おねえさん、曇らせを食らう
照りつける強烈な太陽が、白い砂浜を焦がすように熱している。
海風が運んでくる潮の香りと、日焼け止めのココナッツのような甘い匂い。そこに、ジュージューと音を立てて焦げる脂と炭火の香ばしい匂いが混ざり合って、夏のビーチ特有のやかましい空気を形成していた。
「鈴木ー! こっちのテーブル、お肉おかわり!」
「はいはい、ちょっと待て」
俺はタープテントの下で、大型のバーベキューグリルと格闘していた。
本田からの召集でやってきた、海辺のバーベキュー施設。参加者は生協のバイトで帰省せず残ってるメンバー、を中心としてそれぞれが適当に声をかけた人たちだ。半分くらいは名前も知らない。そして俺はあまり初対面で社交的にやれる方じゃない。だから、この状況はわりと望ましいと言える。俺は上手くこの場に馴染めない人ではなく、肉を焼く人なのである。
ちなみに、他の皆さんはさきほどまで海に入って遊んでいた。俺は一瞬だけ膝くらいまで入った後は、バーベキューの準備をしていた。あのノリについていけなかったわけではない。気が利く男だからだ。
それにしても、暑い。
俺は首に巻いたタオルで汗を拭いながら、水着の上に羽織った薄手のラッシュガードのジッパーを少しだけ下げた。
実は、俺の地元である沖縄では、ビーチパーティーと称して海辺で肉を焼くことは珍しくないのだが、海に入る時はTシャツに短パンのままというのが普通だ。
だから、こうして周りの人間が当たり前のように肌を露出して水着姿で歩き回っている光景には、いまだにどうにも慣れないでいる。目のやり場に困るというか、なんだか落ち着かないのだ。
そんな中、向こう側のタープテントの下でひと際目を引く存在がいた。
「山葉先輩、それ何飲んでるんですか?」
「ん? これ? ウォッカ系のチューハイ」
白いフリルがあしらわれた、清楚でありながら彼女のスタイルの良さをえぐいまでに引き立てる水着姿。俺が先日、彼女の部屋で真顔でリクエストしてしまった『白』だが、多分答えてくれたわけじゃなくて、たまたま持ってたのがアレだっただけだと思う。
長い髪はうなじを見せるように緩くまとめられ、日差しを浴びた肌は発光しているように白い。ただ、いつもと少しだけ違うのは、耳元で小ぶりなシルバーのフープピアスが太陽の光を反射してきらりと光っていることだ。いつものゴツいインダストリアルピアスではないが、生協での『完全無欠の女神』の時には絶対につけていないアイテムだった。
「えー、山葉先輩ってそういうお酒飲むんですね! なんかワインとかシャンパンしか飲まないイメージでした!」
本田が驚いたような声を上げると、山葉さんは口元に手を当ててクスリと笑った。
「ふふっ、そんなことないよ。休みの日はね、たまにこういう強めのお酒飲んで、お家でゴロゴロしてる時もあるんだよ」
「マジですか! なんか意外! でもちょっと親近感湧きます!」
「そう? あと、実はハードロックとかも結構好きだったりして」
さらりとした、だけど確かな自己開示。
周囲の女子たちは一瞬目を丸くしたが、すぐに「えー、ギャップ萌え!」「おすすめのバンド教えてくださいよー」と好意的な反応を返していた。
その光景をグリルの越しに眺めながら、俺はトングで炭を崩し、小さく息を吐き出した。
良かった。彼女が少しだけみせている、非女神の山葉さんは、ちゃんとこの場の人たちに受け入れられている。あの密室のソファで「少しだけ素で接してみようかな」と呟いていた彼女の小さな挑戦がうまくいっているとわかり、ふう、と息を漏らす。
自然と口角が上がるのを感じながら、俺は次の肉の塊を網に乗せた。
グリルの炭をよせて、高火力ゾーンと低火力ゾーンを作る。そこで、じっくりと煙の香りをつけつつ焼いていく。表面にたっぷりと擦り込んであるのは、例の『バーベキューピットガイズ』のスパイスだ。熱せられた網に触れた瞬間、スパイシーで暴力的な良い匂いが弾け飛び、周囲から「うわ、めっちゃいい匂いする!」と歓声が上がる。
「鈴木、なかなかやるじゃん。たまには役立つね」
紙皿を持ってきた本田が、感心したように言う。しかし口が悪い。
「……そりゃどうも」
「あとさほら、向こうのテーブルでワイン開けようとしてるんだけど、栓抜きなくて困ってるのよ。あんた、そういうの持ってないの?」
