キス
一週間は、あっという間に過ぎた。
蓮にとって、その一週間は久しぶりに穏やかな時間だった。
インタビュー番組が放送されたあと、負の声は明らかに減った。少なくともXのトレンドやYahoo!ニュースのトップに、「佐伯蓮、後輩の仕事を奪った」「佐伯蓮、危険シーンは大量に替え玉」「佐伯蓮、語れない黒歴史疑惑」といった見出しばかりが並ぶことはなくなった。
一週間後には、ニューカマー賞の授賞式が東京の大劇場で行われる。
その話題は、以前の黒い噂をかなり覆い隠した。
蓮は相変わらず、ネットで自分から弁解することは一言もなかった。
事務所は代わりに、新しい公式アカウントを使って、撮影現場のメイキングを少しずつ出し始めた。そこに露骨な被害者アピールはなかった。ただ蓮が台本を読み込み、何度も立ち位置を確認し、監督に細かく役を確認する映像だけが流れた。そのほうが、声明よりもずっと効果的だった。
路人は再び、彼の演技と姿勢を話題にし始めた。
インタビューでの落ち着いた態度もあり、蓮への印象は少しずつ回復していく。
授賞式の候補者が公開された日、事務所は公式アカウントで短い配信をするよう蓮に勧めた。
配信の中で、蓮は黒い噂を説明せず、不満も語らなかった。ただ作品を支持してくれたことへ感謝し、これからもよりよい役で返したいと話した。
人気は一晩で再び跳ね上がった。
事務所の知名度も、少しだけ上がった。
もちろん、最大の恩恵を受けたのは蓮だった。
会社の勧めで、彼は元の小さなマンションを離れ、セキュリティのしっかりした高級マンションへ移った。三LDKで、下には管理人がいる。入口はカードキーが必要で、地下駐車場には専用動線もあった。
急に広い部屋へ移ったせいで、蓮は最初、ひどく落ち着かなかった。
伊織はリビングのソファに座り、新しい部屋を見渡して感嘆した。
「蓮さん、最近本当に流れが変わりましたね」
「会社の話だと、契約を待っているブランドがいくつもあるし、ドラマや映画のオファーも何本か来ているそうです」
蓮はテーブルの前で台本を読んでいた。鼻梁には金縁の眼鏡が乗っている。
「うん」
伊織がそれらをきちんと処理してくれると、蓮は信じていた。
自分にとって大切なのは、受けた役を真剣に演じることだった。作品が当たるかどうかは別として、役を受けたなら本気で向き合う。広告や商業仕事については、事務所が選んでくれればいい。
伊織は完全に台本の中へ入っている蓮を見て、無奈な声で呼んだ。
「蓮さん?」
蓮は数秒遅れて顔を上げる。
「何?」
「さっきも言いましたけど、広告の話もたくさん来ています。ドラマや映画の脚本もいくつか見てほしいって」
「うん」
蓮は頷き、注意がまた台本へ戻りかけた。
「脚本はそのまま持ってきて。自分で読む」
少し間を置き、伊織を見る。
「広告は、君と会社で先に選んで」
伊織はあきれ半分に蓮を見た。
今売れ始めた新人たちと比べると、蓮は本当に珍しい存在だった。普通なら、急に有名になれば広告、写真集、雑誌、露出と、今すぐ取れるものを取りに行く。だが蓮だけは、外の熱など自分に関係ないかのように、ひたすら台本を読んでいる。
伊織はふと思いついたように言った。
「蓮さん、将来的に自分でドラマや映画を作ることは考えたことがありますか?」
蓮はゆっくり顔を上げた。
今度は、目に明らかな興味があった。
伊織は見逃さない。
「興味あります?」
蓮は隠さなかった。
「少しだけ」
それから考える。
「でも、今すぐどうこうではないね。監督を体系的に学んだわけでもないし、制作もわかっていない。まずは目の前のことをやる。先のことは、そのあとで考える」
伊織は頷いた。
「じゃあ、俺は先に会社へ戻ります。午後、授賞式へ向かう時間に迎えに来ます」
「わかった」
「見送りはいりません」
伊織が出ていくと、蓮はソファのほうを見た。
清司がいつの間にかそこにいた。
二人の視線が合い、空気がふと静まる。
「彼とは、ずいぶん話が弾むんだな」
清司の声は、何とも言えない響きをしていた。
「伊織とは仕事の話をしていただけだ」
清司はそれ以上聞かなかった。代わりに言う。
「さっきの話、おまえは興味があるのか」
「どれ?」
蓮は少し考えた。
「自分で脚本を書く話?」
「ああ」
清司は頷いた。
「自分で役者を選べるし、より多くの人間と接触できる。俺が朔を見つけられないなら、その機会を使えるかもしれない」
蓮は「朔」という言葉を聞き、眉をわずかに寄せた。
この妖狐は、三言目には宵宮朔だ。
それは当然のことだ。
それでも、蓮の胸には不快感が残った。
「考えておく」
彼は台本を閉じた。
「今は興味がない」
そう言って、台本を脇へ置き、立ち上がって自室へ戻った。
清司は蓮の背中が角を曲がって消えるのを見つめ、目に疑問を浮かべた。
また何か気に障ったのか。
今の自分は、そんなにおかしなことを言っただろうか。
部屋へ戻った蓮は少し休もうとしたが、どうしても眠れなかった。ベッドの上で何度か寝返りを打ち、スマホを手に取っては置き、結局風呂に入って服を着替え、伊織の迎えを待った。
午後、スマホが鳴る。
「うん、わかった。今出る」
蓮は黒い正装に着替え、部屋から出た。
清司はリビングに座っていたが、何気なく顔を上げる。その一目で、彼は動きを止めた。
衣装映え、という言葉は、まるで蓮のためにあるようだった。
普段家にいる時の蓮は、ゆるいシャツとパンツを着て、表情も淡い。だが今は、黒い正装が体にきれいに沿い、肩の線は鋭く、腰はちょうどよく絞られている。前髪は後ろへ流され、冷たい眉目が露わになっていた。普段は彼が意識して抑えている気配が、この瞬間はすべて解き放たれているようだった。
清司の胸に、突然、陌生で強烈な考えが浮かんだ。
征服したい。
彼はすぐに我に返った。
その感覚は唐突すぎて、自分でも荒唐無稽に感じた。
ごまかすように、清司は何でもないふうに言った。
「行くのか」
「うん」
蓮は玄関の鏡の前に立ち、自分の服装を上から下まで確認した。
清司はその背中を見ていた。
ほんの一瞬、昨日の不機嫌や奇妙な沈黙は、すべてこの光景の中で薄れていく。
蓮が玄関へ向かう。
清司は、ほとんど無意識にその後を追った。
「ついてくるつもり?」
蓮が振り返る。
「今日の仕事は朔探しには関係ない。授賞式だ」
清司は彼を見る。
答えない。
その沈黙が、なぜか蓮をさらに苛立たせた。
「好きにすれば」
蓮は靴を履こうと身をかがめた。
その瞬間、清司がふいに近づいた。
蓮が反応するより早く、冷たい指が彼の顎に触れる。
次の瞬間、清司は低く身をかがめ、蓮の唇へ軽く口づけた。
それは、雪のひとかけらが落ちたように軽いキスだった。




