百年は短い、想いは長い
律は蓮を見て、眉を軽く上げた。
「何だ?」
彼はスマホを耳から離し、そのまま蓮へ投げ返す。
「切れた」
蓮は少し固まった。
切れた?
「長く付きまとわれていたのか?」
蓮は首を横に振った。
「長い、というほどじゃない」
「前は、ああじゃなかった」
言ったあとで、その言葉があまり説得力を持たないことに気づいた。
悠真が変わったのではなく、自分が今まで気づかなかっただけかもしれない。
清司も以前、彼のことを警告していた。あのときは怪異が絡んでいたせいで、悠真本人の感情まで考えなかった。
律は蓮を一瞥した。
「Xでのおまえの件は、熱が少し下がってきている」
蓮は顔を上げた。
「うん、知ってる」
彼は言った。
「近いうちに事務所から連絡が来ると思う。ちゃんと処理する」
「早くしろ」
律は伸びをし、首を回した。
「俺はもう、まともに外へ出ていない」
蓮が何か言う前に、場面は別の場所へ切り替わる。
隠り世、狩場。
「危ない!」
鋭い声が耳元で弾けた。
清司は一瞬だけ動きを止め、すぐに我に返った。
黒い光球が、瞳の中で急速に大きくなる。
「ちっ」
彼は短く舌打ちし、掌を前へ突き出した。力をぶつける反動で素早く後退し、掌に凝縮した白金の妖力をさらに密度高くまとめる。
最後に、それを軽く投げた。
二つの力が空中で衝突する。
爆発のような妖気が中心から広がり、周囲の草木を次々となぎ倒した。清司は余波で数丈ほど押し戻され、ようやく体勢を整える。
目の前で弾けた波動を見つめ、彼の顔色は良くなかった。
「白銀、何をしているんだ?」
旧友たちが数人、周囲へ集まってきた。声には責めが混じっている。
「狩場でぼんやりするなんて、無事に戻る気がないのか?」
ここは普段、彼らにとって遊び場のような場所でもある。だが隠り世の狩場である以上、少し間違えば命を落とすことも珍しくない。
清司は唇を引き結び、反論しなかった。
たしかに、今のは自分の失態だ。
「もういい」
彼は手を下ろした。
「先に戻る」
「少し片づいていないことがある。今夜の祭典は、ほかを当たってくれ」
彼が祭典にすら行かないと言い出したため、何人かが慌てて引き止めようとした。
「おい、今夜おまえが来ないと困るだろ。あれはおまえが――」
だが、その声は清司には届かなかった。
数呼吸のうちに、彼の姿は狩場の果てへ消える。
空間の裂け目を抜けながら、清司は乱れる心拍を押さえ込んだ。
なぜだか、さっきの一瞬、本当にそのまま消えるのではないかと恐ろしくなった。
以前なら、外で遊べる機会を逃すことなどなかった。
だが今は、狩りも祭典も、心を本当に向けることができない。
結局、彼は朔のもとへ向かった。
「朔」
清司が声をかけると、珍しく少し気まずそうだった。
「話がある」
朔は彼を見て、まるで最初からわかっていたように言った。
「言ってみろ」
清司はしばらく黙った。
「戻るつもりだ」
朔は眉を上げる。
「どこへ?」
清司はその笑みを見て、自分も少し笑った。
「わかっているだろう」
朔は窓辺に寄りかかり、外の霧を見た。
「清司、知っているか」
「戻ってきてから、ずっと思っていた。おまえがいつ、また現世へ戻ると言い出すのか」
「もっと長く我慢すると思っていたんだけどな」
清司は朔の表情を見て、ようやく気づいた。
「おまえ、まさか……」
あの日、朔と一緒に蓮の家へ来た男。
早乙女律。
朔は認めも否定もせず、ただ静かに首を横へ振った。
言葉にしなくてもいいことはある。
二人には、それだけで通じた。
「俺も昔は、現世に残りたいなんて思ったことはなかった」
朔は小さく言った。
「人間を見下していたし、短い命なんて価値がないと思っていた。百年なんて、俺たちからすれば短すぎる」
「けれど多くの人間は、あやかしになることと、人であることを選べるとしても、迷わず後者を選ぶ」
清司は最初、まだ笑っていた。
だが少しずつ、その笑みは薄れていく。
朔は続けた。
「その選択には、どれだけの痛みがあるのか。どれだけ手放せないものがあるのか、ようやく少しわかった」
「その中でいちばん大切なのは、愛する人と一生を過ごすことなのかもしれない」
それは、朔が現世のテレビで覚えた言葉でもあった。
律がいない時間、彼はドラマを見て、ドキュメンタリーを見て、人間が作った感情の物語を眺めた。そうして少しずつわかったのだ。短い命の中にある重みは、隠り世の数千年に劣るものではないと。
清司は黙って聞いていた。
長い沈黙のあと、低く言う。
「戻りたい」
朔は笑った。
「なら戻ればいい」
「おまえ、迷うのがいちばん嫌いだろう?」
清司は彼を見る。
「おまえは?」
朔は沈黙した。
少しして、目を伏せて笑う。
「俺も、律に会いに戻らないとな」
同じころ、東京。
蓮は事務所へ行く準備をしていた。
出かける前、玄関でリビングにいる律へ声をかける。
「冷蔵庫に食べ物がある。冷凍食品も買ってある」
「清掃サービスは明日の午前に来る。人と会いたくなければ、下りてこなくていい」
「記者が来ても相手にしないで。管理人には話してある」
律はソファに座って本を読んでいた。どうやらトレーニング理論の本らしい。蓮の言葉に、面倒そうに返事をする。
「わかった」
蓮は彼を見て、ふいに羨ましいと思った。
いいな。
律には、確かに待つ相手がいる。
必ず自分を探して戻ってくる人がいる。
では、自分はどうなのか。
清司は、戻ってくるのだろうか。




