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西へ西へ

「まさかこんな事態になるとはね」


 ドミニク殿下のお声は特別大きくなかった。

 それでもロウソクの火が揺れ、壁に映る誰かのシルエットが歪む。



 ここはローパンの、ある良心的な市民の家の地下室。


 ハインリヒ派もしばらくは罠を張って待つかもしれない。


 しかしあんまりドミニク殿下のお帰りが遅いと、捕縛隊が出るだろう。

 ベルノへ戻らずとも、カルツァーヌにいるのは危険だ。


 なので閑道を抜けて、グンメノーへ移動していただいた。


 で、合流してからさらに移動して、ローパンにいる次第だ。


「大通り、大都市は監視の目が厳しいでしょう。

 今後も閑道や山道を抜け、田舎や村を繋いでいくことになります。

 どうか我慢してください」


 両殿下はもちろん、私たちより身分が下の使用人まで。

 ほとんど全員王都王城暮らしだ。

 誰となくツバを飲む雰囲気の中、


「ええ? 本気で言ってらっしゃるの?

 そもそもどうしてこんなことをしているの?」


 レディ・ド・ブロイが間抜けな声を出す。


 いや、間抜けと言ってはいかん。

 この人、何があったかまだ知らされていないんだった。

 勢いで連れてきたはいいが、誰も説明していなかった。


「実はですね、レディ」






 無事レディ・ド・ブロイが卒倒したところで。


「それで、このあと私たちはどうするんだ?」


 ドミニク殿下が切り出す。


「とりあえず西を目指そうと思います」

「西か」

「まず第一に、今いる人数以上に、信頼できる味方を増やさなければなりません」

「だったら北方がいいんじゃないの? 最近まで北方方面軍と一緒にやってたでしょ?」

「フリードリヒお兄さまの振る舞い次第では、仇討ちも考えてくださるかも」

「マルグリット姉上もそちらにいらっしゃるそうだ」


 アネッサの意見に両殿下も賛同する。

 それぞれ一理ある。聡い姉弟だ。


 だがそうもいかん。


「私たちはあくまで騎士として、職務として、互いの『義心』で協力していました。


 おそらくハインリヒ殿下は片っ端から人質を取るでしょう。

 ベルノ周辺に留まらず、支配の及ぶかぎり、国中から。


 そのなかには、北方方面軍の庇護が及ばない地域にいる、彼らの家族も含まれる。


 いかに北方方面軍が私に好感情を抱いていてくれたとしても。

 肉親の情に勝ることはないでしょう。


 そのうえで味方に付くことを強要するのは、『人の義』に反する。

 結局私と彼らを繋いでいたものは千切れてしまう」


「うむむ」


「しかし西方は違います。

 指揮官のモミア、クレマン・ツィマー卿は私と個人的な交誼(こうぎ)がある」


 キモい感情を向けられているとも言う。

 まぁ直接命を救ってやった恩もあるしな。


「他よりは融通が利いたり、便宜を図ってくれることもあるでしょう」

「確かに」

「またレディを始めとして西方系の方が多い。

 多少ではあれど紛れやすく、アネッサ」

「私?」

「オマエの実家も西だろう?」


 自分に話が来るとは思っていなかったんだろう。

 びっくりした顔をしている。


「そういえばそうだった」

「忘れてたのか」

「フューちゃんに夢中で」

「ウソをつけ」


 休暇で保養地に行くたび、実家にプレゼントを贈っていたくらいだ。

 忘れたりするわけがない。


 オマエも何も考えてないフリして、


『私には特になんの枷もないので、なんなりとお申し付けください』


 って姿勢を取ってたんだよな。

 両殿下にお仕えする身としても、私の副官としても。


「西に行けば、ツィマー卿に頼んでご実家を保護してもらえる。

 到着すればオマエ自身の手で守ることもできる。

 いいだろう?」

「そりゃ、そうだけど。


 でもそれだとフューちゃんの家族は?

 私だけそんな」


「いいかアネッサ。これは私にとって一番都合がいいからそうしてるんだ。

 私が両殿下を裏切るかどうかは


『私がしない決意をする』


 だけで確定できる。


 だが、オマエを疑うわけではないがな。

 不確定要素は消した方が計画を立てやすい。

 安全で、余計なリスク管理に注意を割かなくてよくなるんだ」


 アネッサはたっぷり10秒ほど黙っていた。


 しかし、鼻から深く息を抜くと、


「ミュラー卿。このご恩は忘れません」


 頭は下げない。

 だが目は見て話す。


 彼女を副官にすると決めたその日から。

 上下関係より人間的信頼を求めて決めた、緩いルール的なもの。


 あるいは、騎士学校時代から同輩だったのだ。

 今更関係性を変えるのが恥ずかしいだけだった気もする。


 でも今は、


 次男が皇太子たる兄を討ち王位を狙う、序列や席次などなき世の中。

 もはや枠組みを決めた国家も崩れつつある。


 その新しい始まりの同志として、象徴的な絵になった気がする。


「ちゃんと帳簿につけて、返せよ?」

「じゃあフューちゃんも今まで私がお世話した分返してね」

「すいません破産してしまいます」











 翌朝、日が昇るまえに。


「連日悪いな」

「私は大丈夫です。馬も換えてもらってますし」

「お気を付けて」

「両殿下も、皆さまも」


 昨日カルツァーヌに走ってくれた彼を、今度はロージーヌへ先発させた。

 急に押し掛けられては、モミアゲとて困るだろうからな。

 あらかじめ私の直筆の手紙を送っておけば、まぁなんとかなるだろう。


「いいか。我々はこのルートを通ってロージーヌに向かう。

 だから帰りはこの道順をなぞってきてくれれば、必ず合流できる。

 いいな?」

「もし道中ハインリヒ殿下の手勢が関所など張っていましたら」


「その場合は引き返して、手前の町に置き手紙をしておいてくれ。

 木の下にでも埋めて、幹にオマエのイニシャルを彫るんだ。

 あとは我々が迂回してでも受け取りに行く。任せろ。


 そうしたらオマエも敵に目を付けられんうちに、どこへなりと姿をくらませ。

 決して無茶はするな」


「しかしそれでは」

「ここまでの奉公で、じゅうぶん大義でございました。

 私たちは流浪の身にて、今恩を返すことは(あた)いません。


 世が平和になったら、必ずお礼に伺います」


「殿下、なんともったいない……」






 こうしてまた1人見送って。


「では私たちも急ぎましょう。

 迂回気味蛇行気味なので遅れますが、少しでも進んだ方が彼の負担も減る」

「ですね」


 また馬に跨り、アデライド殿下を後ろに乗せる。



 ロージーヌはまだまだ遥か遠い。

 1週間やそこらでは到着しないだろう。



 今からこそ、本格的な逃亡劇が幕を開ける。

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