52.周防成彰
蓮は目を閉じて間もなく、悪夢で目を覚ました。
夢の中で、すべてのファンが彼の前に立っていた。失望し、責めるような声で、何度も同じ質問を繰り返す。蓮がどう説明しても、誰も聞いてくれない。
「どうして騙したの?」
「どうして答えないの?」
「ファンなんて、どうでもいいと思ってるの?」
蓮はベッドに座り込み、しばらく荒い息を整えた。
夢の圧迫感がまだ残っている。彼はスマホと配信用の機材を手に取り、そのままInstagram Liveを開いた。
自分についた汚れを、少しずつでも落としたかった。
一度にすべてを理解してもらえるとは思わない。それでも、盗撮された映像と歪められた見出しだけに引きずられ続けるわけにはいかなかった。
配信を始めた直後は、人は多くなかった。
けれどファン同士が知らせ合ううちに、視聴者は少しずつ増えていく。コメントの流れも速くなった。
「蓮君、そんなに綺麗なら、恋人への条件も高そう。将来、孤独死したりしませんか?」
有料コメントが目に入った。
蓮は食事をしながら画面を見て、少し笑った。
「好きになる人の顔だけを見て決めるつもりはないよ」
「本当に綺麗なものが好きなだけなら、手作りの人形をたくさん買って家に並べれば済むから」
コメント欄が一気に流れた。
「蓮君、私でよければ!」
「言い方がずるい!」
「今日の蓮君もかっこいい」
蓮は食事を続けながら、ファンと会話した。
ときどき、今でも不思議に思うことがある。自分は、自分の顔がそこまで優れているとは思っていなかった。契約したばかりのころ、外見に自信がないと会社に言ったこともある。そのとき、ある人に言われた。
芸能人の顔が良いかどうかは、自分で決めるものではない。
カメラの前に立ち、最も多くの視線と拍手を受けた瞬間、その人は美しいのだ、と。
あとになって蓮は知った。会社は最初、彼をオーディション番組やボーイズグループ系の企画に出そうとしていたらしい。理由は、背が高く、脚が長く、ダンスの練習をしている姿が映えるから。
それは里沙先生の言葉だった。
「蓮君、役者になる前は何をしていましたか?」
誰かが尋ねた。
蓮は手元の本をめくりながら答える。
「いろいろ」
「普通のアルバイトもしたし、現場の雑用もした。荷物運びや使い走りも」
「まずは生きなきゃいけなかったから」
コメントが一瞬静まり、そのあと励ましの言葉が次々流れた。
「昔は大変だったんですね」
「これからも応援します」
「ずっと味方です」
ファンにとっては何気ない定型文かもしれない。それでも、蓮には少しだけ温かかった。
彼は笑った。
「うん。これからも頑張る」
「必ず」
配信が終わりに近づいたころ、目立たないコメントがひとつ流れた。
「ドライフルーツ、美味しかった?」
蓮の動きが止まる。
そのコメントは、レベルの低い新規アカウントからだった。アイコンは初期設定、名前はランダムな文字列。蓮は相手のページを開いた。
何もない。
胸の奥に、言葉にしにくい寂しさが生まれた。
彼は個別メッセージを開き、一言だけ送った。
「送ってくれたのは君? ありがとう」
返事はなかった。
配信でも、そのIDは二度と発言しない。
なぜか、蓮はその人を知っているような気がした。けれど考えても、自分の知り合いでこんな形で配信を見る人間は思いつかない。
「今日はここまでにします」
蓮はカメラに向かって笑った。
「皆も早く寝て」
配信を終えたあと、彼はベッドに横になり、XとInstagramを数分眺めた。
配信後、彼の発言について話している人が増えていた。数日前よりも、全体の空気は少しだけやわらかい。少なくとも、盗撮された映像をつなぎ合わせた物語ではなく、蓮本人を見ようとする人が出てきた。
蓮はスマホを置いた。
ベッド脇の人形を見た。
数秒ぼんやり眺めてから、ため息をついて横になる。
夜は、人の気持ちを弱くするものなのかもしれない。
翌朝目を覚ますと、蓮は昨夜ほど沈んではいなかった。
もし清司が戻らないのなら、いつまでも気にかけても意味がない。
手に入らないものは、手に入らない。
自分は、そこまで欲深い人間ではない。
電話の音が思考を遮った。
画面には三浦伊織の名前が出ている。
「もしもし?」
「蓮、会社に高村専務の知人が来ていて、君に会いたいと言っている」
伊織の声は慎重だった。
「自分の会社のスーツ写真を、君に撮ってほしいらしい」
「スーツ?」
蓮は少し黙った。
「わかった。いつ会う?」
電話の向こうで、伊織が明らかに固まった。
おそらく蓮が拒むと思っていたのだろう。
「蓮、数日後には新しい作品の撮影があるよね?」
「知ってる」
蓮の声は平静だった。
「何か問題ある?」
「いや……会社は今時間があるか聞いてこいって。その周防社長は、具体的な時間は君に合わせると言っている」
蓮は壁時計を見た。
もうすぐ十時。
起きて、身支度をして、仕事の話をする。昼食、午後は台本、家で走る、夜は風呂。時間があればまた配信。
一日の予定はすぐに組めた。
「大丈夫」
蓮は言った。
「今から来て。着替えて、マンションの入口で待っている」
「わかった」
電話を切ったあと、蓮は顔を洗い、髪を整え、整髪料で前髪を後ろへ流した。
ブランド側と会うなら、それなりにきちんとする必要がある。
マンションの入口へ降りたとき、ちょうど道路の向こうから車が近づいてきた。手を上げかけたが、それは伊織が普段使う車ではない。
数秒後、その車は蓮の前で停まった。
助手席の扉が開き、降りてきたのは伊織だった。
「これは……」
伊織は蓮の隣へ来て、後部座席のドアを開ける。
背の高い男が車から降りた。
丁寧に仕立てられた黒いスーツを着て、蓮より半分ほど頭が高い。まだ若く見えるが、整えられた薄い髭があり、笑うと親しみやすい印象になる。
「君が佐伯蓮だね?」
「初めまして」
男は笑って手を差し出した。
「周防成彰です」
伊織が蓮へ小声で言う。
「高村専務のご友人です」
蓮は相手と握手した。
「周防社長、初めまして」
「そんなにかしこまらなくていい」
成彰は自然に笑う。
「高村から、今うちの事務所で一番力のある新人だと聞いていたんだ。誰かと思ったら本当に君で驚いた。前にドラマを見たよ。いい芝居だった」
褒め言葉が続くなか、蓮はただ微笑んだ。
微笑む。そして沈黙する。
成彰は数秒ほど彼を見て、少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「本当に、噂通り特別な雰囲気があるね」
蓮は眉をわずかに上げる。
「特別な雰囲気、ですか?」
「Xでファンがよくそう言っている」
成彰は笑った。
「最初は大げさだと思っていたけど、実際に会うと少しわかる気がする」
冗談めいた口調だったので、蓮も少し笑った。
「この業界の人は、皆それぞれ特別です」
「ファンは、好きな人を見るときにどうしてもフィルターをかけますから」
成彰は彼をじっと見つめた。
「君も好きなスターを見るときは、そうなる?」
蓮は薄く笑った。
「好きなスターはいません」