本田が顎でしゃくった先では、男女のグループがコルク栓のワインボトルを囲んであーだこーだと言い合っていた。
「……持ってるよ」
俺はエプロンのポケットから、黒いソムリエナイフを取り出した。例のごとく、何かカッコいいから買って、何かカッコいいから動画で使い方を学んだやつだ。一応、最近は家で山葉さんとワインを飲むときにも使ってもいる。
テーブルに近づき、「貸して」とボトルを受け取る。
スクリューをコルクの中心に真っ直ぐ突き立てて捻りこむ、それからテコの原理を利用してゆっくりと引き上げる。ポンッ、と小気味良い音を立ててコルクが抜けると、周囲から「おぉー!」「鈴木くん、手際よすぎ!」と拍手が起きた。
「いや、大したことないですよ」
内心ではわりと得意満面な気分だが、それを隠しながらボトルを渡そうとした時、ふわりと甘いココナッツの香りが鼻先を掠めた。
「すごいねぇ。なんかお店の人みたいだった。鈴木くんって、なんか多趣味で素敵だよねー」
声の主は、佐藤さんだった。同じ法文学部のショートボブの女子で、前の飲み会で少し話して以来、何度かキャンパスでも挨拶を交わす仲だ。
水色のビキニの上に白い薄手のパーカーを羽織った彼女が、俺の隣にぴたりと身を寄せてくる。
「あ、いや、たたまたま持ってて……」
少し距離が近くて戸惑っていると、佐藤さんは俺のラッシュガードの隙間から覗く腹部に、ツンと指先を当ててきた。
「ていうか鈴木くん、意外と筋肉あるんだね。普段服着てるとわかんないけど、腹筋割れてるし」
「えっ、あ、これは……昔、剣道やってた名残っていうか……」
「剣道男子なの? かっこいいね!」
突然のボディタッチに、俺の自意識は一気にパニック状態に陥った。動揺して言葉が上手く出てこない。雰囲気はイケメンでも実体はクソ陰キャなのだ、俺は。
「へえー。ねえ、鈴木くんもこっち座って一緒に飲もうよ。私、鈴木くんとお話したいな」
上目遣いで、袖口を軽く引っ張られる。
これはもしかしてアレなのか。前もちょっと思ったけど、この人はまさか俺に対してアレなのか。正気か、俺だぞ。という気持ちが三分の一。ようやってる俺、努力の成果が出ている! と言う気持ちが三分の一。あとの三分の一はシンプルにどう対応していいかわからずパニック。
俺はたじたじになりながら後ずさった。
「あ、ありがと。でも本田が焼きそばも作れって……」」
逃げるようにグリルの前へと戻る。
背中に刺さる佐藤さんの熱を帯びた視線から逃れるように、俺は無心でトングを動かし続けた。
しばらくして、肉だの魚介だの焼きそばだのを焼くペースが落ち着いたタイミングを見計らい、俺はトイレへと向かった。
管理棟の裏手にあるトイレは、ビーチの喧騒から少し離れていて、波の音だけが静かに響いていた。
冷たい水で顔を洗い、火照った体を冷やして深呼吸をする。
「……ふぅ」
ハンカチで顔を拭きながら自販機の横を通り過ぎようとした時、建物の影にポツンと立つ人影に気づいた。
「山葉さん?」
彼女は、自動販売機で買ったばかりらしいミネラルウォーターのペットボトルを手に持っていた。だが、その表情は先ほどまでのパラソルの下の朗らかなものとは違い、どこか冷たく凪いでいる。
「あ、お疲れ様です。少し休んでるんですか?」
声をかけると、山葉さんはゆっくりとこちらに視線を向けた。
「さっきさぁ」
少しだけ低いトーンの声。
「なんか、嬉しそうだったね」
「え?」
俺は一瞬、何のことかわからず目を瞬かせた。
「嬉しそうって……ああ、ワイン開けた時のことですか? まあ、ほら、山葉さんも知ってるでしょ。かなり練習したのやっぱりこう、見せ場的な」
「ちがうし」
山葉さんは、ペットボトルの表面についた水滴を指の腹で無意味にこすりながら、視線を足元のコンクリートへと落とした。
「ケンドー男子なんでしょ」
ここでやっと、山葉さんが言ってることが分かった。たしかに、女の子にデレデレしているようにも見えたかもしれないし、っていうかまあ、実際それは嘘ではないし、それは普段の俺を知る人からするとちょっと見苦しかったかもしれない。
「いや、俺は別に……」
必死に弁解しようとして、ふと、ある考えが頭をよぎった。この不機嫌の理由は、もしかして。
