はじまりの同居
彼はどこを見ているのか。
蓮は、ほとんど瞬時に理解した。
律には清司が見えている。
眉をひそめて口を開こうとしたそのとき、蓮の視界は律の左側に現れた人影に奪われた。
清司の声が、隣で響く。
「朔」
朔。
蓮の胸が大きく跳ねた。
長いあいだ探していた相手が、こんな形で目の前に現れた。
宵宮朔も清司を見た。顔には、少しだけ安堵の笑みが浮かんでいる。
「清司」
ふたりの間に、抱擁はなかった。
蓮が想像していたような、劇的な再会の感動もなかった。
ただ、マンションの扉を挟んで、互いを見つめている。
あまりにも静かな再会だった。
だからこそ、蓮には奇妙に感じられた。
彼らは本当に恋人なのだろうか。恋人なら、なぜこれほど熱がないのか。恋人でないなら、清司はなぜここまで長く彼を探していたのか。
蓮は軽く息を吐き、身を横へ引いた。
「中で話してください」
この二人のあやかしが壁を抜けられるとしても、ここは彼の家の玄関前だ。いつまでも立ち話をする場所ではなかった。
律は低く礼を言った。
蓮は律に茶を出した。
律はソファに座り、両手でカップを包んでいる。少し落ち着かないように見えた。もちろん、俳優である佐伯蓮と同じ空間にいるからではない。
彼が不安にしているのは、閉じた客室の扉だった。
清司と朔はその中にいる。
部屋に入るなり、ふたりは客室へ移動し、扉を閉めた。その後、中からは何の音も聞こえない。
蓮と律はリビングに残され、空気は少し気まずかった。
先に口を開いたのは、蓮だった。
「宵宮さんとは、長い付き合いなんですか?」
律は頷いた。
朔のことを話すときだけ、彼の表情には本当の柔らかさが浮かぶ。
「長いです」
それは数年前のことだった。
律が体育大学に入ったころ、朔と契約を結んだ。最初は、この荒唐無稽な現実を受け入れられなかった。どこから来たかもわからないあやかしに、いつか殺されるのではないかと疑ったこともある。
けれど、少しずつ変わっていった。
朔は律の訓練に付き合い、低迷期を一緒に越えた。大学の大会から実業団へ、さらに国際大会へ進むまで、ずっと見守っていた。恋人になる前から、朔は律にとても優しかった。
長すぎる時間だった。
律にはもう、朔のいない生活など想像できない。
蓮は閉じた客室の扉を見る。
「何を話しているんでしょうね。こんなに長く」
少し不安だった。
清司と朔の再会は、あまりにも平静だった。感情がないのではない。むしろ、言葉にしなくても通じるものが多すぎるように見えた。
律も同じ扉を見ていた。
「清司さんから、会ったあとのことを聞いていますか?」
蓮は少し固まった。
「いいえ」
清司が最初に現れたとき、蓮に言ったのは、余計なことをするなということだけだった。
それ以外は、ほとんど何も聞いていない。
律はしばらく黙り、それから声を低くした。
「彼らは、ここを離れるかもしれません。本来いるべき場所へ戻るために」
蓮の胸が一瞬止まる。
すぐに笑った。
「離れる?」
「それならいいですね。僕の生活も元に戻る」
律は蓮を見た。
「戻ってこない、という意味です」
少し間を置く。
「二度と」
蓮は律を見返した。
その言葉は、自分に向けられたというより、律自身が自分へ言い聞かせているように聞こえた。
「あなたと宵宮さんは……」
律は目を伏せる。
「何でもありません」
「すみません。少し、取り乱しました」
蓮はそれ以上聞かなかった。
もうわかっていた。
律と朔は、ただの契約者と守護妖ではない。
ふたりはそのまま、午後までリビングで待った。
客室のふたりは、まだ出てこない。蓮は本を開いて時間を潰そうとしたが、まったく頭に入ってこなかった。
「いくら何でも、長くないですか」
朝から部屋に入って、すでに何時間も経っている。どれほど重要な話でも、ここまで音ひとつしないのはおかしい。
蓮は立ち上がり、茶杯を置いた。
客室の扉の前まで行き、軽くノックする。
返事はなかった。
扉の向こうは、誰もいないように静かだった。
蓮の心が急に重くなる。
彼はドアノブを握り、そのまま押し開けた。
次の瞬間、蓮はその場で固まった。
部屋は空だった。
清司も朔もいない。
律もすぐに駆け寄り、室内を見て顔色を変えた。
「どういうことですか」
蓮は彼を振り返る。
互いの目に、同じ疑問が浮かんでいた。
「どこへ行ったんですか」
蓮は首を横に振る。
「わかりません」
探すと言っても、どこを探せばいいのかわからなかった。
マンション中を確認した。リビング、キッチン、バルコニー、書斎、寝室、浴室。どこにも清司と朔の姿はない。
けれど彼らは、もともと人間ではない。
あやかしが人間に見つかりたくないと思えば、たとえ蓮のそばに立っていても、蓮には見えないかもしれない。
そばにいる。
蓮は不意に立ち止まり、空中を掴んだ。
何も掴めない。
自分でも馬鹿げていると思った。
もし清司が本当にここにいるなら、隠れる理由はない。
自分の寝室へ戻ったとき、蓮の足が止まった。
整えてあったベッドサイドに、いつの間にかひとつのぬいぐるみが置かれていた。
あの妙なサーカスのグッズ。
清司が昼間、ずっと手に持っていたものだ。
蓮はそれを拾い上げた。
清司は何かを伝えようとしているのだろうか。
長いあいだ見つめてみたが、何もわからない。最後には苛立って、ぬいぐるみをベッドの上へ投げた。
清司は蓮の生活に入り込みすぎた。
ぬいぐるみが喋るのを期待するほど、自分は彼の存在に慣れてしまっている。
「コン、コン」
ノックの音がした。
蓮が顔を上げる。
律が扉の外に立っていた。中には入ってこない。
「見つかりましたか」
蓮は首を振った。
「いいえ」
予想していた答えだったのだろう。それでも、律の目に落胆がはっきり浮かんだ。
「入っても?」
蓮は苦く笑った。
「どうぞ」
律は部屋に入り、扉の近くに立った。
「相談があります」
「何ですか」
「しばらく、ここに泊まらせてもらえませんか」
蓮は驚いた顔をしなかった。ただ静かに彼を見る。
「理由は?」
律は深く息を吸った。
「朔と清司さんは一緒に消えました。戻ってくるなら、おそらく一緒です。もし別々に戻ってきたとしても、どちらかがあなたか僕を探すはずです」
彼は蓮を見た。
「そのとき、少なくとも、もう片方に何が起きたのか知ることができます」
蓮は真剣に考えた。
理屈は通っている。
それに、あやかしの帰りを待つ不安を、律ほど理解している人間はいないだろう。
「わかりました」
蓮は頷く。
「しばらく泊まってください。誰かに聞かれたら、友人だと言います」




