突然の訪問者と、暴かれた偽り
「朔!」
数時間しか離れていないはずなのに、律はずっと待っていたような勢いで立ち上がった。
朔がリビングに現れた瞬間、彼はすぐに近づき、その身体を強く抱きしめる。
「律……」
「どうだった? 探している相手は見つかったのか?」
朔はため息をつき、首を横に振った。
律はすぐに慰めた。
「大丈夫だ。東京にいて、わざわざテレビに出ておまえに見せたなら、向こうもおまえを探しているってことだ。必ず会える」
朔は笑って、顔を律の胸へ埋めた。
本当は、あまり戻りたくなかった。
ここにいたかった。ずっと律のそばにいたかった。隠り世へ戻れないことで何が起きるか、今は考えたくなかった。たとえ最初から火に飛び込む蛾のような感情でも、それでも彼はこの関係を手放したくなかった。
「律」
朔は低く尋ねた。
「もし清司を見つけたあと、僕が彼と一緒にここを離れるかもしれないとしても、それでも行かせてくれる?」
律の身体が固まる。抱きしめる腕が強くなった。
「怖くない」
彼はすぐに答えた。
「おまえは戻ると約束した」
「僕が言ったのは、戻れるなら必ず戻る、だよ」
朔は顔を上げる。
「もし戻れなかったら、本当に二度と帰れない。それでも、僕に彼を探しに行けと言える?」
律は答えなかった。
朔も急かさない。
律のことはよくわかっていた。感情にはいつも真っ直ぐで、頑固だ。訓練や試合では同世代とは思えないほど冷静なのに、朔のことになると、どこか子どものような面を見せる。
「朔……」
律は低く呟いた。
何と答えればいいのか、どう言えば自分の気持ちが伝わるのか、わからなかった。
最後に、最も単純なことだけを掴む。
「知らない」
彼は朔を見つめた。
「おまえは戻るって約束した」
「律」
「もう一度、約束しろ」
律の声は張りつめていた。
「彼を探しに行く。そして必ず戻る。そう約束してくれ」
朔は律を見て、結局は心を折った。
「わかった」
彼は手を伸ばし、律の頬に触れる。
「約束する。彼を探したら、必ず帰ってくる。帰ったら、すぐ君のところへ来る」
律は長く息を吐いた。
ようやく恐怖の底から少しだけ浮かび上がったようだった。
彼はソファへ行き、リモコンを取ってテレビをつける。
画面は、昨日朔が出ていく前に止めた場面のままだった。
清司がある男の隣に立ち、その男と一緒にレンズへ向かって笑っている。
律は画面を指差した。
「この人なら知ってる」
朔も画面を見る。
「佐伯蓮。俳優だ。前にイベントで会った」
朔は画面の蓮を長く見つめた。
ふと、思い出す。
「さっき……会った」
律はすぐ尋ねた。
「どこで?」
「たぶん、彼の家」
「つまり、あの人は清司と知り合いなのか?」
朔は苦笑して頷いた。
蓮を観察したとき、確かに奇妙だと思った。彼には清司の気配があった。最初、朔は清司が人間の身体をまとっているのではないかと疑った。けれどどれほど探っても、蓮からはあやかしの気配が出てこなかった。
そのあと、自分より強い気配が急速に近づいてくるのを感じた。危険を避けるため、すぐその場を離れた。
今思えば、その気配が清司だったのだ。
「家の場所は覚えているか?」
「正確な場所はわからない」
朔は目を閉じた。
「でも、清司がそこにいるなら、方向は感じ取れる」
律の胸に、わずかな酸っぱさが広がった。
互いに感じ取れるのか。
彼はすぐにその感情を押し込めた。
「今から行こう」
「今?」
「感じ取れるうちに解決したほうがいい」
律は先延ばしにしたくなかった。
朔が別の誰かのために思い悩む姿を、毎日見たくはない。いつ突然いなくなるのかと不安になり続けるのも、もう十分だった。
「……わかった」
決まると、律はすぐ車庫へ向かった。
彼の家は東京郊外の静かな別荘地にある。周囲は年配の住人も多く、都心まで出るには一時間近くかかった。
市街地に近づくほど車は増え、律の眉間の皺も深くなる。
彼は、この騒がしさがあまり好きではなかった。
「あっち」
朔が左の通りを指した。
律はウインカーを出し、その道へ車を進める。
車の数は少しずつ減った。
やがて、ふたりは警備の厳しい高級マンションの前で車を止めた。
朔の顔に微かな高揚が浮かぶ。律は、それだけで場所が合っているのだとわかった。
けれど、すぐに上がることはしなかった。
まず近くのギフトショップで、きれいに包装された贈り物をいくつも買う。
朔はそれを見て言った。
「どうしてこんなに買うの?」
「見えない妖怪を探しに来ました、とは言えないだろ」
律は箱を整えながら答えた。
「ファンか、事務所経由の祝い品を預かったことにする。少なくとも本人と話せる。あとは、おまえが清司がいるか確認すればいい」
本当は、朔だけを先に中へ入らせることもできた。
けれど律は不安だった。
蓮が清司と知り合いなら、彼もあやかしを見ることができる人間だ。万が一、朔を連れて行こうとしているのが清司ではなく、別の危険なものだったら、無防備に近づくことは自殺行為になる。
マンションの管理人が来訪者を確認し、内線で蓮の部屋へ連絡した。
しばらくして、インターホンが鳴る。
部屋の中で、蓮と清司は同時に顔を上げた。
この時間に誰が来たのか。
伊織か。
それとも会社でまた何かあったのか。
蓮は清司を見る。
清司は何も言わなかった。
ただ、以前高村が蓮にしたことを思い出したらしく、瞳の奥にわずかな嫌悪がよぎった。
ドアを開ける。
律が立っていた。手には礼品の袋を下げ、表情は礼儀正しい。本当に何かを届けに来ただけのように見えた。
「佐伯さん、こんにちは」
彼は言った。
「授賞式で受賞されたと聞きまして。数名のファンの方から、お祝いの品を預かってきました」
蓮は目の前の男を見た。
早乙女律。
知っている。
テレビ番組でも見たし、体育大学のイベントでも会っている。けれど、国家級の選手がこんな形で自宅まで来るとは思わなかった。
「それなら――」
礼を言おうとした蓮の声が止まった。
律の視線は、蓮の顔にはなかった。
蓮の右側の空間を越えて、その先を見ていた。
そこには、清司が宙に浮かんでいた。




