表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この妖狐、距離が近すぎる――契約俳優は逃げられない  作者: 熾星


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/64

首筋に触れた殺意

「今日は本当にありがとう、蓮」


 悠真は整理した本とサインペンを抱え、書店の入口に立っていた。声にはまだ興奮が残っている。


「こちらこそ」


 蓮は一午後立ちっぱなしだったため、肩も首も腰も重かった。本音を言えば、すぐにタクシーを呼んで帰りたかった。


 悠真は手をこすり合わせた。


「よかったら、夕飯をごちそうさせて。近くに新しくできた店があって、味もいいんだ」


 蓮が断ろうとした瞬間、清司の声が耳元で響いた。


「こんな時間になっても帰らないとは、昼間の俺の話をまったく聞いていないようだな」


 蓮は突然現れた清司を見る。


「急用があったんだ」


 心の中で返す。


 清司の顔色はよくなかった。


「どこへ行くつもりだ」


「見ればわかるだろう。食事だ」


 本当は、蓮は家へ帰るつもりだった。


 けれど清司の不機嫌そうな顔を見た瞬間、胸の奥に小さな反発が生まれた。ここ数日、命令され続けたからかもしれない。あるいは、「最後まで見つからなければ、おまえにとってもいい結末にはならない」という言葉がまだ胸に残っていたからかもしれない。とにかく、蓮は急に清司の言う通りにしたくなくなった。


