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この妖狐、距離が近すぎる――契約俳優は逃げられない  作者: 熾星


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32/50

突然の訪問者と、暴かれた偽り


「朔!」


 数時間しか離れていないはずなのに、律はずっと待っていたような勢いで立ち上がった。


 朔がリビングに現れた瞬間、彼はすぐに近づき、その身体を強く抱きしめる。


「律……」


「どうだった? 探している相手は見つかったのか?」


 朔はため息をつき、首を横に振った。


 律はすぐに慰めた。


「大丈夫だ。東京にいて、わざわざテレビに出ておまえに見せたなら、向こうもおまえを探しているってことだ。必ず会える」


 朔は笑って、顔を律の胸へ埋めた。


 本当は、あまり戻りたくなかった。


 ここにいたかった。ずっと律のそばにいたかった。隠り世へ戻れないことで何が起きるか、今は考えたくなかった。たとえ最初から火に飛び込む蛾のような感情でも、それでも彼はこの関係を手放したくなかった。


「律」


 朔は低く尋ねた。


「もし清司を見つけたあと、僕が彼と一緒にここを離れるかもしれないとしても、それでも行かせてくれる?」


 律の身体が固まる。抱きしめる腕が強くなった。


「怖くない」


 彼はすぐに答えた。


「おまえは戻ると約束した」


「僕が言ったのは、戻れるなら必ず戻る、だよ」


 朔は顔を上げる。


「もし戻れなかったら、本当に二度と帰れない。それでも、僕に彼を探しに行けと言える?」


 律は答えなかった。


 朔も急かさない。


 律のことはよくわかっていた。感情にはいつも真っ直ぐで、頑固だ。訓練や試合では同世代とは思えないほど冷静なのに、朔のことになると、どこか子どものような面を見せる。


「朔……」


 律は低く呟いた。


 何と答えればいいのか、どう言えば自分の気持ちが伝わるのか、わからなかった。


 最後に、最も単純なことだけを掴む。


「知らない」


 彼は朔を見つめた。


「おまえは戻るって約束した」


「律」


「もう一度、約束しろ」


 律の声は張りつめていた。


「彼を探しに行く。そして必ず戻る。そう約束してくれ」


 朔は律を見て、結局は心を折った。


「わかった」


 彼は手を伸ばし、律の頬に触れる。


「約束する。彼を探したら、必ず帰ってくる。帰ったら、すぐ君のところへ来る」


 律は長く息を吐いた。


 ようやく恐怖の底から少しだけ浮かび上がったようだった。


 彼はソファへ行き、リモコンを取ってテレビをつける。


 画面は、昨日朔が出ていく前に止めた場面のままだった。


 清司がある男の隣に立ち、その男と一緒にレンズへ向かって笑っている。


 律は画面を指差した。


「この人なら知ってる」


 朔も画面を見る。


「佐伯蓮。俳優だ。前にイベントで会った」


 朔は画面の蓮を長く見つめた。


 ふと、思い出す。


「さっき……会った」


 律はすぐ尋ねた。


「どこで?」


「たぶん、彼の家」


「つまり、あの人は清司と知り合いなのか?」


 朔は苦笑して頷いた。


 蓮を観察したとき、確かに奇妙だと思った。彼には清司の気配があった。最初、朔は清司が人間の身体をまとっているのではないかと疑った。けれどどれほど探っても、蓮からはあやかしの気配が出てこなかった。


 そのあと、自分より強い気配が急速に近づいてくるのを感じた。危険を避けるため、すぐその場を離れた。


 今思えば、その気配が清司だったのだ。


「家の場所は覚えているか?」


「正確な場所はわからない」


 朔は目を閉じた。


「でも、清司がそこにいるなら、方向は感じ取れる」


 律の胸に、わずかな酸っぱさが広がった。


 互いに感じ取れるのか。


 彼はすぐにその感情を押し込めた。


「今から行こう」


「今?」


「感じ取れるうちに解決したほうがいい」


 律は先延ばしにしたくなかった。


 朔が別の誰かのために思い悩む姿を、毎日見たくはない。いつ突然いなくなるのかと不安になり続けるのも、もう十分だった。


「……わかった」


 決まると、律はすぐ車庫へ向かった。


 彼の家は東京郊外の静かな別荘地にある。周囲は年配の住人も多く、都心まで出るには一時間近くかかった。


 市街地に近づくほど車は増え、律の眉間の皺も深くなる。


 彼は、この騒がしさがあまり好きではなかった。


「あっち」


 朔が左の通りを指した。


 律はウインカーを出し、その道へ車を進める。


 車の数は少しずつ減った。


 やがて、ふたりは警備の厳しい高級マンションの前で車を止めた。


 朔の顔に微かな高揚が浮かぶ。律は、それだけで場所が合っているのだとわかった。


 けれど、すぐに上がることはしなかった。


 まず近くのギフトショップで、きれいに包装された贈り物をいくつも買う。


 朔はそれを見て言った。


「どうしてこんなに買うの?」


「見えない妖怪を探しに来ました、とは言えないだろ」


 律は箱を整えながら答えた。


「ファンか、事務所経由の祝い品を預かったことにする。少なくとも本人と話せる。あとは、おまえが清司がいるか確認すればいい」


 本当は、朔だけを先に中へ入らせることもできた。


 けれど律は不安だった。


 蓮が清司と知り合いなら、彼もあやかしを見ることができる人間だ。万が一、朔を連れて行こうとしているのが清司ではなく、別の危険なものだったら、無防備に近づくことは自殺行為になる。


 マンションの管理人が来訪者を確認し、内線で蓮の部屋へ連絡した。


 しばらくして、インターホンが鳴る。


 部屋の中で、蓮と清司は同時に顔を上げた。


 この時間に誰が来たのか。


 伊織か。


 それとも会社でまた何かあったのか。


 蓮は清司を見る。


 清司は何も言わなかった。


 ただ、以前高村が蓮にしたことを思い出したらしく、瞳の奥にわずかな嫌悪がよぎった。


 ドアを開ける。


 律が立っていた。手には礼品の袋を下げ、表情は礼儀正しい。本当に何かを届けに来ただけのように見えた。


「佐伯さん、こんにちは」


 彼は言った。


「授賞式で受賞されたと聞きまして。数名のファンの方から、お祝いの品を預かってきました」


 蓮は目の前の男を見た。


 早乙女律。


 知っている。


 テレビ番組でも見たし、体育大学のイベントでも会っている。けれど、国家級の選手がこんな形で自宅まで来るとは思わなかった。


「それなら――」


 礼を言おうとした蓮の声が止まった。


 律の視線は、蓮の顔にはなかった。


 蓮の右側の空間を越えて、その先を見ていた。


 そこには、清司が宙に浮かんでいた。


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