モデル
律は眉をひそめた。
「それなら、清司はもうこっちに戻っているってことか?」
「それなら、どうして佐伯蓮に会いに行かない?」
朔は肩をすくめた。
「わからない」
「少なくとも、僕と一緒ではなかった」
彼は清司のことをよく知っている。
あの白狐は表向き、強くて傲慢で、何でも思い通りにできるように振る舞う。だが感情のことになると、驚くほど面倒で不器用だった。戻りたいくせに、すぐには姿を見せない。気にしているくせに、何も思っていないふりをする。
律は少し黙り、別のことを思い出した。
「そうだ」
朔が彼を見る。
「戻ってきたときに聞いた。前に、おまえと佐伯蓮で噂になっただろ」
「その件、どうするつもりだ?」
律は肩をすくめた。
「彼が解決できないなら、俺が出て説明する」
「これは彼だけの問題じゃないからな」
少し間を置いて、彼は続けた。
「数日後、父たちがアメリカから戻ってくる。いろいろ説明しなきゃいけないこともある。来るものは来る」
父、という言葉に朔がわずかに緊張した。
「お父さんが戻るのは、律に会社を継がせるため?」
律は頷いた。顔にははっきり不機嫌が出ている。
「あのじじい、俺の弱点がおまえだってわかってるから、おまえを使って脅してくる」
朔は、律が歯ぎしりしそうな顔をしているのを見て、思わず笑った。
律の父が二人の関係を知ったとき、当然強く反対した。だが幼いころから父に反発してきた息子を説得できないと知ると、今度は朔の側へ話を持ってきた。金、女、権力、朔が望むなら何でも用意すると言った。
けれど、朔がそんなものを欲しがるはずがない。
最後には父のほうが折れた。せめて朔から律を説得し、会社へ戻るよう促してほしい。律が本当に家と完全に縁を切ってしまうのだけは避けたい、ということだった。
「お父さんも、律のためを思っているんだよ」
朔が言う。
律は鼻で笑った。
「おまえまで買収されたのか」
朔は笑っただけで、何も言わなかった。
この親子の関係がうまくいっていないことはわかっている。けれど律は父を完全に嫌っているわけではない。ただ、どう心配すればいいのかわからないだけだ。年長者が自分を橋渡し役として使うのなら、朔はできる範囲で付き合うつもりだった。
一方、蓮は家で二日ほど静かな時間を過ごした。
静かと言っても、記者に玄関先で待ち伏せされなかった、という程度である。家で台本を読み、台詞を整理し、ときどきInstagram Liveでファンと話した。
過激な反応をする一部の人々を除けば、まだ多くの人が蓮を応援してくれていた。予告なしで二度配信を開くと、蓮は深夜までファンと話した。世論を一気に覆すことはできない。それでも、本当に好きでいてくれる人たちに、自分が逃げ隠れしていないこと、ネット記事のように私生活が乱れているわけではないことを見せることはできた。
「蓮、これ見て」
隣から伊織の声がした。
蓮はパソコンの前でファンのコメントを読んでいた。振り向くと、伊織がスマホを掲げていて、顔にはわかりやすい興奮が浮かんでいる。
「昨日、君の写真を雑誌に載せたいって連絡が来たんだ」
蓮は送信者の名前を見て、口元に少し笑みを浮かべた。
黒沢明彦。
「知り合い?」
伊織が探るように聞く。
「うん」
蓮は答えた。
「長野で撮影していたときに会った。連絡してみて」
伊織は頷き、メッセージにあった連絡先へ電話をかけた。自分の席で数分やりとりをする。話はかなり順調だったらしい。蓮が椅子にもたれて少しうとうとしてから目を開けると、伊織は宝くじに当たったような顔をしていた。
「蓮!」
声を抑えているのに、興奮は隠せていない。
「連絡が取れた。彼、黒沢明彦っていうカメラマンで、海外の写真学校から戻ってきたばかりらしい。賞に出している作品も結構ある。会って話してみてもいいと思う」
蓮は頷いた。
パソコンの画面に、新しいファンコメントが流れてくる。
「蓮君、次の配信はいつ?」
蓮は少し笑い、その下に返信した。
「近いうちに」
「蓮?」
伊織はまだ返事を待っている。
「どうする? 会ってみる?」
蓮は彼を見る。
「いいよ。時間は君が決めて。会うときに教えて」
伊織がスマホに文字を打ち込むと、すぐに返事が来た。
「時間、もう決まった」
「早いね」
蓮が見上げる。
「いつ?」
伊織は少し変な顔をしながら、スマホを横にして蓮へ見せた。
そこには、こう書かれていた。
「もしお二人の都合がよければ、三十分後、事務所近くの歩行者通りにあるカフェで会いませんか」
「どうする、蓮。行く?」
蓮は読み終えると頷いた。
「行こう」
約束を決めると、二人はそのままカフェへ向かった。
車で十数分、すぐに到着した。
そこは内装の整ったカフェだった。店に入ると、遠くの席で誰かが立ち上がり、二人に手を振っているのが見えた。
「佐伯!」
店内は空いていた。明彦の声に、周囲の数人が一瞬だけ顔を上げたが、すぐに自分の作業へ戻っていった。
蓮と伊織は彼の向かいに座る。
店員が来て、メニューを差し出した。
「ご注文はお決まりですか?」
「ブラックコーヒーを」
蓮が言った。
ここ数日、精神的にあまりよくなかった。長野で数回話した相手とはいえ、まだそこまで親しいわけではない。苦いもので少し頭をはっきりさせたかった。
伊織も同じものを頼んだ。
店員が去ると、明彦は蓮を見て笑った。
「久しぶり、佐伯」
蓮も笑い返す。
「そこまで久しぶりでもないよ。長野の撮影は終わった?」
「昨日終わったばかり」
伊織は思わず彼を見た。
昨日終わったばかりで、今日蓮に会いに来たのか。
明彦は伊織の視線に気づいていないように続けた。
「君が東京へ戻るのが早かったから、奏介君が現場でずっと残念がっていたよ。本当は今日も一緒に来たがっていたけど、急用で真紀さんに呼ばれてしまった」
蓮は軽く笑う。
「また機会はあるよ。東京にいるときなら、皆で会ってもいい」
明彦の目が少し明るくなった。
「本当に?」
「うん」
自分の反応が少し大きすぎたと気づいたのか、明彦は急いで話題を変えた。
「真紀さんに呼ばれたら、三、四日は戻れないかもね。奏介君、帰ってくるころにはまた痩せてそう」
蓮はその愚痴を聞かなかったふりをした。
彼が最も得意とする対応である。
微笑む。そして沈黙する。