「その男と食事に行くのか」


 清司の目が冷える。


「見ればわかるだろう。あいつは――」


「いいよ」


 蓮は清司の言葉を遮り、悠真を見た。


「その店に行こう」


 悠真の目が輝いた。


「うん。すぐ近くだよ。行こう」


 清司はその場に立ち、蓮が自分に背を向けるのを見た。顔色は完全に沈んだ。


 次の瞬間、彼は蓮の隣に現れ、手首を掴んで反対方向へ引いた。


「何をするんだ」


 蓮は思わず怒鳴りかけた。


 口に出した瞬間、ここが街中だということを思い出す。


 周囲の人がすでにこちらを見ていた。


 普通の人間には、蓮が空気に向かって怒っているようにしか見えない。


「蓮?」


 悠真が不思議そうに見ている。


 清司は蓮の手首を握ったまま、低く言った。


「帰るぞ」


 蓮は怒りを抑え込む。


「何をしている」


「帰ると言っている」


 清司の目は、命令に近いほど冷たかった。


「佐伯蓮、勘違いするな。俺は頼んでいるわけじゃない。告げているだけだ」


「蓮?」


 周囲の視線が増えていく。


 この世界には、野次馬が尽きない。まして蓮は今、世論の風口に立っている。どれほど顔を隠していても、誰かに気づかれる可能性はゼロではない。


 蓮は深く息を吸い、悠真へ向き直った。


 どうにか笑みを作る。


「ごめん。急に用事を思い出した。今日はやめておく」


 悠真は固まった。


 蓮が何かを堪えていることはわかる。だが、何が起きているのかはわからない。


「大丈夫?」


「大丈夫」


 蓮はできるだけ声を平らにした。


「今日は一緒に食べられない。今度、僕が誘う」


「送ろうか?」


 答えが否であることはわかっていても、悠真はそう聞いた。


「いい」


 蓮は頷いた。


「また」


 清司はすでに蓮を人混みの中から引き出していた。


 マンションへ戻ると、蓮はようやく清司の手を振り払った。


「何がそんなに言えないことなんだ? どうして無理やり連れ戻す必要がある?」


 清司は蓮を見つめ、唇を固く結んでいる。


「おまえは毎日、何をしている」


「今でもあの作家とデート気分で夕飯を食べに行く余裕があるのか」


 蓮は一気に怒った。


「何を言っている」


「いつ僕が悠真とデートした?」


 彼は清司を睨みつけ、声を抑えきれなかった。


「それに、君に何の関係がある?」


 その言葉は、何かを直接切り裂いた。


 清司は手を伸ばし、蓮の首元を掴んだ。


 指は冷たく、力も強い。金色の瞳には怒りが押し込められ、ようやく牙をむいた獣のようだった。


「俺に何の関係がある?」


 彼は歯の間から絞り出すように言った。


「佐伯蓮、よく理解しろ。今は俺が頼んでいるのではない。俺がその気になれば、今ここでおまえを殺せる」


 蓮は彼を見た。


 この数日、抑え込んでいた不安、疲労、委屈、怒りが一気に押し寄せる。


 清司が彼の生活に現れてから、すべてが軌道を外れた。


 いつどんな怪異に狙われるのかわからない。いつ夢の中へ引きずり込まれるのかわからない。この契約がいつ終わるのかも、自分が清司にとって何なのかもわからない。


「君は僕を殺すために僕を探したのか」


 蓮の声は冷たかった。


「いいよ」


 顎を上げ、清司をまっすぐ見る。


「殺せばいい」


 どちらも先に頭を下げる性格ではない。


 空気は、今にも切れそうな糸のように張り詰めていた。


 清司の指は一瞬だけ締まり、それから突然緩んだ。


 彼は背を向け、冷たく言う。


「おまえの周りにいる連中は、役に立たない者ばかりだ」


 蓮は首を押さえ、軽く咳をした。


 清司は続ける。


「無駄な数字を追い回しているだけで、最後には何も出てこない。おまえを狙っている奴は、過去に何の関係もない見知らぬ人間なんかじゃない」


 蓮の動きが止まった。


 もう清司と意地の張り合いをしている場合ではない。


「どういう意味? 君は誰かわかっているの?」


 清司の顔には、わずかな侮りが浮かんだ。


「おまえが助けた男だ」


 蓮はほとんど反射的に名前を出した。


「朝比奈旭?」


 その名前が出た瞬間、自分でも馬鹿げていると思った。


 だが、以前の現場での落水、打ち上げでの酒、そして最近の旭の不自然な態度を思い返すと、蓮の表情は少しずつ沈んでいく。


「思い出したか」


 清司は冷笑した。


「助けたからといって、相手が感謝するとは限らない」


 蓮は冷静さを取り戻した。


「どうしてわかった?」


 清司は答えない。


「どうやって知ったかなど、話す必要はない」


 彼はわずかに顎を上げた。


「感謝してもいい。少しだけ懲らしめておいた」


 蓮の顔色が変わった。


「懲らしめた?」


「何だ」


 蓮は眉をきつく寄せた。


 朝比奈旭は無名の新人ではない。今も広告、ドラマ、賞、ブランド仕事を抱えている。たとえ彼が本当に黒幕だとしても、清司が軽率に手を出せば、事態はもっと複雑になる。


「何をした?」


 清司の声はさらに冷える。


「あいつはおまえの秘密の恋人でもあるまい。なぜそんなに気にする?」


 蓮は怒りで笑いそうになった。


「正気か?」


「彼が今どれだけ仕事を抱えているか、君は知っているのか。もし彼に何かあれば、真っ先に僕が疑われる」


「黒い噂を流したのが本当に彼なら、怪我をしたあと僕の立場は余計に悪くなる」


 清司も怒りを露わにした。


「俺はおまえを助けている」


「その俺に大声を上げるのか」


「佐伯蓮、おまえは自分を高く見積もりすぎだ」


 蓮は怒りを抑えた。


「君がわからないことには、手を出さないでくれ。この件は、いずれ落ち着く」


「おまえの周囲の者たちの速度でか?」


 清司は嘲るように見た。


「今すぐ電話して聞いてみればいい。どこまで調べられたのか。あいつらは、誰が動いているかすらわかっていない」


 言葉はひどい。


 だが、事実でもあった。


 蓮はすでに何日も家にいる。


 インタビューの手配以外、事務所から大きな進展はない。このままでは、本当に仕事を止められ、市場から忘れられるかもしれない。


 芸能界は、入るのも去るのもあまりに簡単だ。


 けれど、そんなふうに去るつもりはない。


 意味もなく汚名を着せられたまま黙るのは、佐伯蓮のやり方ではなかった。


 彼はゆっくり息を吐いた。


「この件は、僕が何とかする」


 清司を見る。


「でも約束して。次から勝手に手を出さないで」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