様子がおかしい清司
伊織は口を開きかけ、まだ何か言いたそうにしていた。
このところの出来事は、あまりにも突然だった。黒い噂、仕事の一時停止、そしてインタビューの手配。あの噂のほとんどが嘘だと彼らは知っている。だが、外の人間が説明を聞く気になるとは限らない。
「蓮さん……」
蓮は額に置いていた手を下ろした。
「どうした?」
「いや、何でもない」
伊織は立ち上がった。
「ちゃんと休んで。インタビューの時間が決まったら、先に連絡する」
「うん」
蓮は彼を玄関まで送った。
ドアを開けると、外には一人の男が立っていた。
男はカジュアルな上着を着て、黒縁眼鏡をかけている。くしゃくしゃの巻き毛はベレー帽の下に押し込まれ、首からカメラを下げていた。いつでも道端にしゃがみ込んでゴシップ写真を撮れそうな、いかにも週刊誌側の人間に見える。
彼は伊織だけが出てきたのを見ると、蓮の部屋の中を覗き込もうとした。
「佐伯さんは一緒に出てこないんですか?」
伊織は視線を遮るように立った。
「蓮は今、状態がよくないんです。そちらの編集部が、インタビュー前の小ネタで視聴率を上げたいのはわかりますけど、今はこれ以上刺激しないでください」
男は少し残念そうだった。
「編集部の指示なんです。気が変わったら、いつでも連絡してください」
「わかっています」
伊織は簡単に挨拶をして、階下へ降りていった。
数日が過ぎても、蓮はほとんど家から出なかった。
その日々は、意外なほど静かだった。
取材もない。カメラもない。ファンに囲まれることも、記者に追いかけられることもない。蓮は小さな部屋の中で台本を読み、台詞を覚え、役のメモを整理した。久しぶりに、少しだけ楽になった気さえした。
だが清司は、そうは思っていなかったらしい。
「何日経ったと思っている」
清司は机のそばに立ち、眉を寄せていた。声には苛立ちが隠れていない。
「いつまでこうして隠れるつもりだ?」
蓮はゆるい部屋着を着て、ベッドにもたれながら台本を読んでいた。顔も上げない。
「言っただろう。今、露出してもいいことはない。収まる前に出歩けば、状況がさらに悪くなるだけだ」
清司はその姿を見て、ますます眉をひそめた。
「家にこもっていて、退屈じゃないのか」
「退屈なら、君がひとりで出ればいい」
「朔を探しに行く」
「僕は止めてない」
清司は蓮を見た。
蓮はようやく台本を下ろした。
数分後、蓮は黒い私服に着替え、帽子とサングラスとマスクで顔を完全に隠した。頭から足元まで、どこから見ても人目を避けたい人間の装いだった。
鏡の前で何度も確認し、簡単には気づかれないと判断してから、彼は清司を見た。
「行こう」
言ってから、つい文句が漏れた。
「君が外へ探しに行くのに、どうして僕まで連れて行かれるんだ」
清司は鼻で笑った。
「外の空気を吸わせてやっている。いつか家の中で死なれても困る」
蓮は彼を白い目で見た。
この時期に外へ出るのは、確かにいい判断ではない。マンションの周りにどれだけ記者が張っているかわからない。少しでも油断すれば、すぐに撮られるかもしれなかった。
「何を怖がっている」
清司は蓮の考えを見透かしたように言った。
「あいつらが、今この瞬間に飛び出してきて生中継でもすると思うのか?」
蓮は彼をしばらく見た。
「……そこまではしないだろうね」
「なら、何を怖がる」
蓮は言い争うのも面倒になり、マンション脇の小道を抜けた。どこへ行くか決めていなかったので、とりあえず都心へ向かう道を選んだ。
道には人が少ない。
蓮はイヤホンをつけ、ゆるやかな音楽を耳へ流した。表情がようやく少し緩む。
清司は隣を歩きながら、その少しほどけた目元を見ていた。何かを言いかけ、唇がわずかに動いたが、結局何も言わなかった。
十数分後、二人は池袋の大型書店に入った。
下階は普通の売り場で、上階では出版社合同のブックフェアが行われている。平日なので人は多すぎないが、放課後の学生やイベント目当ての読者はそれなりにいた。
「人が多いな」
清司は周囲を見渡し、不満そうに言った。
「朔がこんな場所にいるとは思えない」
「本気で、僕に君と一緒に街中を歩き回らせるつもりだったのか」
蓮は声を低くした。
清司は目を細める。
「契約を結ぶ時に言ったはずだ。俺は朔を探すために来た。最後まで見つからなければ、おまえにとってもいい結末にはならない」
蓮は黙った。
これ以上言い争いたくなかった。
彼は書棚の間へ入っていき、指先で新刊の背をゆっくりなぞった。ふと、一冊の地味な装丁の小説に目が止まる。
『沈溺』。
著者名は、森崎悠真。
蓮はわずかに眉を上げ、その本を棚から抜き取った。
人の少ない場所を見つけて座り、一ページ目を開く。
奇妙なことに、最初のページの中央には、タイトルでも著者名でもなく、短い導入文が置かれていた。
「多くの場合、私たちの望みと行動は一致しない。何かを手に入れたいなら、それと等しいもの、あるいは何倍ものものを差し出さなければならない」
その後に、ようやく『沈溺』という題名と、森崎悠真の名前が載っている。
蓮は出版日を確認した。
最近出た新刊だった。
それなのに、なぜ宣伝を見た覚えがないのか。
「また何をぼんやりしている」
清司の声が、思考を遮った。
「用がないなら、さっさと帰れ」
蓮は顔を上げ、長く息を吐いた。
「僕を外へ出したのは君で、今帰れと言うのも君か。今日はどうしたんだ?」
清司はいつものように皮肉を返さなかった。
珍しく真剣な表情で、低く言う。
「朔が近くにいる気がする」
蓮の胸が震えた。
清司は続けた。
「俺は探しに行く。だがその前に、おまえは今すぐ帰れ」




