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この妖狐、距離が近すぎる――契約俳優は逃げられない  作者: 熾星


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君が頼んだ弁当じゃない

 蓮は固まった。


 その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。


 奏介が頼んだのだろうか。けれど、いくらなんでも早すぎる。


 蓮が問い直そうとしたときには、男の姿はもう角の向こうへ消えていた。


 湯気の立つ飯盒を前に、蓮はしばらく困惑していた。結局、彼は蓋を開ける。


 中身は唐揚げ弁当だった。


 香ばしい匂いが広がり、蓮は思わず喉を鳴らした。今の彼は、昔のように体型維持のためだけに毎日我慢する生活ではない。


 おいしそうなものが目の前にあるなら、食べないほうが損だ。


 木陰でひとり、静かに弁当を食べる。周囲に人の視線もなく、久しぶりに落ち着いた休憩だった。


 奏介が戻ってきたころ、蓮はすでに食べ終え、背もたれに体を預けて眠っていた。


「蓮さん?」


 呼ばれて、蓮はぼんやり目を開けた。


 目の前には奏介が立っている。手にはいくつもの弁当袋を提げていた。


「ごめん。昨日あまり眠れなくて」


 蓮は目をこすって起き上がる。


「僕、そんなに長く寝てた?」


「全然。はい、買ってきました。途中でファンの子におすすめの店を教えてもらって、少し遠回りになりました」


 蓮は奏介の手元を見て、内心で確信した。


 さっきの弁当は、奏介が頼んだものではない。


 とはいえ、好意を無駄にするわけにもいかない。蓮は奏介に付き合って、もう少し食べることにした。


 昼食後、二人は脚本合わせをした。


 奏介の役はかなり癖がある。出番が多いわりに、どこか喜劇的な場面も背負わされている。自分で読みながら、奏介は何度も笑いそうになった。


「俺の役、芝居が多すぎません?」


 蓮は笑う。


「俳優なんだから、芝居が多いのは当然だろ」


「姉さん、なんで俺にこの役をやらせたんだろう」


 高橋真紀。


 その名前が出た瞬間、蓮は少しだけ黙った。


 真紀さえいなければ、奏介とは普通に良い友人になれたかもしれない。だが彼の背後には、あの恐ろしく有能な姉がいる。どんな会話も、蓮は完全には気を抜けなかった。


「高橋さんも、奏介君のためを思っているんじゃないかな」


「どうですかね。何でも管理されて、自由なんてほとんどないですよ」


 蓮は粥を一口飲み、黙っていた。


 奏介も莉央も、少し似ている。始まりの位置が高いほど、周囲の期待が重くなる。得るものも大きいが、失うものも確実にある。


「蓮さん、前にボーイズグループみたいな方向へ行かされそうだったって本当ですか?」


 奏介が急に聞いた。


 蓮は少し驚いた。


「そんなことまで知ってるのか」


 だが、奏介の背後に真紀がいると思えば不思議ではない。あの人なら、蓮の現在の事務所の方針まで調べていてもおかしくない。


「うん。小さい事務所には、いい資源が少ないから。最初に名前を売るなら、目立つ道を勧められる」


 奏介は頷いた。


 彼は真紀に道を整えられてきたため、枠を奪い合う苦労、練習のための無理な減量、安い現場をいくつも渡り歩く段階をほとんど知らない。


「姉さんから聞きました。蓮さんも、うちに来るって」


 蓮は動きを止めた。


 奏介の顔を見ても、彼が本当に無神経なのか、それとも何かを探っているのか、判断がつかない。


 蓮はペットボトルを見つめ、柔らかく笑った。


「それは高橋さんに聞いたほうがいい」


 肯定も否定もできない。


「少し電話してくる」


 蓮はそう言って、スマホとバッグを持ち、少し離れた場所へ移動した。十分に距離を取ってから、ようやく息を吐く。


 水瀬琴音に電話をかけた。


 そろそろ伊織ときちんと話をさせなければならない。


「もしもし?」


 電話口の反応で、蓮は眉をひそめた。


 まるで彼の番号をもう登録していないような声だった。


「琴音。僕だ」


「あ……蓮さん。何かご用ですか」


「用がなければ電話しちゃいけない?」


「そういう意味じゃありません」


「わかった。今日はその話じゃない。今夜、会える? 話したいことがある」


「もし無理なら明日でもいい。明日が無理なら明後日でもいい」


 逃げ道を塞ぐように言うと、琴音は困ったように黙った。


「蓮さん。三浦さんと私のことであれば、もう話す必要はありません」


「それは二人で決めることです」


「じゃあ明日の夜」


 蓮は一方的に決めた。


「時間になったら迎えに行く。都合が悪ければ、時間だけ君が決めて」


「蓮さん……」


 琴音は縋るような声を出したが、蓮は引かなかった。


 結局、彼女は小さくため息をついた。


「わかりました。明日の夜で」


「じゃあ、明日」


 通話を切ると、蓮は伊織へ電話した。


 しかし聞こえてきたのは、接続できないという自動音声だった。


 蓮は番号を見直し、もう一度かける。


「もしもし?」


 今度はつながった。


「伊織、どうして電話に出ないんだ」


 けれど、返ってきた声は伊織ではなかった。


「伊織? 誰だよ、おまえ」


 知らない男の声に、蓮は一瞬動きを止める。


「あなたこそ誰ですか」


 電話の向こうでは、別の男たちの声もしていた。


「兄貴、誰からだ?」


「そいつ金持ってんのか? なけりゃ老板に払わせろよ」


 蓮が口を開く前に、通話は切れた。



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