませんよ。超级ファンかもしれないし」


「むしろ怖い」


 蓮は眉をひそめた。


「ファンが贈るなら、どうして隠れる必要があるんだ」


 奏介はその言葉に別の意味を感じ取ったようだった。


「前にも出所のわからない贈り物が?」


 蓮は言葉に詰まる。


 奏介もすぐに察した。


「言いたくなければいいです。ただ、俺が蓮さんから聞いたことを姉さんに話したことはありません」


 蓮ははっとした。


「そういう意味じゃない」


 しかし、説明すればするほど怪しくなる。


 結局、蓮は小さく息を吐いた。


「わかった。確かに、前にもあった。食べ物だけだけど。全部同じ人かどうかはわからない」


「会社に相談したほうがいいです」


 奏介は真剣だった。


「何度も贈っているなら、必ず痕跡があるはずです」


「近いうちに会社で確認するつもりだった。ただ、時間がない」


「佐伯さん! 奏介君!」


 遠くからスタッフが呼んだ。


「次のシーンです!」


「行きましょう」


 奏介が蓮の肩を軽く叩いた。


「それは仕事が終わってからでも遅くないです」


 午後の撮影も順調だった。


 奏介との対手戏には、互いに手応えがある。以前の共演があったこともあり、遠藤も二人を大きく心配してはいなかった。


 だが夕方のアクションシーンで、少しだけ事故が起きた。


 十メートルほどの斜面を、劇中では崖に見立てている。背後には小川と安全設備が用意されていた。ヴェドは小主人を守るため、追撃装置から逃げながら崖の縁にぶら下がる設定だった。


 段取りはきちんと組まれていた。


 だが蓮が縁をつかんだ瞬間、足元の濡れた石でバランスを崩した。


 身体が斜面から滑り落ち、水へ落ちる。


 季節はまだ冬ではない。けれど水温は十分に冷たかった。蓮は泳ぎが得意ではなく、引き上げられたときには全身が震えていた。


「佐伯さん、監督が今日はここまでにしようと」


 スタッフが毛布を持って走ってきた。


「進行は予定内ですし、無理しないでください」


 蓮は毛布に包まれ、頷いた。


 この状態で撮影を続けるつもりは、彼にもなかった。会社に戻り、伊織と琴音のことを片づけなければならない。


「送りますよ」


 奏介が声をかける。


 蓮は首を振った。


「大丈夫。少し用事があって、会社へ戻る」


「そうですか。気をつけて」


「ありがとう。明日また」



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