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この妖狐、距離が近すぎる――契約俳優は逃げられない  作者: 熾星


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「恋人はいるか?」――思い浮かんだ金色の瞳

 調子を取り戻してから、撮影の進行は明らかに早くなった。


 静香は数回NGを出したあと、自分の中にある明るく軽い雰囲気をようやく抑え、役の中へ入り込んだ。彼女が何度もつまずいた場面を撮り直したとき、黒沢の顔色もやっと和らいだ。


 蓮は脇で台詞を確認していたが、最後には現場の近くへ寄り、少し芝居を見ていた。


「佐伯君、役の準備はどう?」


 道具班が現場を整えている隙に、黒沢航が蓮のそばへ来た。


 蓮は台本を閉じ、笑った。


「期待を裏切らないよう、全力を尽くします」


 黒沢は頷いた。


 けれどその表情には、少し迷いがあった。


 やがて、彼は蓮のほうへ少し身を寄せ、声を低くする。


「ところで、今、恋人はいる?」


 蓮は一瞬固まった。


 監督が突然そんなことを聞くとは思っていなかった。


 黒沢は蓮の微妙な表情を見て、昨夜のXのことを思い出したらしく、慌てて言い足した。


「ああ、男の恋人でもいいよ」


 蓮は二秒ほど黙り、それから意味を理解した。


 黒沢は、おそらく蓮の投稿を細かく読んでいない。「男性」「友人」「同居」といういくつかの単語だけを拾い、勝手に話を補完してしまったのだろう。


 蓮は内心、少し笑いそうになった。


「いません」


 彼は答えた。


「監督はどうして急にそんなことを?」


「誤解しないでくれ。役の話だ」


 黒沢は説明した。


「君が演じる男は、後半で殺人犯になるだろう。愛する人が犯罪組織に違法な実験の材料にされ、最後に病床で死んだからだ」


「少し、自分のこととして想像してみるといい」


「もし自分の大切な人が同じ目に遭ったら、どんな感情になるのか。そこから入ると、掴みやすいかもしれない」


 蓮は聞き終えて、納得した。


 相原透の本質は狂気ではない。


 喪失だ。


 彼はもともと普通の人間だった。愛する人は医学研究に関わる医師で、犯罪組織の違法な人体実験に気づいたため口封じされた。相原透はそこから少しずつ崩壊していく。


 自分の愛する人。


 その言葉に、蓮の脳裏へ細く鋭い金色の目が不意に浮かんだ。


 数秒後、清司の、いつも冷たいあの顔がはっきりと形を結ぶ。


 心臓が急に跳ねた。


 顔まで熱くなる。


 蓮は反射的に顔を上げ、少し離れた場所を見た。


 その瞬間、自分の動揺を清司に見られたような錯覚がした。


 けれど、そんなはずはない。


 清司は今ごろ、朔と一緒に彼らの世界へ戻っているはずだった。


 あいつは本当に、あっさり行ってしまった。


 蓮は心の中で悪態をつき、湧き上がった感情を押し込めた。


 だが少しでも暇ができると、未来が自分の手に負えない場所へ流れていくのがわかる。


 律と朔の関係は疑いようがない。


 では清司と朔は、いったい何なのか。清司はそのことを、蓮にきちんと話したことがない。


「本当に、このまま戻ってこないのかな……」


「――カシャ」


 突然のシャッター音が、蓮の思考を断ち切った。


 顔を上げると、若いカメラマンが少し離れた場所に立ち、カメラを構えていた。


 蓮は眉を寄せ、問いかけるように視線を向けた。


 相手はカメラの画面を見下ろし、すぐに慌てて近づいてきた。


「すみません。勝手に撮ってしまって」


 彼はまだ若く見えた。黒縁眼鏡をかけ、髪型も普通で、近所にいる男の子のような雰囲気がある。


「カメラマンです。今の表情がすごく物語を持っていて、思わずシャッターを切りました。嫌でしたら、すぐ削除します」


 蓮は、こういう小さなことで責める性格ではない。


 相手の態度は誠実で、悪意ある盗撮にも見えなかった。


「大丈夫です」


 若いカメラマンはほっとしたように笑い、名刺を出した。


「はじめまして。黒沢明彦です」


 蓮は名刺を受け取った。


「佐伯蓮です」


 そこで初めて、相手をよく見た。


 黒沢。


 苗字を見て、蓮はだいたい察した。


「黒沢監督とは?」


 明彦は撮影現場のほうを見た。


「叔父です」


 やはり。


「数日前から、現場で君の芝居も見ていました」


 明彦の目がきらきらしている。


「本当にすごくいいと思います」


 ここまで真っ直ぐ褒められると、蓮のほうが少し照れた。


「ありがとうございます」


 明彦はカメラを見下ろした。


「さっきの写真、もしよければ雑誌に使わせてもらえませんか。今回の映画宣伝に、とても合うと思います」


 蓮は少し考えた。


「具体的なことは、マネージャーから連絡させます」


「はい」


 明彦は笑った。


「では、あとで連絡します」


 挨拶を終えたあと、蓮は長く息を吐いた。


 時間はあっという間に過ぎた。


 休憩場所へ戻るころには、スマホに正午と表示されている。


 遠くから弁当の匂いが漂ってきた。ほどなくして、スタッフが弁当を持って撮影地へ入ってくる。


 蓮は一つ受け取り、静かな隅に座った。食べながら、数十分前に黒沢から言われた言葉を思い出す。


 自分の愛する人が、同じ目に遭ったと想像してみる。


 なぜ自分は、すぐに清司を思い浮かべたのだろう。


 清司が実験材料にされる?


 おそらく、それはない。


 あの男の力を考えれば、彼を実験台にしようなどと考える人間は、千年後でもまだ生まれていないだろう。


 いや、違う。


 蓮は二口ほど食べたところで、手を止めた。


 どうして自分は、清司を「愛する人」として代入したのか。


 清司が、自分の……。


 愛する人?

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