色を失う選択
蓮は夜刀姫について温泉へ向かった。温泉の岩壁には、巨大な肉霊芝が生えていた。数百年分の日月の精気を吸い込んだように、濃い色と強い霊気を帯びている。
夜刀姫は蓮を見た。
「これが、あなたの求めるものよ」
蓮の目に光が宿った。
「ありがとうございます」
夜刀姫は首を振った。ここへ連れてきたのは彼女だが、代価は蓮自身が払わなければならない。これは彼が自分で求めたことだからだ。
肉霊芝の上には、一人の子供が座っていた。全身はつるんとしており、赤い腹掛けだけを身につけ、目も赤い。その子は蓮と夜刀姫を見比べ、舌足らずな声で尋ねた。
「何しに来たの?」
蓮は笑った。
「肉霊芝を採りに来ました」
「君は肉霊芝を守っている仙童ですか」
子供は肉霊芝を採ると聞くと、すぐに霊芝の上から飛び降りた。温泉の中に咲いた蓮の花が、彼をしっかり受け止める。
彼は腰に手を当て、真面目な顔で蓮を見た。
夜刀姫が淡く言う。
「海童」
「彼は肉霊芝を採りに来たの」
「あなたも千年守ったのだから、そろそろ渡していい頃でしょう」
海童は小さな顔をしかめた。
「夜刀姫、そんな簡単に言わないでよ」
「渡したくないわけじゃないけど、千年も守ってきたんだ。タダでは渡せない」
蓮は彼を見た。
「何が欲しいんですか」
海童は目を細め、不思議に不気味な笑みを浮かべた。
「僕はこの世界の色を見たことがない」
「君の両目の辨色の力が欲しい」
辨色の力。
つまり、これから自分は色を見られなくなる。失明ではない。輪郭も、光も、人も物も見える。けれど世界から色が失われる。
蓮は唇を噛んだ。
海童は嘲るように笑った。
「惜しいなら、条件を出さなければいい」
「この肉霊芝は日月の精華を吸って、僕が毎日大事に世話してきたものだ」
「君の辨色の力と引き換えにするだけで、命を取るわけじゃない」
「それすら惜しいなら、どうして渡す必要があるの?」
蓮は顔を上げた。
そして笑った。
「渡します」
海童の目が輝いた。ぷっくりした小さな手が蓮の目へ伸びる。
蓮の眼底に激しい痛みが走った。鮮やかな何かが視界から無理やり剥がされていくような痛みだった。
痛みが過ぎると、世界は静かになった。
もう赤はない。
緑もない。
夜刀姫の衣にあった妖しい色もない。
残ったのは黒と白と灰だけだった。
海童は興奮してくるりと回った。
「やっと色が見える!」
彼は夜刀姫を見て、目をきらきらさせた。
「夜刀姫って、思ったよりすごい身体してるんだね」
夜刀姫は笑っただけで咎めなかった。彼女は蓮を支えるように抱いた。
「肉霊芝は私のものになった」
「海童、あなたももう行きなさい」
夜刀姫が手を上げると、肉霊芝は彼女の掌へ飛んできた。
海童は頭をかいた。これからどこへ行けばいいのだろう。彼が一番理解できないのは夜刀姫だった。この肉霊芝は、もともと彼女のものなのに。彼女はわざわざ自分に長く守らせていた。
「夜刀姫」
「本当は彼に肉霊芝をあげたかったんでしょう」
「どうして直接渡さなかったの?」
夜刀姫は腕の中の蓮を見た。
「冥府のものは、ただでは与えられない」
「代価は、彼自身が負わなければならないから」
蓮はゆっくり目を開けた。目の前の世界は白黒になっている。けれど後悔はなかった。
清司がもうすぐ戻ってくる。
それだけで十分だった。
遠くから黄泉兵の声が聞こえた。
「人間の気配だ!」
「探せ!」
蓮の胸が強張った。夜刀姫はただ一瞥しただけだった。
その瞬間、温泉周辺の空気が凍りついたように固まった。彼女が手を上げる。数名の黄泉兵は近づくことさえできず、黒霧の中で消えた。
蓮は呆然と彼女を見た。ようやく悟る。夜刀姫は決して普通の冥府の妖ではない。想像していたより、はるかに強い。
「行きましょう」
夜刀姫は肉霊芝を蓮に渡した。
「あなたの狐が待っているわ」




