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この妖狐、距離が近すぎる――契約俳優は逃げられない  作者: 熾星


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51.あの声

「さて、遠回しに話すのはやめるよ」


 明彦は姿勢を正した。


「今回急いで連絡したのは、僕が担当する雑誌で、新しい企画が動いているからなんだ」


「表紙に合うモデルが、まだ一人足りない」


 彼は蓮を見る。


「だから、君の写真を一組撮らせてほしい」


 写真。


 蓮と伊織は顔を見合わせた。


 伊織は明らかに乗り気だった。蓮はすぐには答えず、先に尋ねる。


「急ぎ?」


 明彦は首を横に振った。


「急ぎではない。表紙は長野で撮った写真を先に使える。撮り下ろしは、君のスケジュールに合わせてでいい」


 蓮は少し考えた。


「検討できると思う」


 明彦はすぐに笑顔になった。


「それはよかった」


「具体的な日程は、必要になったら伊織に連絡して」


「わかった」


 用件が済むと、会話は自然に終わりへ向かった。


 蓮と伊織は明彦と別れ、事務所へ戻った。


 入口に入るなり、受付の警備員が蓮を呼び止める。


「佐伯さん、贈り物が届いています」


 警備員は、きれいに包装された紙袋を差し出した。


「ファンだと名乗る方が、あなたに渡してほしいと置いていきました」


 蓮は紙袋を受け取った。


 外からは中身がわからないほど丁寧に包まれている。


 彼はそれを伊織へ渡した。


「先に上へ持っていこう」


 伊織は頷いて受け取った。


 今日は会社に残って処理することもあまりなかった。二人はデスクで今後の予定を確認し終えると、伊織が尋ねた。


「蓮、送っていく?」


 蓮はパソコン画面を見て、新しいメールがないことを確認した。


「お願い」


 二人は一緒に退勤した。


 途中で、伊織はその紙袋を開け始める。


 蓮は呆れたように彼を見る。


「家に帰ってから開ければいいのに。金塊でも入っているわけじゃないだろ」


「さっき見えたんだ。食べ物っぽかった」


 伊織が隅を開けると、桃のような濃い果物の香りがふわりと広がった。


 駐車場に着くころ、伊織はついに包みを完全に開けていた。


「ドライフルーツだ」


 少し驚いた声だった。


「蓮、これを送ってきたの誰? 君の好みを知りすぎじゃない?」


 蓮は袋いっぱいのドライフルーツを見つめ、妙に滑稽な気分になった。


「知らない」


「知らないの?」


 伊織がすぐに警戒する。


「じゃあ危なくない? これ食べて大丈夫なの?」


「馬鹿か」


 懐かしい声が突然響いた。


「毒なんて入っているわけがないだろ」


 蓮の身体が、その場で固まった。


 声は唐突だった。


 耳元をかすめたようでもあり、心の奥へ直接落ちてきたようでもある。


「清司?」


 蓮は心の中で試すように呼んだ。


 返事はない。


 周囲には駐車場の照明音と、伊織が包装を触る音だけがある。


 幻聴なのか。


 それとも、自分はとうとう、一人を思いすぎてこんな声まで聞くようになったのか。


「蓮?」


 伊織が何度か呼んだ。


 蓮は我に返る。


「何?」


「今、ぼうっとしてた」


 伊織は袋を持ったまま、迷った顔をした。


「誰が送ったかわからないなら、捨てたほうがいい。今はファンのふりをして変なものを送る人もいる。万が一何かあっても、相手を追えないし」


 そう言って彼はゴミ箱へ向かう。


「待って」


 蓮は袋が捨てられる直前に呼び止めた。


 伊織が振り返る。


「どうしたの?」


 蓮はその袋を見た。


 直感だった。


 これは危険ではない。


「捨てなくていい」


 蓮が言った。


「たぶん、どこかのファンからの贈り物だ」


「でも、蓮。念のために――」


 蓮は少し考え、より自然な理由を作った。


「昨夜の配信で、こういうものが好きだと言ったんだ。見ていたファンが送ってくれたのかもしれない」


 伊織が目を丸くした。


「昨日、配信したの?」


 蓮は軽く肩を上げる。


「した」


 伊織は複雑な顔をした。


「会社が知ったら……」


 言いかけて、彼はおそらくもう会社も知っていると思い至った。一日経っている。問題があれば、とっくに誰かが連絡しているはずだ。


「大丈夫」


 蓮は言った。


「何かあれば、僕の個人的判断だったことにすればいい」


 伊織は蓮を見て、結局その袋をしまった。


「わかった。何かあったら、絶対に連絡して」


「もちろん」


 帰り道、蓮は途中のスーパーで食材も少し買った。


 マンションの近くに車が止まると、伊織はふと思い出したように言う。


「蓮、会社でこの二日くらい活動があって、高村専務が知人を呼ぶらしい」


 高村。


 その名前を聞いた瞬間、蓮の表情は冷えた。


 以前のことを思い出さなくても、必要のない会食はすべて断るつもりだった。まして高村が何をしたか知っている今、行く理由などひとつもない。


「全力で断って」


 蓮は言った。


「僕は行かない」


 伊織は気まずそうに頷いた。


 蓮が断ることは予想していた。だが蓮にとっては一言で済む拒否も、伊織が高村へ伝えるときには一言では済まない。


「今日はここでいい。上がらなくて大丈夫」


 蓮は荷物を持った。


「今夜も配信するかもしれない。会社には伝えておいて」


 伊織は口を開きかけ、最後には頷いた。


「わかった」


 蓮は伊織の車を見送ってから、鍵を取り出して部屋へ戻った。


 部屋に入ると、荷物を適当に置く。ふと目が、ベッド脇のサーカス人形に落ちた。


 それは静かにそこに置かれている。


 蓮はしばらく眺めたあと、結局ベッドに倒れ込み、そのまますぐに眠りに落ちた。




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