俺は先日、彼女がアパートの階段で見せた悪戯っぽい笑みを思い出し、少しだけ調子に乗って口を開いてしまった。
「もしかして……やきもちですか?」
言った瞬間。
山葉さんの肩がピクリと跳ねた。
「は?」
睨みつけてきたその目は、いつもの余裕のある気怠げなものではなく、どこか焦ったように微かに泳いでいた。ジト、とした目でさらに唇を尖らせ、何やら怖い。ずーん、としている。スンッ、ともしている。なんか可愛くも見えるけどそこが怖い。
「何言ってんの」
「っ……」
冷たい声色に、俺の背筋に変な汗が伝う。
やばいミスった。と思った。
「……す、スミマセン、調子に乗りました」
俺が慌てて頭を下げると、山葉さんは唇をキュッと結び、プイッとそっぽを向いてしまった。
「戻りますんで」
不機嫌そうにそれだけ言い残し、足早にビーチの方へと戻っていく。その歩調は、なんだか逃げるように少しだけ急いでいるように見えた。
一人残された俺は、自販機の横で小さく息を吐き出した。
やらかした。これがあれか。全部夏のせいってやつか。海のせいか。まあ要するにちょっと浮かれてしまっていた。あれは陽キャだけの話じゃなかったのか。……軽い自己嫌悪に陥る。まあ山葉さんのことだから、いつまでも引きずったりはしないとは思うけど、一応夜にでももう一回謝っておこう。
その後、ビーチに戻った俺は、誰の目にもとまらないようひっそりと息を潜めていた。
本田が気を利かせてくれたのか、後半は俺もグリルから解放され、ちょっとだけ話したことのある人をみつけて、控えめに近づき、いくつかどうでもいい会話を交わして時間を潰した。佐藤さんとも少し話した。佐藤さんは高校では吹奏楽部だったそうだ。
やがて日が傾き、海風が少しだけ冷たさを帯びてきた頃、お開きの時間となった。
「鈴木ー、そっちのゴミ袋まとめといてー」
「了解」
砂浜に散らかった紙コップや空き缶を拾い集め、大きなポリ袋に押し込む。片付けも割と嫌いじゃない。
みんなが帰り支度を始め、ターフテントが次々と閉じられていく。俺はゴミを片付けたあとは、一人だけちょっと皆から離れて、焼きそば作成時に使っていた鉄板をホースで洗うことにした。施設からのレンタル品でそのまま返却してもいいらしいけど、一応最低限は綺麗にしておきたい。
じゃばばば、と水圧をかけてペーパータオルで拭いていく。中腰が続いて腰が痛くなったので、ちょっと休憩。背筋を伸ばし、顔にかかった水飛沫を手で拭う。
――そのとき。
ふわりと、ココナッツの日焼け止めとは違う、俺のよく知る微かな香水の匂いがした。これは、コーヒーを思わせる夜のやつじゃない。花束みたいな、昼のやつのほうだ。
振り返るよりも早く、俺の背中に、ぴと、と肌の感触があたる。
少し日に焼けて火照った熱さ。背中でも感じられる滑らかさ。
一瞬だけ混乱したが、すぐにわかる。これは山葉さんだ。彼女が、背中合わせで俺に引っ付いている。水着ってあれ、薄い布なので、こうして密着するとなんというか破壊力がある。
硬直してしまう。みんなからは少し距離があるから見られていないとは思うが、それにしても近すぎる。
「え、なんですか?」
「いいでしょ別に。ちょっとじっとしてて」
むう、とむくれたような声を出す山葉さん。あれか? 昨日言ってた八つ当たりをもう開始するのか? いやでも楽しそうだったけど。とか思う。
「どう……」
したんですか。そう俺が尋ねるより早く、山葉さんは囁いた。
波の音と周囲の喧騒に紛れるような、かすかな声で。
「そうだよ」
「えっ?」
俺が振り向いた時、山葉さんはすでに数歩先を歩いていた。
振り返ることはなく、ただ髪を海風に揺らしながら、足早に本田たちのグループの方へと戻っていく。
そうだよ。
唐突に投げられた短い四文字が、一体何に対する肯定なのか。俺の脳は必死に直近の会話を検索したが、まったく文脈が繋がらない。
「何が……?」
俺の間の抜けた声は、波の音にかき消されて彼女には届かない。
一人残された俺は、あわてて鉄板を片手に彼女を追った。
ぷりぷりと肩を怒らせて前を行く山葉さん。とぼとぼと後を追う俺。
相変わらず、この人の考えていることはよくわからない。だけど、夕日に照らされた彼女の耳の先が少しだけ赤くなっているように見えて、俺は理由もわからないまま、ただじっとその背中を見送ることしかできなかった。




